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ダウン症候群をもつ子の母となる③〜救われない私のこころ〜


母や姉の影響から、母乳への憧れが強かった。

絶対に母乳で育てたい

そんな思いに惑わされ、NICUにいる我が子に直接の母乳を与えられないことにもまた、打ちのめされた。子どもが吸えないのに、張ってくるおっぱい…
搾乳も痛くて痛くて辛いし…
でも、出産を終えたこの身体は、じゃんじゃん母乳を製造する。

人間ってすごい

助産師さんにしぼってもらっても痛すぎて。
それでも、たった10cc程度しか絞れないおっぱいから3時間おきに搾乳した。痛いのと、悲しいのと、訳が分からなかったが、涙はこんなにも出るのか、と感じていた。

心内膜床欠損症
我が子は、心臓の真ん中に穴が空いていた。
近いうちに、手術が必要との説明だった。
当然のことだが、とにかく今はミルクをたくさん飲んで、ある程度の体重に増やすことが大事らしい。
手術をしなければ、多分心不全、低酸素…
みたいなことになるんだろう…

もう、私になんか育てられない

と夫に訴えたことを覚えている。
夫は、

じゃ、このまま手術しないでいいの?そうする?

と言った。

育てられない、でも私が産んだ子だ。
育てないといけない。

そんな思いだった。

毎日、NICUに赤ちゃんに会いに行くのだか、それが嬉しい時間ではなかった。私は保育器に入っている赤ちゃんと自由に肌を触れ合うこともできない、保育器の側に座っているだけの時間が長く、いっそ病室に戻りたい。

こころがぐちゃぐちゃしてた

職業柄、人の生死に寄り添い、辛い気持ちや不安や怒りにもたくさん向き合い考えてきた、つもりだった。しかし、今自分がそれに近い感情の中に立たされて、泣くことしか出来ない。自分に起きるこの現実には、日頃仕事に向き合っていた姿勢は、全く無意味だった。そして、医療者からのどんな声かけにも、私の心は少しも晴れなかった。毎日、朝起きると、この現実が夢であったらいいのに、と思い続けた。
個室に入院したとはいえ、ここは産科病棟。赤ちゃんの泣き声が、昼夜を問わず聞こえてくる。

なんで、私の所には赤ちゃんがいないの?

夜中に泣く毎日だったからか、朝、看護師さんが目が腫れている私に小さな保冷剤を手渡してくれる。そんなルーティンが申し送られていたのかもしれない。目を冷やして、腫れた瞼を落ち着けた。

そして、赤ちゃんと私の退院の日がやってきた。






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