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【20年研究】食に対する最終回答

私もこの20年近く、食や健康に関することを様々学んできました。

学んだ知識や技術は、
生活の中で役に立ってはいます。

しかし食に関して言えば、栄養学や食養理論などの知識は、そのほとんどを手放して、
知識とは距離を置いた生活をしています。

20年も学んだことを、なぜ放棄したのか?
その答えは非常に単純です。

それは、知識や理論など、
たいして役に立たないからです。

いやいや、役に立たない訳ないでしょ?
と思う方も大勢いることは承知していますが
はっきり言って、あまり役に立ちません。

その理由を説明してみようと思います。

皆様はコーヒー、飲みますか?
私は好きですので、しばしば飲みます。

世界中で愛されているコーヒーですが、賛否両論あるのは、皆知っていると思います。

ある権威は、コーヒーを体に良いと言う。

一方、他の権威は、
コーヒーは体に悪いと言っています。

たったひとつの飲み物でさえ、
体に良いか悪いかの論争は、世界の頭脳を
持ってしても、未だに終結していません。

では玄米はどうでしょうか?
ワインはどうでしょうか?
黒糖は?オメガ3は?

もちろん論争が今でも続いています。
当然一般のレベルだけではなく、
世界的な研究者達の間でも、です。

以上の事実からも推察できるように、
栄養学的な話は、まだまだ未知未完の領域でそもそもがアテにならないのです。

栄養反応に対する個体差の問題、
無数の各栄養素の複合作用、
未知なる栄養素とその働き、
食物が保有する波動情報とその影響、
生体内原子転換等の栄養処理能力の研究、様々な外部因子の影響、
それらの包括的な総合作用等々…

未解決の問題は山積みです。

常識として流布されている現行の栄養学は、
現在の暫定的な、仮の知識に過ぎません。

今までの常識など、すぐに新たな「新常識」
に覆され続けてきた歴史
を、私たちは身を
もって知っています。

ですので、いくら知識を追いかけても、
キリがないのです。

次々に現れる、異なる「事実」に翻弄され、
結局は訳が分からず終いになります。

だから私は、知識を手放しました。

ではどのようにして日々の食事を決めているかというと、それは頭の知識ではなく、
直感的な知恵です。

自然界の動物たちを観て下さい。

彼らは栄養学の「え」の字も知りませんが、人間が罹る病気には、ほぼ罹りません。

自然界の生き物は、
ケガや感染症はありますが、
人間が罹る何千種類もの病気には無縁です。

沢山のことを知っている人間よりも、
何も知らない動物たちの方が健康なのです。

彼らは知識はありませんが、
大自然から授かった知恵があります。

ならば人間の知識を使用するよりも、
自然界の生き物のように知恵を駆使した方がより健康に近づけると考えるのは、
至極当然のことではないでしょうか。

知恵よりも知識を優先し、
体を壊した人は数えきれません。

その実例が1番多いのは、
恐らく玄米菜食でしょう。

私自身は玄米菜食に近い食生活ですが、
適さない人も当然います。

仮に玄米菜食を続けて健康を保てていた人
でも、体内のバランスなどの変化によって、適合しなくなるケースはよくあります。

しかし、玄米菜食信者は考えを改める事が
基本的にできません。

周りの仲間に体調不良を相談すると、

「もっとしっかり玄米菜食を実践すれば
体調は良くなるよ!」

と、より一層、玄米菜食を促してきます。

食養法の熱心な実践者は、下手な宗教家よりも遥かに盲信的ですので、その考えを改めるのは、かなり難しいのです。

玄米菜食の場合は、知識というより、
日本人に昔からある知恵、のような雰囲気が
あるので、余計に始末に負えません。

では本当の知恵とは、
一体何なのでしょうか?

それはただ単に、体の声です。
難しく脚色するものは何もありません。

自然界の動物たちは、自分が食べたいもの
しか食べていません。

ライオンが自身の体調を気にして草を食べる
でしょうか?

答えはもちろんNOです。
草を食べなくてもライオンは健康です。

馬は逞しくあろうと思い、
肉を頑張って食べるでしょうか?

無論、食べません。
馬の蹴りは、時としてライオンの命さえも
奪うほどの逞しい力があります。

自然界に存在するモノで、
自分が食べたいモノを食べる。

野生動物たちは、ただそれだけの食のルールしかありませんが、ほぼ完全に健康です。

仮に玄米菜食をしばらく試してみて、
美味しくないと感じたら、止めるが吉です。

それは誰もが持つ、体の声、
生命の知恵によるものです。

逆に玄米菜食を美味しく感じる時は、
体調が向上しますので、続けてみましょう。

今回の話の中では玄米菜食を槍玉に挙げて
しまいましたが、食事法に正しいも間違っているも、初めから存在していません。

個人の体にとって、
その時々に正誤があるだけです。

同じ個人でも、菜食が良い場合もあれば、
肉食が良い場合もあるのです。

体の声と言っても、
具体的にどういったものか分からない人も
いるかもしれません。

しかしそれはとてもシンプルで、

「何となくあれが食べたいな」
と感じるものが体の声です。

ただそれが加工精製食品であった場合、
それは舌や脳が麻薬中毒になっており、
騙されているだけなので、注意が必要です。

あくまでも自然の物か、
それに準ずる物の中での話です。

内なる声に従った結果「ばっかり食い」
になっても問題はありません。

体のバランスが傾けば、自然と飽きて他の物を食べたくなるので、心配は無用です。

体の声が教えてくれるものは、
他にもあります。

それは空腹感です。

自然の動物たちは、空腹を感じ始めてから、
食糧を獲得する行動にでます。

それに倣って、人間も空腹を感じてから食事を用意し始める位が丁度良いでしょう。

空腹は最高の調味料と言いますが、
これは誠に言い得て妙です。

空腹時に食べる物は、例え素朴な味付けの
食べ物であっても、とても美味しく感じる
ことでしょう。

また、適度な空腹感は、慣れてしまえば
それ自体が心地良く感じられるものです。

知識を手放し、体の声を主体とした食生活を始めて数年は経ちましたが、私も完璧では
ありません。

時々はお菓子も食べますし、暴食もします。

それでも健康でいられるのは、
体の声、野性の勘、生命からの信号…
こうした感覚を頼りに日々生活しているからだと自負しています。

色々な食事法、健康法を試しても
なかなか効果を得られないとお悩みの方は、
いったんその知識を脇に置いてみましょう。

そして、
自身の内なる声を感じてみて下さい。

内に秘めたる小宇宙の智慧に触れた時、
人間の持つ知識など、偉大なる叡智のほんの一欠片に過ぎないことに気づくでしょう。


お読み頂き、ありがとうございました。


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