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【note創作大賞2024応募作品】Monument(第14話)

第四章(3/3)

眞琴

 アクセスルートを、探さねば。
 わたしは、返信をためらった。
 啓太郎にとって、旧交を温めるには短すぎるひと時が、今のわたしたちには命取りになりかねない。

「会おう。夢のことも確かめたいし」
「でも、啓太郎は」
 巻き込みたくない。
「心配ない。遠まわしに確かめてみるだけだ。すぐに済む」
「でも、アクセスルートのほうが、先でしょう?」
「やみくもに探し回ったところで、時間を無駄にするだけだ。まずは麦の真意を確かめよう」

 管理棟から、雨合羽のボランティアが、ぞろぞろ出てきた。
 もうすぐ、午後の作業開始だ。

 手短に、メールを返した。毬野が一緒だ、と書き添えて。
 すぐに戻ってきた返信には、「驚愕」を表すらしい顔文字だけが記されていた。


 待ち合わせの南改札に着くと、毬野は軒下で柱に寄りかかり、髪をひねくり回していた。
「ごめん、遅くなった」
「いや、時間通りだよ。雨が上がってよかったな。荷物、持とうか?」
 毬野に言われて、昨日と同じ資料と、香澄の絵は持ってきた。
「平気だよ。それよりさ、くどいようだけど」
「心配ない。確かめてみるだけだ」

『まもなく一番線に、快速急行が参ります……』

 列車がホームに滑り込む。
 啓太郎は、これに乗ってきたはずだ。
 ラッシュアワーには、まだ早い。
 まばらな降車客をジグザグに追い越す、短い猫毛のぽわぽわ頭――家族写真のままの啓太郎が階段を駆け下りてきて、改札を抜け、真っ直ぐ、わたしたちのところへやって来た。
「よっ! ご無沙汰。毬ちゃん、眞琴っちゃん」


 昨日と同じ個室居酒屋に、席を設けた。

「生、三つ」
 啓太郎の注文を二つ取り消し、ウーロン茶にした。
「なんだよ。二人とも飲めないの?」

 グラスを合わせる啓太郎の薬指に、指輪が光った。

「どうしたの? いきなり。『会いたい』なんてメールだったから、びっくりしたじゃない」
 まずは、探りを入れてみる。
「うん、泊りがけの出張でね。よく通るんだよ、この駅。今日は時間が余っちゃってて、ちょこっと寄り道」
 啓太郎の目が毬野へ移る。
「にしても、毬ちゃんが一緒だなんて、こっちこそびっくりだよ。いつの間に二人、そういうことになっちゃったわけ?」
「誤解だよ。永年勤続の休暇でね。帰省がてらのボランティアさ。そうしたら偶然、こいつと一緒になって」
 如才のなさ過ぎる毬野の返事が、かえってウソっぽく聞こえなくもない。
「へえー。そうなんだ」
 啓太郎の作り笑顔が「それはないでしょ?」と言っていた。
「啓太郎こそ、どうしたのよ。話って何?」
「うん。ちょこっとね。助けてもらいたくて。今日は相談」
 啓太郎にしては、神妙だ。
「助けって、わたしに?」
「うん。毬ちゃんも一緒なら良かったよ。これなんだけど」
 啓太郎が差し出したケータイには、ひしゃげた箱が写っていた。
「これって!」
「そっ。電気ホタル。香澄ちゃんから修理で預かってたんだけど、夜逃げんときのどさくさで。回路だけなら俺でも、って思ってはみたけど」
 啓太郎に手芸は無理だろう。
「今日は毬ちゃんも一緒だっていうからさ、いい機会かなって」
「最初から作り直したほうが、早そうだな」
 毬野が、見積もった。
「そっか。だったらさ、せっかくだし、俺たち三人で、また一緒にやらない?」
「それはいいけど、作り直してどうするつもり?」
「別にどうする、ってわけでもないんだけどね。壊れたまんまってのも、なんかさ。気が引けて」

 啓太郎はジョッキを一気に飲み干すと、座布団を外し、ひざを揃えて平伏した。

「どうしたの? 啓太郎」
「ごめん。毬ちゃん、眞琴っちゃん。聞いてくれ。俺ね、今も時々、夢に見るんだ。香澄ちゃんのこと」
 毬野と顔を見合わせた。
「啓太郎、ちゃんと聴くから。落ちついて話そ。ほら、顔あげて。ね」
「ありがと。憶えてる? 香澄ちゃんちの茶色いピアノ。夢でね、香澄ちゃん、いっつも、あのピアノ弾いてるんだ。なのに電気ホタルがどこにもなくて、代わりにバラの花束がピアノの上に……」
「おまえ」
 怒声とも聞こえかねない毬野の声。
「うそじゃないって! こんなこと、うそついたって、しょうがないだろ――きっと、俺が預かりっぱなしにしてるから」

