何もせず田舎で引きこもった結果
何もせずに田舎の静かな環境で1人もくもくと生きる。
今までの私の人生には無かった経験ですし、多くの現代人もまた、そうした機会は無い事でしょう。
これは全く予期していませんでしたが、
この何もしない生活はある意味面白く、自分の本音本心のようなものが沸々と少しずつ
溢れ出てくるような感覚が生じてきます。
また代わる代わる色々な思考が生まれては
消えていく感覚が顕著になります。
私は10年間、治療家として生きてきました。
なりゆき任せ的に始めましたが、真剣に仕事はしていました。
でも、こんな生活をしていると、密かに感じていた想いに気づいてしまうんですよね。
治療など、やっぱりあんま関心ない。と。
正直、あまり感じたくなかった自分の想いが浮き彫りになってしまった感じです。
私はただ自分が健康になりたくて様々な健康知識や技術を学び、せっかくだからそれを
仕事にしようと思ったのですが、そもそも人を助けたいという、先立つ高尚な思いは全くありませんでした。
それでも10年やってきたので、それなりに誠の心のようなものが幾分身に付いたつもりでいましたが、残念ながらそうでは無い。
人が病気で苦しんでいようが、本当は関心が元々薄かったんですよね。
ただ単に、自分の心身の苦しみを他者に投影して、他者を癒すことで自分も癒やされる
ような気がしていたのだと思います。
また「治療家」という肩書きを、密かに自らの拠り所、アイデンティティにしていたことにも気づきました。
しかし、そうした自らの内面の気づきばかりではありません。
他にも気づくことは沢山あります。
その最たるものは日々の自然の移ろいです。
植物や花々の成長、微妙に変化していく季節の空気感、現れる虫や動物の変化など、何もしないでいると、生命の微細でダイナミックな神秘をより感じることができます。
だから何?と言われればそれまでですが😅
そこに意味は何もありません。
意味などなくても良いではありませんか。
ただ存在の奇蹟を感じるだけで充分です。
そんなことを感じながら、現在も引きこもり生活を継続中です。
関係ないかもしれませんが、最後に私の好きなビートたけしの名言を貼っておきますね。
ビートたけしの言葉
人は何か一つくらい誇れるものを
持っている。
何でもいい、それを見つけなさい。
勉強が駄目だったら、運動がある。
両方駄目だったら、君には優しさがある。
夢をもて、目的をもて、やれば出来る。
こんな言葉にだまされるな、
何も無くていいんだ。
人は生まれて、生きて死ぬ。
これだけでたいしたもんだ。
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