【note創作大賞2024応募作品】Monument(第6話)
第二章(3/4)
眞琴
「来るよっ!」
歩道橋の手すりから身を乗り出して、階段下に隠れる毬野と啓太郎に合図する。
すかさず二人が飛び出した。
手にしているのは「通行止め」と記されたオレンジ色のバリケード。スクールゾーンを示すものだ。
あたしが階段を駆け降りたときにはもう、バリケードは二つ据えられていて、ふんぞりかえった啓太郎が満足げに両手のホコリをはたいていた。
「隠れよう」
毬野が啓太郎の袖を引っ張る。
あたしたちは歩道橋の下に身を潜めた。
と同時に、正門から赤い車が姿を現す。森ノ宮さんを乗せた車だ。
学校から車道へ出ようとすれば、この歩道橋の脇路しかない。
そこを今しがた、あたしたちが塞いだわけだ。
「母がなんて言うか……」
あたしたちの誘いに、森ノ宮さんは、そう口ごもった。
「だったら、香澄ちゃんのお母さんを、おれたちで説得しよう」
というのが、啓太郎の考えだ。
もちろんそれはいいけれど、たったそれだけのために、森ノ宮さんの車を停めてしまおうだなんて。
「今夜にでも電話して、明日の夕方、改めてお時間をいただこう」
あたしと毬野の説得を、啓太郎は頑として拒み、しまいには、
「じゃあいいよ。俺一人でやるからさ」
なんて言い出したものだから、やむなく従うはめになった。
森ノ宮さんのお母さんの、心証を害したら元も子もない。
話をする役は、毬野が買って出た。啓太郎では要領のいい話は望めそうになかったし、なにより敬語が危なっかしい。
あたしが請け負おうとしたけれど、今度は毬野が譲らなかった。
車は、ゆっくりと正門前の橋を渡って進んでくる。
バリケードが見えたのだろう。車が停まった。
ここで校内へ引き返されてしまえば、啓太郎の計画は水泡に帰す。
あたしたちはバリケードを片付けて、一目散に退散だ。
あたしの心配をよそに、車は再度徐行してバリケードの手前で停まった。
運転席が開き、お母さんが降りてくる。
臆することなく毬野は飛び出し、深々とその頭を垂れた。
「ごめんなさい。ぼくたちのいたずらです」
無言のままサングラスを外したお母さんは、顎のラインを除けば森ノ宮さんとはあまり似ていない。
「香澄さんの同級生で、同じ班でお世話になっている毬野馨と申します」
「黛眞琴です。すみません。お引き止めしてしまって」
「麦谷啓太郎です。ちょっとだけ話、聞いてくれませんか? おれたち、香澄ちゃんの友達で」
「お友達? あなた方がみんな、香澄の?」
「はい。実はお願いがあって、お引止めしました」
毬野の弁に、もう一度、三人揃って頭を下げる。
「お願いって、なにかしら?」
「次の三連休の最終日、香澄さんとプラネタリウムに行きたいんです。無理のないよう、お昼までには……」
「ごめんなさいね」
返事のつづきを予想して、あたしは落胆しかけた。
「車を寄せるから、ちょっとだけ待っていて――香澄、降りてお友達に、ご挨拶なさい――あ、それは片付けておいてね。他の方のご迷惑になるといけないから」
バリケードを指さしながら、お母さんが運転席に戻る。
男二人にバリケードを任せ、あたしは森ノ宮さんを迎えようと、車の助手席側に向かった。
赤くて小さな、かわいい車だ。
ボンネットの上には、やけに目立つところに若葉マークが張ってあった。
――ん? この車。前にもどこかで見かけたような。
助手席側のドアが開いて、森ノ宮さんが姿を見せた。
きっと驚いたことだろう。もしかしたら、怒らせてしまったかもしれない。
お詫びを口にしかけて、あたしは言葉を飲み込んだ。
ドアの影に半分隠れた彼女の顔は、くしゃくしゃに歪んでいた。苦虫でもかみつぶしたみたいに。
「ごめんねー、香澄ちゃん。驚かしちゃった?」
立ちすくんだあたしの後ろから、いつもの調子で啓太郎が詫びる。
「ううん。ありがとうございます。母に話しをしに来てくださって」
