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生きとし生けるものに感謝した話 

人生イロイロありますとも。そんなワタシにもありました。隙あらば自分語り。

夫が大病したこと。それまでワタシはゴーマンで、客観的に見てもストレスを人にぶつける嫌なヤツでした。言い訳してもいいなら、ハジメテの子育て、ハジメテの見知らぬ土地で生活、睡眠不足、色んな要素が重なってストレスMAXでした。(だからって人にぶつけちゃいけんよね。反省した)

そんな時に発覚した夫の大病。即検査入院、そして長期入院、手術、退院、そして再入院、途中熱が出すぎて意識が混濁、本当に一時は危険な状態に。二歳の子供とワタシ、家で泣きながら思ったのは

『この先の生活は?どうしよう。この子を育てなくてはいけない』

でした。薄情なワタシ、夫の心配よりも子供の心配をしていました。

夫が退院後、人工ストーマをつけながら生活することに。

その瞬間はやってきました。ある夜のこと。

夫が布団で寝ています。ワタシも隣の布団で子供と寝ています。


『生きてる…!横で寝てる!一緒に寝てる!ちゃんと息してる!』


安堵、でした。その後にジワジワと、感謝の念が押し寄せて止まりません。

(ありがとう。生きていてくれて嬉しい。それだけで良い)


今までワタシは世界に対して感謝もせず、文句ばっかりだったことに気づきます。
世界はワタシの望みを叶えていたんですね。文句を言いたくなることばかりが現実に押し寄せてきました。
不幸とも取れるこの現象は、ワタシに『感謝すること』を教えてくれた大事な出来事になりました。現象はただ起こっていて、それに『不幸』とラベル付けするのも自分。『感謝すること』とするのも自分です。ラベルすら捨ててしまえば良いのでしょうが、自分はそこまで悟れませんでした。多分夫がビョーキにならなければ、離婚してたことでしょう。


それから引っ越しをして、ビンボー暇なしですが、家族みんな元気に生きててとっっっても幸せです。健康第一、と良く聞きますが、深く実感しました。


瞑想を習慣にしていた数年前のこと。車に乗っていつもの青空のもと、真っ直ぐな道を、緑豊かな街路樹を見ながら、太陽が照りつける道路を車で走行中のことでした。

『全てが自分である』

ということが言語ではなく、からだで理解しました。

緑にも、道路にも、すれ違う車の運転手も、通行人も。

『生きててありがとう。全てに感謝』

という想いが湧き上がり、勝手に歓喜としか言えない感情が止まらなくなり、そのうち至福、のような感情になりました。

世界すべてが輝いて、祝福してくれていました。ワタシは全て。全てがワタシ。

この経験は、とても素晴らしいものでした。だけど、人生は続きます。この経験にしがみついてもどーしようもないのです。今、この一瞬、それを大事に生きる。それだけなのです。

ちゃんちゃん。

何が言いたかったのかと言えば、『いのちだいじに』『全てのものに感謝しよう』です。

この言葉に合うBGMはDef Techの『Irie Got~ありがとうの詩~』ですね。

あでぃおす。良い一日を。










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