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晴れ時々くもり雨☀️ダウン症候群をもつ子の母となる② 〜もしかして、ダウン症?〜

34歳での出産だった。
私はギリギリ高齢出産にはならない♪と自分でセーフ、なんて思ってたから、健康な赤ちゃんに会えるとなぜか当たり前に思ってた。職業柄、そんな当たり前は全くないということを深く理解しているつもりだったのに。それに私の身近には、先天性に手足の指に欠損をもつ人がいた。その子は私より6歳ほど年下だったが、その子が産まれた時に家族がワサワサと神妙な面持ちの雰囲気だったことを鮮明に記憶している。
学生時代、看護学を勉強する中で小児科領域の科目だったか定かではないが、障がい児を産んだ十数人の親にインタビューをして一冊の本にまとめた物が、参考書としてあった。その当時、看護師としてすでに14年程経過していたが、たまたま産休で帰った実家に保管してあった。何の気なしに、それを熟読した。産休という、今までにない時間の流れがそうさせたのかもしれないが、なぜかじっくりと読み返していた。
今思えば、それが少しは覚悟してね、という神様からのメッセージだったのかな、と笑い話的に今、思う。

妊娠中の検診では、経過は順調。
仕事もしていたし、体重増加も許容範囲内だし、親も姉も安産。安産かなーと期待があった。

そして、その時はやってきた

これが破水か。
と、すぐに病院に向かうと激しい痛みがいきなりやってきた。そして、すでに子宮口10cm

期待通り、1時間18分という速さで安産‼︎
ということになろう…

朝8時台の出産だったが、直後に母乳を吸わせたきり、夕方近くまで赤ちゃんには会えなかった。それをあまり疑問には感じず、その間、これからの未来に幸せを感じずにはいられなかった。

そして夕方、新生児室に呼ばれた。

そこから、私の激動の日々が始まった。

酸素飽和度が上がらない
心臓に何かあるかも、しれない

そんな事を説明され、すぐにNICUへ
バタバタとスタッフたちが動き、私はただただボー然とそれを眺めていた。
夫へ電話し、勝手に涙が溢れて何を言っているか分からない私を心配し、すぐに病院にかけつけた。

後日談になるが、無事出産した私と赤ちゃんに面会後、ベビーカーを買いに病院を出た夫は、横断歩道を渡ろうとする親子がいたので、車を停めたそうだ。その子どもはダウン症の顔つきだったといい、あー大変だろうな、と同情の気持ちを抱いたそうだ。
まさか、我が子がダウン症とはその時、知る由もない。

私は、何となくの知識で心疾患とダウン症は深く関係している事を記憶していた。
だから、
あ、うちの子はダウン症かもしれないと、何ともいえない不安な気持ちと、病気である我が子を不憫に思う気持ちがごちゃごちゃになり、その夜から泣き続けることになった。

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