まゆゆ

看護師として、病院でおよそ20年を過ごし、結婚して子どもを産んでもバリバリ働くぞーと意…

まゆゆ

看護師として、病院でおよそ20年を過ごし、結婚して子どもを産んでもバリバリ働くぞーと意気込んでいた。しかし、思いもしなかったダウン症候群のある子の親となった。そんな日から10年余り・・・私のこれまでの気持ちや、子どもとの日常をゆるりと発信したいと思う。

最近の記事

⑤ダウン症候群をもつ子の母となる〜私の心を癒したもの〜

今、ダウン症候群の娘が生まれた頃の家族宛の送信メールやたまに書いていた育児メモをたどって、回想している。 私も医療従事者の一人であるので、ぶっちゃけてしまうが、私の心を救ってくれる、「何か」を与えてくれる人は、病院の中にはいなかった。私の心を癒してくれたのは、やはり 同じような境遇の人たち ということになる。 悲しみの渦中にいる患者家族とたくさん関わっている医者や看護師でも、いわゆる同じような境遇の人、以上のメンタルケアは出来ないものなのか…と、考えたりもした。いや、それで

    • 〔晴れ時々くもり雨〕④ダウン症候群をもつ子の母となる〜入院と手術〜

      これは、我が子誕生からを回想して書き残しているものである。今からおよそ10年前のこと。 出生児は2,768gあったものの、生理的体重減少で2,500gに満たない小さな我が子。 全然、ミルクを飲んでくれない。 30mlを哺乳瓶に入れ、吸ってると思いきや、 えっ?全然減ってないよ 幸いすぐに、子ども医療センターの初診が決まっていたため、翌日、夫と共に1時間以上の道のりを走って向かった。 初診のため、待合室で色々と書類を記入する。 出産から11日目。時折やってくる看護師に、ま

      • ダウン症候群をもつ子の母となる③〜救われない私のこころ〜

        母や姉の影響から、母乳への憧れが強かった。 絶対に母乳で育てたい そんな思いに惑わされ、NICUにいる我が子に直接の母乳を与えられないことにもまた、打ちのめされた。子どもが吸えないのに、張ってくるおっぱい… 搾乳も痛くて痛くて辛いし… でも、出産を終えたこの身体は、じゃんじゃん母乳を製造する。 人間ってすごい 助産師さんにしぼってもらっても痛すぎて。 それでも、たった10cc程度しか絞れないおっぱいから3時間おきに搾乳した。痛いのと、悲しいのと、訳が分からなかったが、

        • 晴れ時々くもり雨☀️ダウン症候群をもつ子の母となる② 〜もしかして、ダウン症?〜

          34歳での出産だった。 私はギリギリ高齢出産にはならない♪と自分でセーフ、なんて思ってたから、健康な赤ちゃんに会えるとなぜか当たり前に思ってた。職業柄、そんな当たり前は全くないということを深く理解しているつもりだったのに。それに私の身近には、先天性に手足の指に欠損をもつ人がいた。その子は私より6歳ほど年下だったが、その子が産まれた時に家族がワサワサと神妙な面持ちの雰囲気だったことを鮮明に記憶している。 学生時代、看護学を勉強する中で小児科領域の科目だったか定かではないが、障が

        ⑤ダウン症候群をもつ子の母となる〜私の心を癒したもの〜

        • 〔晴れ時々くもり雨〕④ダウン症候群をもつ子の母となる〜入院と手術〜

        • ダウン症候群をもつ子の母となる③〜救われない私のこころ〜

        • 晴れ時々くもり雨☀️ダウン症候群をもつ子の母となる② 〜もしかして、ダウン症?〜

          晴れ時々くもり雨☀️

          ダウン症候群をもつ子の母となる① 〜その前に私のこと〜 世の中にすごく発信がしたい、って訳ではないが、私が経験したことをアウトプットしておきたい、ずっと思ってた。それが、どこかで誰かの役に立つとかそんな偉そうなもんではないが、「へー、そーなんだ」って私も共感出来たことで気持ちが救われた事がたくさんあったから。 そう思って、長い月日が流れてしまった… ダウン症候群をもつ長女は11歳となった。 少し、自分自身のことを。 看護師となり、脳神経外科で経験と知識を叩き込まれ(私が入

          晴れ時々くもり雨☀️