⑤ダウン症候群をもつ子の母となる〜私の心を癒したもの〜

今、ダウン症候群の娘が生まれた頃の家族宛の送信メールやたまに書いていた育児メモをたどって、回想している。
私も医療従事者の一人であるので、ぶっちゃけてしまうが、私の心を救ってくれる、「何か」を与えてくれる人は、病院の中にはいなかった。私の心を癒してくれたのは、やはり
同じような境遇の人たち
ということになる。



悲しみの渦中にいる患者家族とたくさん関わっている医者や看護師でも、いわゆる同じような境遇の人、以上のメンタルケアは出来ないものなのか…と、考えたりもした。いや、それではメンタルケアを専門職とする職業は成り立たつはずがない。
どんな背景をもつ人であれ、自分自身の出来事として捉えて共感できる、心に寄り添うという気持ちを持っている人が、その「何か」が相手に伝わった時、人の心は少しだけ癒されていくのかもしれない。

多くの人は、人生において多少なりとも悲しい経験や辛い経験をしている。その出来事をどう乗り越えていったか、その経験をどう糧にして生きているのか、によってその経験値は異なり、人に共感する気持ちに違いが出てくるのかもしれない。

後にこの経験から、人に共感する心や寄り添う心を少しだけ学べた気がする。人の気持ちに寄り添うことはどういう事か、ほんの少しだけ分かったら気がするのだ。



私は、死の瀬戸際に立たされたわけでもなく、大事な人を失ったわけでもなく、住むところがなくなったり食べるものがなくなったり、ましてや災害に遭ったわけでもない。それどころか、新しい命がこの世に誕生した、素晴らしい出来事があった。ただ、生まれた子どもに障がいがあるという事実は、あの頃、人生の底に落とされた気持ちになった。
今思えば、
おいおい、なんでオーバーだ。
そんなことくらいで。
って、笑って言える。
もっともっと大変な中で頑張って生きてる人は、たくさんたくさんいるのに。あの頃はそう思って、視野が超狭まった中で生きていたから、仕方がない…
家族で外食することも、旅行や温泉や買い物も、もう出来ない、とさえ思った。私の看護師という仕事もこれで終わりなんだ、という絶望に似た気持ちに陥っていた。

同じような境遇の人に出会いたい。
この頃、似たような境遇にいる方のブログを読みあさり、自分だけじゃないって事にだいぶ励まされた。
ブログやメールを通して共感し合い、慰め合う日が増え、私の心は時々泣かないでもいられる時間が増えたことを実感した。

私は住居の近くの家族会を探した。
そして、医療ケアが必要な児の集まりやダウン症候群の親子の集まりに、参加した。

そこで出会った人たちと、時には泣き時には笑いながら気持ちを共有していった。そして、私の心は少しずつ癒されていった。

つづく

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