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続・突然に起こった

こんにちは あぐりです。

のんきに生きてきたパート主婦が占い師になりました。
子どもの不登校が直接の理由で占い師になった訳ではありません。
占い師になったことでまた、不登校問題と出会うことになったので、振り返りながら整理してみようと思いnoteを始めました。

前回の投稿はこちらです。
不登校が降りかかってきた時の話です。
まだの方はこちらからご覧いただけると嬉しいです。


4.不登校ママである私の頭の中


朝起きた瞬間から、何とも言えない気持ちになる
ああそうだ、私は不登校ママなんだ
朝は特に辛い

息子の様子が心配
学校へ行きなさいなど言える状態ではない
まだ下の子は学校に行けていたから
いつも通り起きて朝ごはんを用意する

真面目でも不真面目でもなく平凡に生きる
人より優れたところがなくてもそれに不満を持つこともなく、洗濯物が風に揺られているのを眺めるだけで幸せ感じている

いたって普通のパート主婦が
今までの人生全否定された気分

人並みの“普通の人生”を生きたい
そう思うのは欲張り過ぎですか?

時間が止まっている
家の中が寒々しい・・
私がしっかりしないといけない


5.このレールはすでに敷かれていた?


今思うと不登校が起きるレールはもう敷かれていたのかもしれない。不登校が始まる数年前、出産以来初めて就いたパートの仕事を、半年で辞めることになってしまった。

フルネームを言われるのは、病院か役所の窓口だけだった私の働きがお金になり、しかも顧客からお礼を言われる。

13年ぶりにはじめて「わたし」になれたことがとてつもなく新鮮で嬉しかった
                                                           子どもを留守番させてまで働くことの罪悪感と、やっと見つけた「わたし」を手放したくないワガママもあった。
昭和な考えが刷り込まれた私がパートに出ることは、それくらい “母として”
という言葉に縛られていた。


悪いことに同じタイミングで夫が急病で入院した。以前のように仕事に復帰できるのか?また復帰できたとしても、今まで通り働けるまでに回復できるのかも不安だった。

ここで私が働くことの大義名分が出来た。持っていた罪悪感はどこかに飛び、わたしのワガママも責任感に変わった

夫の病気は完治することはないと言われたけれど、なんとか職場復職が叶った。ところが今度は私が体調を崩すことになってしまった。

今までの私の心の中の変化は、誰にも話していない。夫婦でもお互いが忙しく一日があっという間に終わっている。いつも忙しそうに動いている私の気持ちは…多分夫は分かっていないだろう。

何より後悔すべきだったことは子供たちのこと。状況をよく説明して納得をさせていなかった。

彼らが話したかったことも、私が聞こうというスタンスが出来ていないから、きっと自分の中に色々溜め込んでしまったのだろう。

この時が分岐点だったかも知れない。

不登校の芽があったとすれば、ここが大きくなり始めるキッカケだったのかも知れない。私の考えなしの行動に体調不良という警告が出され、せっかく見つけた「わたし」もお蔵入りとなってしまった。


6.「わたし」を探し続ける私に 下された天罰


今まで全力投球してきたから、加減というものが分からない。
健康を害してはじめて
「まずいんじゃないんですか?」
という天の声を聞いたのに、
くよくよしない私は体調が回復するとまた「わたし」を探すためにパートに出た。

こうして家族が何となく落ち着かなくなっていた。仕事を始めることはいけないことではない。どういう気持ちで働くのか…それが大切なことをこの時の自分に言ってやりたかった。

「ゆっくり大人になればいい」そう思えず無理やり大人にさせようとしていなかったか?

子育てが終わったら好きなことをしようーそう思っていた私が、少し早めに「わたし」に出会ってしまったことが、そもそも間違いだったのかも知れない。

私にとって「わたし」の価値は、そんなことにも気づけないくらい大きなものだったのだ。

結局子供たちの不登校が始まったことで、私はまた仕事を辞めることになり、唯一 “母” であった私の価値ですら危ういものになっていった。

私の 不登校ママ生活 と、しまい込んだ 「わたし」がとても重要な関係をもっていたのがわかったのは、ずっと後になってからのことだった。


今回も記事を読んでいただきありがとうございます。
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