「啓太郎。その夢って、これのこと?」
 スケッチブックの、ピアノのページを開いて見せる。
「?!」

 せわしなくページを繰る啓太郎を前に、毬野は独り言みたいに呟いた。
「眞琴。おまえの言う通り、なのかもな」

「直に現地を見てみたい」

 計画を告げると、麦は迷わず言い切った。
 侵入経路のことだ。
 
 眞琴の車を待つ間、コンビニのアイスコーヒーを片手に、麦は資料を吟味する。
 付箋が三つ、地図に載った。
 四枚目が貼られたところで、眞琴の軽がやってくる。

 麦が印をつけたのは、いずれも確認済みの場所だった。
 でも、麦の眼でなら、どうだろう。


 一カ所目、二カ所目。
 三カ所目では、ずいぶんと時間をかけた麦が、蚊にでも刺されたのか、首筋を掻きむしりながら降りてきた。

 どうやらここも、ダメらしい。

 眞琴が勧めるタオルも断わり、地団駄を踏んで、革靴に着いた泥を落とすと、最後のポイント――四カ所目までは、駆け足になった。
 汗で背中に張り付いたシャツが、草の汁で汚れている。

 やつが選んだポイントは、すべて急峻な谷間にあった。
 考えていることは、僕と同じだ。
 谷にまっすぐフェンスを渡すと、下に隙間が空きやすい。風雨で浸食が進んでいれば、くぐり抜けられるかもしれない。

 麦は、肩を落として戻ってくると、力なく首を左右に振った。

 やつには明日も仕事がある。もうそろそろ、時間切れだ。

 風が冷たくなってきた。
 遠く、雷が轟く。
 夕立が近い。

 諦めきれないのか、麦は助手席でルームランプを灯すと、地図を睨んだ。

「どう、啓太郎?」
「……ごめん。眞琴っちゃん」
 麦がファイルを、ぱたりと閉じた。
「この資料さ、今度、コピーもらっていいかな?」
「うん。ありがとね、啓太郎」
「ありがとう、麦――行こうか、眞琴」


 遊園地の丘を離れる。
 大通りへ出たところで、フロントガラスに大粒の雨が弾けた。
 雷鳴一発。バケツをひっくり返したような土砂降りになる。

 最速にしても、ワイパーが効かない。

「眞琴、ストップ。どこかへ寄せて、停めてくれ」
「それじゃあ、啓太郎が間に合わないでしょう?」
「俺はいいから。停めて、眞琴っちゃん」
 
クラクションと飛沫しぶきを浴びせかけ、ダンプカーが追い越していく。

 交通量の多い時間だ。ハザードは点けているけれど、追突でもされようものなら、こちらは軽自動車だ。ひとたまりもない。
 慎重に大通りを離れ、用水路沿いの農道に落ち着いた。
 流れは茶色く濁っていて、見る間に水位が上がってくる。


「啓太郎。時間はいいの?」
「うん、まだ平気。眞琴っちゃん、もう一回、資料。いいかな?」
 振り向いた麦が、後部座席に手を伸ばした。

「ねえ、この筒の中も、地図かなにか?」
 やつの手が、青いアジャスターケースをつかんだ。
「啓太郎、それは……」
 ケースを一目見た、麦の顔色が変わった。
 見つけたのだ。森ノ宮の名を。

「見せてもらうけど、かまわない、よね?」
 眞琴が、顔をそむけた。
 僕はもう、なにもできない。
 画用紙が軋む。

 うかつだった。隠してしまうなりなんなり、しておけばよかったものを。

 麦が、天を仰いだ。
 呑み込みそびれた息が、切れ切れに漏れる。

 僕はポケットの中で、カプセルにそっと手を重ねた。
 運転席で、顔を背けた眞琴の肩も、震えていた。


 雲が、流れた。

 無言のまま車を出そうと、ルームランプに伸ばした眞琴の手を、麦が静かに遮った。

「待って。ねえ、雨は。 雨は、どこへ行くんだろう?」
「雨? なんの話だ」
「遊園地に降った雨」

 地図の中、麦の指がボート池を叩いた。
「雨が全部、この池に集まるとすれば――」

 そうか。
 絶対にある――あるはずだ。

「水路、か!」

眞琴

 ドリンクバーから戻ってみると、テーブルは散らかり放題になっていた。

「遅いよ、眞琴っちゃん」
 啓太郎が注文したのはアイスコーヒー。シロップなしでミルクたっぷり。
「見つけたぞ、眞琴。説明するから座ってくれ」
 毬野はコーラで、氷は三個。
「座りたいけど、これじゃ飲み物、置けないよ。テーブルの上、片付けて」
 わたしのはマグのミルクティーだ。

