【エッセイ】楽曲の歌詞について

言葉を使った仕事をしたいと言う割には、歌、楽曲の歌詞はほとんど無視をしてきました。
学生時代は邦楽はナンバーガール、レイハラカミなど、洋楽はMUM、シガー・ロスなどを色々聞いていたワタクシ。
ちなみにと言うと、ナンバーガールなんかは学校の誰も聞いてなかったぞ!どこにファンはいるんだ!と思っていました。
友人に勧めても気持ち悪いね、と打ち返される始末。
そのたび、しょんぼり家へと帰るワタクシ。
ナンバーガールなんかは何を言っているのか分からず、歌詞はとりあえずどうでもいいや、と受け流し、洋楽は英語が全く分からず、歌詞はとりあえずどうでもいいや、と更に受け流す、といったところでした。

が、先日たまたま江頭2:50さん(素敵なおじさまです)のYou Tubeエガチャンネルを見ることになり、その内容は江頭さんがブルーハーツの「人にやさしく」を歌う、という内容でした。
江頭さんはYou Tubeの中で、「パンクバンドで『ガンバレ!』ていう歌詞はタブーではあるけど甲本ヒロトだから言えるんだ」みたいなことを言っていて確かに、と思うことがあった。
曲の中の「ガンバレ」はヒロトさんだから意味ある言葉であるのであって、しょうもないおじさんの、ガンバレは、「こっちはがんばっとるわ!」と相手から跳ね返されるのである。
甲本さんのこの「ガンバレ!」はどのような思い背景で書かれたのかが気になる。
歌詞なんて言うものは、その時の事情や背景が思いっきり表れるものだと思うので、どんな事情か気になりますね。

発する言葉は、発せられた人によっていかほどにも変化し、強く影響を与える、たとえどんなにいい言葉を思いつき発しても、その人のプロセスに培わされた言葉には勝てない。
私の発した言葉は未だに無力で、村上春樹さんが発っした言葉は無限の影響を与える、そんなことは分かっているが再確認する。
食事も誰と一緒に食べるかで味や気持ちが劇的に変わりますもんね。
母体を愛し尊敬するのではなく、個を尊敬し愛したい、そんな事を思います。
尊敬し学びたいと思うのは個からであり(たとえば親鸞、法然、個からである)、なんとか教からではないのだ。
尊敬、教えを請う人は自分で決める!

なんか胡散臭くなってしまた。




最後にうんこ、終わりにします。

※校正なし、殴り書き、読みづらい



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