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TheRowのマルゴーを買った女の話

その衝動は突然にやってきた。

かねてよりザロウのミニマルなデザインは私の好みであった。デパートやセレクトショップに足を運ぶたびに、それとなく立ち寄ったり、横目で見たり、いつもどこかで気になる存在ではあった。
結論から言えば、タイトルの通り、私はマルゴーを購入したのだが、当初はずっとトートバッグが欲しいと思っていた。
が、トートバッグ然り、そしてかの有名なマルゴー然り、実物を手に取る機会には、この数年間を通じて一度も恵まれなかった。
「いくらデザインが好きとはいえ、すごく高いし、その上なんだかまた値上がりしてるし、私には縁のないものなんだわ」と思っていた。私は基本的には物欲にまみれた人間なので、他にも色々と欲しいものがたくさんあったし、そもそも考えなきゃいけないことも、しなきゃいけないこともたくさんあった。そんなこんなで、「ザロウのバッグが欲しい」という気持ちは、どこかで燻ってはいたものの、私の中であまり優先度が高くならなかった。

ここで少しだけ個人的な話をしたい。
私の人生というのは、おそらく側から見れば恵まれている類だと思われる。自分なりにもそれなりに努力も積み重ねてきた。にも関わらず、心からそのように思えず、もうどこかに消えてしまいたいような、深い闇の底にいるような感情に堕ちていく夜が最近なんだか多かった。
それは体調やホルモンバランスの乱れのせいなのか、最近飲み始めたピルのせいなのか、悪気のない誰かにモヤっとさせられたせいなのか、少し前に終わった恋のせいなのか、有り余った時間が生み出す幻想なのか、自分でもよく分からなかった。
「何の苦労しないで愛されて育った子って感じ」「明るいところだけ歩いてきた人」「悩みとかあるの?」。当時は何も感じなかったはずなのに、かつて誰かから何気なく言われた言葉にうっすらと込められていたであろう黒い気持ちが、月日を経た令和5年の夏、深夜未明に急に胸に突き刺さってくる。

親しい友人に相談すると、「そういう時はとりあえず掃除だな」と言われた。まぁすることもないしやってみるか、という軽い気持ちで、でも全力で家中を掃除した。
掃除とは終わりがあり、それでいて努力と結果が直結する非常に達成感のある作業である。人生というのは後悔と失敗の連続だし、確かなことなんて、過ぎ去った過去、今生きてるこの瞬間、そしていつか必ず死ぬという未来くらいだ。そんな不確かな人生の中で、掃除とは「やって絶対に後悔しない数少ない何か」の一つだと個人的に思っている。(ちなみに筋トレもその一つだと思っている。なのにいずれも毎日できない。)
そんな掃除を終えて、適度な疲労感との代償で手に入れた部屋を見渡すと、なんだか少しだけ心にも余白が生まれた。久しぶりに料理をしたり、読みたかった本を読んでいると、「そういえばザロウのバッグ‥」と、すっかり私の脳の端っこに忘れ去られていた欲望が、スッと現れてきたのである。
こういう時って、人生で成し遂げたい何かとか、親孝行しようとか、ボランティアしようとか、少なくとも煩悩的ではない何かに現れてきて欲しいものである。が、どうやら私の脳内にはそのようなものはなかったようだ。

その日からリサーチにリサーチを重ね、いくつかの店舗を訪れ、奇跡的に初めてトートバッグに巡り合えた。あいにく私の欲しいサイズや色はどこにもなく入荷も未定とのことだったが、極限まで装飾や機能を削ぎ落とされた美しいものであることは体感した。
そして、ちょうどその日に限定色のマルゴーが入荷したとかで、ついに初めてその実物を手に取ったのである。
トートバッグ同様に、これ以上ないくらいシンプルで、それでいて洗練されていた。そして何よりも、おおよそ信じられない価格が設定されていた。
質がいいとかインフレとか為替とか広告代とかそういうものでは、納得できないレベルの価格である。(少なくとも私のようなファッション業界素人にとっては)
それなのに、だいたいそもそもはトートバッグが欲しかったはずなのに、その瞬間からマルゴーに釘付けになった。
危うく買いかけてしまうところだったが、定番色かつ違う革の素材であれば、約20万円ほど価格が抑えられることが分かった。それでも信じられない価格であることには変わらないのだが、愚かにも20万円浮いた気持ちになってしまうのであった。