 向かい合って座る毬野と啓太郎は、トランプでも混ぜるみたいに資料をかき集める。
「ちょっと。雑に扱わないでよ!」
 わたしが何年もかけて集めたものを、こいつらは、どういうつもりだ。 この上、飲み物でもこぼされたら、たまらない。
「用のあるもの以外は、椅子の上に置いて」
 雑にまとめられた紙束は、毬野の隣の席に積まれた。

 まあ、いい。
 アクセスルートのほうが気懸りだ。
 わたしはテーブルにトレーを降ろすと、空いている啓太郎の隣に座った。

 目の前には、幾度見返したのかもわからない、遊園地の平面図。それと、航空写真。
 図面は竣工当初のもので、写真は開園記念の空撮だ。

 三度目の体験ボラの時。

 秋台風に見舞われた園の一角に、小規模ながら土砂崩れがあった。
 修繕のため、管理棟内に設けられた工事事務所から、わたしは密かに図面や写真をコピーした。
 その時のものだ。


「見てくれ、眞琴」

 そう話を切り出した毬野は、入り用なものまで片付けてしまったらしく、隣の席に、山積みの資料を漁りだす。

 やれやれ。いつ本題に、入れることか。

「啓太郎。時間は大丈夫?」
「もちろん、さ」

 啓太郎はケータイを取り出すと、席を外すでもなく通話を始める。
「あ、課長。急な話で、すみません。親しい友人が亡くなりまして」
「ちょっ……啓太郎。ダメだよ、そんな」
 わたしの制止にも、おかまいなしで、啓太郎は有給休暇を申請すると、電話の向こうに、仕事を引き継ぐ。
 そして、指先でマイクを塞ぐと、片眼を瞑った。
「眞琴っちゃん。今さら俺だけ、のけ者なんて、あんまりだよ」


 毬野が、資料の山から掘り出したのは、国土地理院の地形図と、古地図だった。

 地図の上、遊園地は小高い丘に囲まれて、東西に長い楕円形の、盆地に見える。
 ボート池は、その南西寄り――バラ園とは対角線上にあって、その辺り一帯が、園内で最も低いことを等高線が示していた。

 竣工図の上、毬野がバラ園をペンで指す。

「バラ園に降った雨は、この駐車場を突っ切って」
 ペン先が、バラ園から続く線上を進む。
「すべて、この池に集まる」
 ペンが、くるりと池を囲んだ。
 そこからは遊園地の方々へ、クモの巣みたいに、雨水路が広がっている。

「水は、この谷間を下って遊園地の外へ」
 毬野の手は竣工図を離れ、古地図に移った。
「ここへ出る」
 付箋が張られたのは、遊園地との境界に接する道路の上だ。

 竣工に近い年代を選んで役所のホームページからダウンロードした古地図は、画素が粗くてわかりにくい。
 けれど、そこからは青い線が伸びていた。
 それを毬野のペン先がなぞっていく。
 緩やかな「く」の字を描いて、しばらく進むと、川に突き当たっていた。

「で、これを航空写真で見てみると」
 次は啓太郎が、写真を示す。

 ――あった。
 田畑の間を突っ切って、地図と同じく「く」の字に湾曲して走る線。
 やはり、川に合流している。

「ここが、目指す入り口。で、この水路を辿っていけば」
 川と水路との交点から、今度は逆に遊園地へ。ボート池を経てバラ園まで、写真の上、啓太郎が指を滑らせた。

「これで、おまえの資料にあったアライグマにも説明がつく」
「アライグマ?」
「そう。ここ二年で害獣駆除のワナに、アライグマが三頭もかかってる」
 川と水路との交点を中心に、毬野のペンが大きく輪を描いた。
「この辺り、アライグマが畑を荒らして問題になっているんだ。市役所のホームページでも確認できた。昨年度だけで八頭も駆除されている」
「毬ちゃんも人が悪いなあ。アライグマに目をつけてたんなら、最初っから教えてくれればよかったのに」
 啓太郎が唇を尖らせた。

