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頭をぶつけたらパニックが増した?消えた?

そこそこ重度の自閉症小5男児。

友達に遊びを誘われた(おめめでどうのお話しメモ使用)のが嬉しくてテンションがあがっていたところ、楽しすぎて歓声が出たり動きが大きくなってりしていた。いつもじゃないことが起きて若干パニック気味。

その勢いのままイスからジャンプしたら、ジャンプが高くなりすぎて頭を天井にぶつけてしまった。

するとどうでしょう。
なんと静かになったことか………

おめめどうのセミナーなどで聞く「自分の中が留守だから他人や物への執着やこだわりが起こる」とは、こういうことか?!と、後からびっくり笑いしてしまいました。
※怪我はしていない

痛い思いしたら、そこからパニックが増しそう…と思いませんか??
そういう子もいるとは思うのですが、「自分がジャンプして打った」の自覚があれば他人のせいにすることができず、矢印が向かうのは自分の痛みや自分の行い。
そうすると、気持ちって収束していくんですよね。切り替えられる。
「なんで痛いんだくそー?!」から、「ぶつけて痛いな。うん、痛い…。どうしたら痛みとれるんだっけ?冷やそうかな。大人しく休憩しよう」みたいな方向にいくもんなんですね…

先日、3歳の息子と似たようなことがありました。

とある土産物で、ピカピカ輝くぺろぺろキャンディー🍭が欲しい!!!って言われまして…。
食べきれないだろうとは思いつつ、絵本とかにも良く出てくるから一度はあげたいなと思っていたので買ってみました。

案の定、二口三口で飽きて渡されましたよ😆

ひとしきり遊び自転車に乗って帰る時になって、また「あめ」を所望されたので渡しました。
そしたらね、自転車で移動している間に寝ちゃってて、家に着いたら手にもってなかったんです。🍭

起きて、アメが無いことに気がついたら息子はわたし(母ちゃん)が捨てたと思って怒って泣き始めました。
軽いパニックで、「わたしは捨ててない」と言っても聞きゃーしません。

探しに行け、
ポイしちゃだめ、
また買ってよ
などと言いながらポカポカ👋してきます。

濡れ衣をはらすためにマルバツメモを書いてみた。


×お母さんは捨ててない。
○きみが寝ている間に落とした。お母さんは前をみて運転していたから、どこにアメを落としたのか分かりません。分からないから探せません。

見ながら説明したら説明を聞くことができ、内容が伝わり、ほどなく泣き止みましま。
「水飲む。パズルする」と無いものは諦めて、いまできることに意識をむけられました。

アメ🍭が無いことにパニック起こして泣いて怒っても、それを「自分がやった」のなら、わりとすんなりと受け入れて切り替えられるもんなんですよね。

障害があるとか3歳とかに限らず、思春期になっても大人になっても、高齢者だってそうだとは思う。

自分の預かり知らぬところで他人(母親だって本人ではない)がなんかすることで、怒ったりパニック起こしたりが長引くんですよ。

暮らしを自分ごとにするってそういうことで。
それが穏やかな暮らしの基本になる。

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