『勝間式 ロジカル不老長寿 勝間和代』
『老害』という言葉が叫ばれるようになってどれ位だろうか。
少子高齢化の昨今、この言葉は、私達にとっても、かなり身近になってきた。
実際、私には『老害』という言葉から、すぐに連想できてしまう、身近な人間が何人かいる。
私の中の、老害の概念は「自分が歳を重ねた時、こんな風にはなりたくない」と思わせる高齢者の言動だ。
私の父が、ガンを宣告された時、家族でもない高齢者(厳密に言えば親族ではある)から、
「脳の手術は絶対してはいけない。脳の手術をすれば、たちまち寝たきりになって、話すことも出来なくなる。もはや、絶対に助からないのだから、治療などせずに、家族と最期の時を過ごすよう、本人を説得するべきだ。」というようなことを、すごい勢いで捲し立てながら、上記のように、要約すれば5行で済む話であるが、2時間程かけて力説された。
私は、彼の言葉に頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。
こうゆう状況の時、大抵の人は、かける言葉が見つからないか、優しく励ますか、いずれかだと思っていた。まさか、赤の他人に、父の治療は無駄だから、やめて、緩和に徹しろ等と命令されるとは思ってもみなかった。
別に私は、彼にアドバイスを求めたりはしていないのだ。
親族という間柄である以上、報告の義務があると判断して、単に報告をしただけなのだ。
それなのに、医師ですら口出ししない、父本人と私達家族が決めることに、ズカズカと入り込み、「絶対に助からない」などと言い放つとは。
あぁーこれが老害というやつか、と今なら思う。
彼は約10年前に定年を迎えているが、医療従事者として長年勤務してきたという自負が強く、何も知らないであろう私や母に、自分が医療のなんたるかを教えてやらなければならないと思ったのだと思う。
全く、悪気はなく、むしろ善意だったのだろう。
しかし、悪気がないというのが正直、更に、タチが悪い。
医療技術は日々進歩し、10年前と現在とでは、全く異なること。
治療方針は、患者本人と家族が決めることであって、近しい間柄でも口を出すべきではないこと。
こういった謙虚さや、配慮が、彼には圧倒的に足りていなかったと思う。
定年退職後、やることがなくなり、朝から晩までテレビの前のソファーでワイドショーを眺め、その内容に憤慨したりしている内に、1日が終わる。
そんな毎日を10年過ごしていたら、外の世界のことや、自分とは違う価値観、世間の進化に、ついていけなくなるは当然なのかもしれない。
そして、老害という言葉と共に、若い世代から敬遠され、距離を置かれる。
なんとも虚しいことだ。
本書は、そんな老後を迎えない為に、40代から準備できることを、3つのリスクの観点から具体的に教授してくれる。
私は個人的には、高齢者に限らず、様々なジャンルの本を読むことによって、自分の狭い価値観の中に閉じこもり、頑固にそれを貫き通し、他人にも強要するような事は、少なくとも、回避できるのではないかと思う。