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悩みは実体がないもの


禅語に『莫妄想』という言葉がある。
「考えられないものを考えるな」という意味で、過去を悔やんだり、未来に不安を抱いたりすることは『妄想』に過ぎないのだから、今できること、すべきことに集中すべきだということらしい。

悩みは常に、自分自身が作り出しているものだと言う人もいる。

私は、父がガン宣告をされてから亡くなるまで、父が死んだらどうしようという不安で頭がいっぱいだった。

それまでの人生で、悩みがなかった訳ではない。
むしろ、常に悩みはあると思っていた。
でも、父のガン宣告を受けてから、不思議なことに、それまでの悩みは悩みではなくなった。

父が死んでしまうかもしれないという不安に比べれば、昨日まで私が悩んでいたことは悩みとは呼べない代物になったのだ。

禅の教えからすれば、ガン宣告をされても父はその時生きていたのだから、これから死んでしまうかもと考えることにも意味はないのだろう。
実際、考えてもどうにもならなかった。

でも、自分や家族の健康が脅かされた時や、死の恐怖が迫っている時、それを不安に思わないのは相当に難しいと思う。

逆に言えば、それ以外の悩みは自分で作っていると言ってもいいのかもしれない。

(死んだらどうしよう、死んだらどうなるんだろうと考えることも自分が作り出している悩みには違いないのだけど、それを言い出すとまた違う話になりそうなので一旦置いておく。)

父の死の恐怖に怯えていた時には、思いもつかなかったようなことで、最近の私はまた悩んでいた。
ある意味、自分の将来のことや、人間関係等で悩めるのは幸せなことなのかもしれない。

自分や家族に死が迫っているような状況では、将来や人間関係の悩みは生まれない気がする。

全く違う話だが、職場で常に誰かと喧嘩している人がいる。少し前には、違う誰かと揉めていたのに、その相手が退職していなくなると、今度は今まで普通に接していたはずの別の誰かと揉め始めるのだ。

たぶん本人に自覚はないけれど、常に誰かと揉めずにはいられないのだな...と思う。
そうすることで人間関係の悩みを自分から作り出しているとしか思えない。

ストレスの多くは「過去」か「未来」に由来している。いわば一種の錯覚のようなものだ。
過ぎ去った出来事を悔やんでいる。あるいは、どうなるか分からない未来のことを勝手に心配している。それが大半のストレスの正体だ。そしてそれはあなたの心の隙を見つけてむくむく膨らむ。

最大化の超習慣「堀江式」完全無欠の仕事術 

堀江貴文さんは、他の著書でも『現在』が充実していないと、『過去』や『未来』のことばかり考えて悩むことになるのだと記していた。

確かに...そうかもしれない。
私は忙しいと思っていたけど、実は暇だったのかもしれない。
心に隙があったから、悩みが生まれたのかもしれない。

そう思うと、悩むことなんて元々何もなかったではないかという気がしてきた。

今に集中!なるようになれ

...と思おう。

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