しかし残念ながら物自体は店頭には無く、入荷時期も未定とのこと。自分でも少し冷静になりたい気持ちにもなり、その日は帰路についた。

その後も更なるリサーチを重ねた結果、集英社が運営するオンラインセレクトショップでマルゴーの定番色が限定入荷されるとの情報を得た。
集英社という安心感はあれど、非常に高額なものを使ったことないオンラインショップ経由で購入するのは、少なからず抵抗があった。
心配症の私は、このサイトが偽物なのではということを疑ったりもしたし、万が一トラブルが発生したら、との心配もゼロでは無かった。
が、電話で問い合わせをした際の対応の丁寧さは好感を持てるものであり、更には知り合いを辿れば集英社勤務の人に辿り着けそうなことが判明したり、少しずつ安心材料が集まってきた。
何より「集英社の書籍を購入すると送料が無料になる」というビジネスとして成立してるのかしてないのかよく分からないが、なんとか本を買ってもらおうとするその仕組みは、出版社としてのプライドと使命感を感じさせ、結果的に1番の安心材料となった。

そんなこんなで迷いながらも購入に至り、ついにマルゴーが私の自宅に届いた。
型違い・色違いは店頭で見ていたし、目に穴が開くほどインターネットでリサーチをしていたが、実物に対面したのはこれが初めてである。
率直な感想は、感動よりも何よりも「これは本物なんだろうか」という疑惑であった。疑惑を払拭するために、本物と偽物の比較動画を見ながら、素人なりに検証したり、違和感がある部分がないか、色々な箇所を観察してみた。
一通りの検証を終えて、実際に荷物を入れて手に持ってみたり、鏡の前で合わせてみたりした。
ラグジュアリーブランドと言われる品物はこれまでも何度も手に取ったことも購入したこともある。それでも、ここまで高い買い物は生まれて初めてである。そもそもこのバッグの価値は価格に見合うもなのか、そして私はこのバッグに見合う人間なのか、正直全く分からない。
そもそも私に見合う物というのは何なのだろうか。例えばデートが上手くいかなかったエピソードを友人にすれば、決まって「そんな人辞めた方がいいよ」「あなたに合うもっといい人いるよ」と慰めの言葉をかけられるが、じゃあ私に合う人ってどんな人なのだろうか、といつも思う。話を物に戻そう。もちろん属性や年収から導き出される「これくらいの物なら買っても良いのでは」という水準はあるのかもしれないが、そういう話ではない。
そんなこんなで私の思考は逸れ、もうなんだかよく分からなくなってきた。それでも突然現れたマルゴーは、まるで前からそこにあったかのように私の部屋に馴染み、私の服装ともよく合っていた。
それは計算されつくされたであろうデザイン故なのだろうか。そもそも私の部屋のインテリアや服装は、私という割と趣味嗜好に一貫性のある同一人物が選んだものであり、そんな私が選んだバッグなのだから、馴染んで当然といえばそうなのかもしれない。
改めてじっくりと眺めてみる。一見なんの変哲もないバッグである。それにどこにでもありそうな気がする。それなのに、どこにもなかったな、と思った。
ブランドのロゴを見せつけるためにラグジュアリーブランドを購入するのはあまり好きじゃないし、それって美しくないなって思っていた。ザロウというのは、まさにそういう昨今のラグジュアリーブランドのあり方にメスを入れたいコンセプトなのだろう。このバッグは、知らない人から見たら、「あらシンプルなバッグ使ってるのね」って思われて終わりだと思う。(余談に余談を重ねるが、宝石も装飾もカラフルで大きいほど良いという価値観だった亡くなった祖母が、今にも天国から発狂しそうなデザインだと思った)。でも、それで良いんだ、価値はそこじゃないのよ、というオルセン姉妹の強い意思を感じる。それが彼女たちの心からの信念なのか、ビジネスを成功させるためのコンセプトに過ぎないのか、姉妹の心中など、島国に住む私には知る由もない。