髪を揺らしながら、そう応えた森ノ宮さんは、もういつもの「森ノ宮さん」に戻っていた。
馨
結局のところ麦の企てが功を奏したことに、ぼくは少しだけ複雑な気分だった。
ぼくらはもう、子供じゃない。していいことと悪いことの区別はつけるべきだ。
森ノ宮のお母さんは、ぼくらのいたずらに腹を立てるどころか、プラネタリウムへの誘いを、むしろ喜んでくださった。
緑地公園までは、森ノ宮を車で送迎してくれるという。ひとまず、移動の心配がなくなっただけでも大助かりだ。
「お昼はどうするの?」
「いえ、お昼前には」
帰宅しますと告げる前に、
「そうだ。お弁当を作りましょう」
と、お母さんの話が飛躍した。
辞退しようと言葉を選んでいる隙に、麦が最敬礼してご厚意を受ける。
午前中で散会だったはずのプラネタリウム見学には、なし崩しにピクニックの予定が加わった。
異変は、翌日起こった。
朝、いつも通り教室の扉をあけると、森ノ宮の姿がない。
水槽のランプは灯っていたが、エアポンプはオフのままだった。
ふたが外れていたので、戻そうとしたぼくは、あっけにとられた。
メダカが一匹もいなかったからだ。
水草の陰か、石の裏側にでも集まっているのか?
試しに餌を落としても、やはりメダカは上がってこない。
濾過フィルタも開けてみた。ここでもない。
……もしや。
教室を飛び出しざま、佐伯先生と鉢合わせになった。
「おはよう毬野くん。今朝も早いのね」
「おはようございます、先生。森ノ宮が」
「保健室で休んでいるわ。だから今は会わせてあげられないの。ごめんなさいね」
「具合はどうなんですか?」
「大丈夫。ちょっとめまいがしただけらしいから、きっとすぐに良くなるわ」
誰の仕業だ!
あんなに森ノ宮がかわいがっていたメダカを、一匹残らず。
空っぽの水槽をみて、森ノ宮はなにを思ったことだろう。
授業がはじまっても、森ノ宮は教室に戻ることなく、そのままお母さんの迎えを待って早退となった。
ぼくが、まず疑ったのは、いじめだ。
でも、森ノ宮が誰かに嫌がらせをされているような様子や素振りは、今までにみかけたことがない。
優秀な成績や小学生離れした態度とも相まって、級友たちはみな、良くも悪くも森ノ宮とは少し距離を置いているように見える。
いわゆる、お客様扱い。
いじめなんて、起こりようのない状況だ。
池の様子を見に行ったのは、その日の放課後。
水面には、ぽつんとメダカが浮いていた。
背骨が少し曲がっている。水槽の中で、でんぐり返しをしていたやつだ。
何者かが、池にメダカを放したのか?
事の次第を報告すると、松平先生は、
「メダカの単元も、もうすぐ終わりですから、授業には差支えないよう、私のほうで何とかしましょう。それと」
森ノ宮の容態を確かめてくれていて、明日は登校できるらしい。
夕方、ぼくは眞琴と麦の手を借りて、水槽を理科準備室に片付けた。
再び、森ノ宮の目に触れることがないように。
眞琴
連休最終日は、朝から雲一つない快晴になった。
冴えわたる蒼ではないけれど、青い絵の具に、ちょっぴり白を溶いた色。
まだ夏前の優しげな青空。
からりと乾いた風が、気持ちを外へと誘ってくれた。
あたしは、母におねだりした淡いピンクのポロシャツをおろすことにした。あたしの持っている服といったら、どれもこれも姉のお下がりだったから、色褪のない真新しい服に袖を通しただけでも気分が上がった。
下は洗いざらしのジーンズにした。こっちは姉の履き古しだったが、いい具合に色落ちしていて、なによりとても柔らかい。あたしよりずっと背の高い姉の持ちものだったから、裾は折返して丈を合わせた。
髪は先週、母にそろえてもらったのが、ようやく落ち着いてきたところだ。
母は仕事で、姉は部活で朝から出ていたから、三面鏡は遠慮なく使えた。
うん。まずまず、か。
ちょっとジーンズがだぶついているのは仕方ないとして、折返した裾もかわいいといえばかわいい。
ポロシャツに合わせたピンク色のスニーカーは、しっかりと洗って乾かしてあった。
