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『時間革命 1秒もムダに生きるな 堀江貴文』

大学生の頃、割と本気で『時間泥棒』が存在するのではないか?と思っていた。

退屈な時間と楽しい時間の過ぎ方があまりにも違うからだ。

つまらない講義やバイト中の1時間はとてつもなく長いのに、彼氏とのデートや、好きな本を読んでいる時間はビックリするほど早くすぎる。

通学電車で暇つぶしで始めたはずの読書で、夢中になりすぎて時間感覚がなくなり、乗りすごすことがしょっちゅうあった。

海外旅行に行き、初めての体験で埋め尽くされた5日間は日本で過ごす時間とは比較にならないほど短く感じた。

大学生の私は、楽しい時間だけを食い物にする『時間泥棒』に腹を立てたが、その怒りと彼の実在の有無はさておき、彼が盗みたくなるような楽しい、夢中になれる時間を持っている自分は幸せだと結論づけた。

実際これは人生の心理だったのかもしれない。

社会人になって、いつの間にか『時間泥棒』は、ほとんど現れなくなった。
たまに休日に顔を出しても、明日以降の仕事のことが頭をもたげると、そそくさと居なくなるようだった。

本書では、夢中になって没頭する時間、努力せずともハマれることを「フロー」「ゾーンに入っている」状態としている。

私が感じていた『時間泥棒』が盗みにくる時間のことだと思った。

著者は刑務所に入っている時に、人生で初めて夢中になることが出来ない退屈な時間を経験し、「皆が言うストレスが溜まるとは、このことか...」と思い至ったと言う。

私は刑務所に入った訳でもないのに、ここから出られないし、子供の頃や学生時代のように夢中になれる時間はもう過ごせないと思い込み、退屈な時間を過ごしていたようだ。
それは自分自身が作り出した環境であり、時間だった。

私は本来、自由に夢中になれることだけで人生を埋め尽くすことができるはずなのだ。

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