それにしても私はこんな高級なバッグを持って本当に良いのだろうか。ウェブ上の写真だとロゴはプリントだったけど手元に届いたのは刻印だし、本当にこのサイトを信じていいのか(※追記:念のためロゴについて問い合わせたところ、思わぬ事態に発展し、未だバッグが使えない…。いつかそれについても書きたい。)。まだ返品の可能性もゼロでない。もう少し気を落ち着かせたい。

そんなこんなで目に入ったのは、送料を無料にするために購入した、さくらももこ氏の代表エッセイ「もものかんづめ」(集英社文庫)であった。
数十万円もの買い物をしながら、500円の送料は無料にしたいというのは、なんだか歪に感じるが、それはそれ、これはこれである。
約20年前にさくらももこのエッセイがすごく好きだったことをふと思い出し、久しぶりに読んでみたい気持ちになったのである。
そして、理由は不明だが、バッグは返品できるのに、なぜか本は返品不可であった。なのでいずれにしろこの本を読むことは決まっている。であれば、今読むか、ということで、とりあえず読んでみた。
約20年ぶりに読んだが、驚くことに、ほとんどのエピソードは私の記憶に残っていた。どのエピソードも決して深く心に残っていたものではなく、読んだその瞬間まで、自分の記憶にあることすら忘れていた。こんなにくだらない(褒めてます)エピソードを長年保管するスペースが私の脳に残されていたとは、驚きである。確かに自分の中にあるはずのに、それに自分ですら気づいていないということ、他にもたくさんあるんだろう。人間というのは自分自身にすらこんなに無知なのだから、ましてな他人のことなんて本当に何も分からないんだろうな、と、なんだがまた余計なことを色々と考えてしまった。
なんてことない日常、無駄に過ごした時間、無駄な買い物、取るに足らないようなあらゆる出来事が一冊の本として成立している。人生において、何が無駄で何が無駄じゃなかったかなんて、死ぬまで分からない。そう思ったら、色々と迷っている気持ちに少しだけ背中を押された気がしてきた。もはやそう思いたいだけなのかもしれない。
そして何より考えることに疲れてきた。

このバッグは素晴らしい技術を持つ世界にわずかしかいない職人が、1人あたり4日間を2人がかりで、つまり8人日かけて、イタリアの工場で作られるらしい。私もおそらくそれに近しい時間をかけてこのバッグの情報収集や購入是非について思考を巡らせている。8人日というのが多いのか少ないのかもよく分からない。というかもう色んなことが何が何だかよく分からなくなってきた。

ま、とりあえず使ってみようか。

そんなこんなで私はザロウのマルゴー、自分史上最高額の買い物をするという経験、そして20年ぶりのもものかんづめを手に入れた。

色々と思考を巡らせたが、私はこのバッグを保有するに値するそれらしき理由と、本物だと信じられる確かな根拠が欲しかったのである。
シンプルにバッグ自体はとても気に入っている。それでも、いくら素敵なバッグとはいえ、これがきっかけで、仕事もプライベートもより一層頑張れるようになって、人生がよりうまくいくのではとか、そのような淡い期待は持たないほどには大人になってしまった。こういう大人になって経済力を手に入れたからこそ、こうしてバッグを手に入れることができたわけであるが。
それでも、このバッグへの思いは時間を経てどう変化するのか、このバッグを持ってこれからどういう経験をしていくのか、少しだけ楽しみである。 そしてブランド価値が存続することを願う。

以上がザロウのマルゴーを買った女の話である。

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