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おじいちゃんになりたい

表紙の写真は僕の大学の卒業式に来てくれた今は亡きおじいちゃんとのツーショット写真だ。

まぎれもなく歴戦のツワモノだったおじいちゃんと当時、コミュ障全開だった僕の顔に宿る生気の違い(若者と老人の逆転現象(笑))がまず笑えるが、なんとなく二人の口元が似ていることに今初めて気がついて、それがなんだかやけに嬉しかったりもする。

船乗りを辞めてから、おじいちゃんは地元の瀬戸内海に浮かぶ小島に戻り、そこで、若くして亡くなったおばあちゃんの後に50代で再婚したおばあちゃんとずっと二人きりで暮らしていた。

出不精で島からほとんど出なかったのに、僕の大学の入学式と卒業式には両方とも来てくれたおじいちゃん。

すごく寡黙な人で交わした言葉も本当にごくわずかだけど、おじいちゃんが、僕を愛してくれていることはなんとなく気づいていた。 

それこそ大学生の頃は、行くたびに10万円もくれるので、友だちもほとんどおらず勉学にもバイトにも集中できず暇を持て余していた僕は、夏休みや冬休みになると、明らかにそのお金目当てに(苦笑)、おじいちゃんの家に入り浸るようになっていた。

といっても、庭の草むしりや肩たたきなどおじいちゃん孝行的なことは何一つせず、ただ日がな一日中、居間の畳の上で、おじいちゃんと昼寝ばかりしていた。

しかも、勉強や友達や彼女のこと、要するにこっちが聞かれたくないことも一切聞かれない。

まさに地上の楽園、とはこのことだ。

とゆーか、明らかに孫を甘やかしすぎたよ、おじいちゃん!

一方で、僕はそんなおじいちゃんのことをずっと畏敬の眼差しで見つめてもいた。 

帰省する度に、おばあちゃんから語られるおじいちゃんの人生は、まさに壮絶極まりないもので、それを生き抜いてここにいるだけでも、スーパーマン以外の何者でもないと思った。

というか、そんな事実を知らなくても、もうただ目の前に座っているだけで、すんごい迫力がある人だった。一方で、気難しい人だと親戚たちからは煙たがれている人でもあった。

そんなおじいちゃんが僕に語ってくれた話の中で印象に残っているもののひとつは

「自分がこれまで学んできた技術や知識をいつか本にしてまとめたい。」

というものだった。

まさに職業人(船舶エンジニア)としての自らの経験値やスキルに対する自負があるからこその発言だと思ったし、80歳を過ぎてもこんな風に目を輝かせながら自分の仕事について熱く語れるおじいちゃんが素直に格好よかった。

他人の言うことには一切耳をかさず、生意気な口を聞く相手に対してはそれが実の息子であっても容赦なく袈裟斬りにする気難しい頑固ジジイ

というパブリックイメージがデフォルト化したおじいちゃんだったけど、

他人に何を言われても全く動じず、自分の信念を貫いて打ち込んだ仕事へのプライドは決して色褪せることなく、そして本当は不器用ながらもちゃんと愛する人に愛を伝えられる人

それが僕が実際に目のあたりにした

おじいちゃんだった。

そして、なんだかずっと仰ぎ見てたけど、 

こんな人になれたらいいな

と確かにあのときの僕は心の中でそう誓っていたような気がする。

そして、気づいたらそれから四半世紀以上が過ぎ、結局、

僕はおじいちゃん(みたいな人)には全然なれてない!

たとえば、彼と違ってめちゃくちゃ無駄によく喋るしね!(苦笑)

でも、なんとなくあの頃のおじいちゃんの気持ちが分かるようにはなってきたかもしれない。

きっと何だかんだ言って、さみしかったんだろうな、とかね。

それはともかく、そんな僕だから、あの目標はまだ据え置きのままだ。でも、今はちょっと違う色を付け足したい気持ちにもなっている。

それは、孫だけじゃなくて他の家族や親戚に対してもちゃんと自分の愛情を伝えられるという新色だ。

そんな憧れのおじいちゃん+αなおじいちゃんに僕はなりたい。

そして、幸いなことに実際におじいちゃんになるまでには僕にはまだたっぷりと時間が残されている。


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