「アライグマの行動範囲半径は1キロ前後ってネットにあった。雑食性で、水に棲むものは、なんでも捕って食べるらしい」
「食いっぱぐれたのが獲物を求めて園内へ。って、いかにもありそうでしょ? 遊園地でワナにかかった一番大きいのは22キロだってさ。そんな大物が通れるんだったら、人だって――ねっ、毬ちゃん」
「ああ。断面図は見当たらなかったけど、航空写真に写るくらいだ。水路の幅は、2メートル以上はある。と、すれば深さのほうも……」
「ちょっと待って。でもさ、園の外周、一緒に見て回ったよね。もし、そんなものがあったんだったら……」
「眞琴、これは開園当初の写真だろ?」
「蓋をつけて埋めるか何かしたんじゃないかな。眞琴っちゃん」
 なるほど。
 安心安全の遊園地に、丘を下る急流なんかあったら、洒落にもならない。

 わたしはもう一度、写真と古地図、竣工図とを見比べた。

「これは、何?」
 写真の中には水路に沿って、池のほとりと、斜面を下る途中に二カ所、遊園地を出る直前にも、四角く何かが写っていた。
「堰だと思う。落ちてくる水の勢いを、ここで止めるんだ」
「それと、落ち葉とか、枯れ枝みたいなゴミが流れていっちゃわないよう、溜めておくためにね。ま、俺たちにとっちゃあ好都合。ね、毬ちゃん?」
「好都合?」
「ああ。眞琴、水路の中、よく見てみな」

 写真を手に取り、近づける。

「水路に沿って、通路と階段があるんだ」
「ほら、眞琴っちゃん、ここ。斜面のとこ。階段みたいに見えない? それと、ほら、ここと、ここにも。きっとゴミを浚うため、人が歩けるようにしたんだよ」
「クチナシの苗を背負って、水の中をさかのぼるなんて、容易じゃあないなと思ってたけど、これなら。な?」
 毬野と啓太郎が、うなずき合った。
「ほんとなの? わたしには、よくわからないんだけど」
「ああ。写真だけじゃあ確信は持てない」
 毬野が不敵に口角を上げた。
「だから、確かめに行ってくる」


 ホームセンターで、啓太郎が作業着を揃える間、毬野は釣り具のコーナーで買い物を済ませた。
 一旦、家に戻って支度を整えると、わたしは毬野の言うままにハンドルを切った。


「ここ、だな」
 後部シートから身を乗り出した毬野が、カーナビの上、まもなく差し掛かるT字路を指した。
 水路がある、はずの場所らしい。
「なんにも、見当たらないけれど」
 ヘッドライトは、灰色のアスファルトを照らしているだけだ。
「暗渠にしたのさ」
 助手席を倒した啓太郎が、頭の後で両手を組んだ。
「あんきょ?」
「うん。道路の下の水路。ってか、元々あった水路に蓋をして、道にしたんだ」
「思ってたより広そうだな。眞琴、右折してくれ」

 なだらかに下っていく道。
 両側には、民家が連なっている。
 時刻はもう深夜に近く、灯りの見える家はほとんどない。

「今、走ってる、この道の下が水路なんだ。わかる? 眞琴っちゃん」
 啓太郎がカーナビの画面に触れると、地図がくるりと回転し、車を示す赤い矢印のほうが、そっぽを向いた。
 さっきの地図とそっくりだ。

 矢印は、緩やかな「く」の字に沿って進んでいく。
 ヘッドライトが、白いガードレールと、左右に振り分けられたカーブミラーを捉えた。

「突き当たりで左折したら、適当なところで停めてくれ」

 適当なところがみつからず、十メートルほど進んで左へ寄せると車を停めた。
「ライト、消して」
「エンジンも止めてね」
 川沿いに、ぽつりぽつりと街灯が点る。
 かすかに、水の音がした。

「ねえ、ほんとに行くの?」
「ああ、今日中に確かめておきたい」
「危なくないの? また、急な雨でもあったら」
 カーラジオは、夜半過ぎまで、急な雷雨に注意を呼びかけていた。
 水路の中に、逃げ場はない。
 もし、夕方みたいな雨になったら……。

「へーき、へーき」
 啓太郎は楽天的だ。
「二時間以内に連絡する。そうしたらまた、ここへ迎えにきてくれ」
 腕時計を見ながら、毬野が言った。

「二時間を過ぎても、連絡がなかったら?」
 カーナビに位置を記録しながら、つっけんどんな物言いになった。
「ねえ、その時は! どうすればいいの?」

「そんなこと、絶対ないから心配するな」
「安心して待ってて。眞琴っちゃん」

 二人は車から飛び出すと、ルームランプが消える間もなく、真っ黒な闇に呑まれていった。

(つづく)

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