毬野が立てる計画には、毎度ながらそつがない。
公園の駐車場で森ノ宮さんと合流し、お弁当を受け取る。
プラネタリウムの最初の投影を観て、その辺の木陰で昼食を済ませ、午後三時には駐車場で森ノ宮さんをお母さんにお返しし、その場で散会。
外で過ごす時間が長めなのはちょっぴり心配だったけど、毬野が森ノ宮さんを説き伏せて、車椅子を使ってもらうことになっていた。
森ノ宮さん、か。
彼女のことを思ううち、しぼんでくる気持ちを、あたしは止めることができなかった。
助手席から降りてくる、森ノ宮さんの顔がちらついた。あれは、あたしの見間違い。眼の錯覚だったのだろうか。
森ノ宮さんのお母さんと話をした翌日、体調を崩した彼女は保健室登校となり、そのまま早退したので顔を合わせてはいない。
次の日、元気に登校してきた彼女には、前日の不調を思わせる素振りは何もなかった。
「ご心配をおかけしました」
そう詫びた彼女は、プラネタリウムへのお誘いを、ご両親がとても喜んでくださったとあたしたちに話してくれたし、なにより森ノ宮さん自身「流れ星が楽しみだ」と言ってくれている。
なのに、車を降りる彼女がみせた、ゆがんだ表情が、どうしても頭を離れてくれない。
不安になった。
あたしは、あたしを隠し通せているのだろうか。毬野に、啓太郎に――森ノ宮さんに。
その答えは、鏡に映った「あたし」が教えてくれていた。
馨
扉をくぐると、車椅子の森ノ宮がこわばった。
「大丈夫。怖くないよ」
「あっ、はい」
これを初めて見たときは、ぼくも一瞬、足がすくんだ。
ドームの中央に屹立する、無数の複眼に覆われた蜘蛛のような真っ黒い機械。
これが美しい星空を投影するために造られた装置、プラネタリウムだとは。
連休最終日、午前最初の投影に来館客は少ない。
大きな包み――森ノ宮のお母さんが作ってくれたお弁当――を両手に提げた啓太郎が、すかさず解説席の前に陣取る。
今日の投影は春から夏の星座だから、南の空を一望できる特等席だ。
「流れ星、盛大にってお願いしてきた。車椅子は解説席で預かってくれるって」
と、顔馴染みの解説員さんに挨拶してきた眞琴にも抜け目がない。
「早く、早く」
麦が、せわしないしぐさで、ぼくらを手招く。
「悪い、森ノ宮。先に行っててくれ」
「すみません。車椅子、よろしくお願いします」
車椅子を畳んで通路に退ける。それを眞琴が解説席まで運び、ぐるっと回って麦の向こう側に座った。
ぼくは、麦との会話が弾む森ノ宮のとなりに、そっと腰を下ろした。
森ノ宮の膝の上には、古い大きな麦わら帽子。
口元に手を当てて笑う、その姿は普段となにも変わりない。
今朝、ぼくらが着いたときにはもう、森ノ宮はお母さんと駐車場にいて、車椅子の膝の上に、お弁当を載せて待っていた。
「午後三時までには、ここに戻りますので、お迎えよろしくお願いします。香澄さんをお借りします」
「承知しました。香澄をよろしくお願いします――香澄、お友達を困らせるようなこと、しちゃだめよ」
「うっさいなあ。わかってるよ、もお。いいから早く帰ってよ」
麦はお弁当を両手に飛び回り、眞琴は麦に口をとがらせていたから、森ノ宮が放った、この舌打ち混じりの悪態を聞き取れたとすれば、たぶんぼくだけだったろう。
麦わら帽子の陰から、ちらりと様子をうかがった森ノ宮の視線を、ぼくは知らんぷりして受け流した。
投影開始の、ブザーが鳴った。
輝きのない、判で押したみたいな太陽が流れるように西空へ沈むと、薄暮の空に点々と星が現れる。
『では、山奥や高原でしかお目にかかることのできない、ほんとうの夜空をご覧いただきましょう!』
闇が一段と引き締まって後退すると、街灯りに埋もれていた星々が一斉に瞬き始める。
ぼくのとなりで森ノ宮が、小さく息を呑み込んだ。
(つづく)
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