【note創作大賞2024応募作品】Monument(第3話)
第一章(2/2)
眞琴
「すみません。お名前をお願いします」
同じ台詞を繰り返して、名簿にチェックを入れていく。
最初に来たのは、くだんのご夫婦で、そのあとに大学生が続いた。
定刻まで、あと五分。出席者の列が途絶えた。
「毬野馨」は、現れない。
すっぽかされてしまったか?
いや、毬野に限ってそんなこと……
「みんなそろったかな、眞琴っちゃん?」
プロジェクターの調整を終えた脩さんから声が掛かった。
「いえ、あと一人……」
「すみません。遅くなりました」
聞き覚えがあるようなないような声。
「毬野馨です。登録は『球野』になっているかもしれませんが」
見上げると、ひょろんと上背のある男が、髪を摘まんで立っていた。
「あ、はいっ。毬野さん、ですね」
毬野馨に、違いなかった。
「お待ちしていました。名簿のほうは訂正してありますので、資料のあるお席へ、ご自由におかけください」
「気にしないでください。いつものことですから」
わたしにも、わたしの余計な一言にも気づかず、毬野はよそ行きの笑顔で名簿だけ一瞥すると、空いていた一番前の席に腰かけて前髪をひねくり始めた。
懐かしい癖も、そのままだ。
考え事をするとき、困ってしまったとき、照れたとき。
毬野はいつも前髪に人差し指を絡めた。
その原因を最も多く作ったのは、たぶん啓太郎だったろう。
図書室に月刊の科学雑誌が並ぶと同時に、
「ねえねえ、今度はこれ。これなんか、どう?」
飛行機、自動車、船などの模型。
タイマーとか、ラジオとか、発光ダイオードのランプとか、簡単な電子工作。
お題は、尽きることがない。
啓太郎の提案を実現すべく、考えを巡らせるのは毬野の役目で、わたしはデザインのかたわら、お金や図面の管理をしていた。
工作は、夢中になって進めていると、毎回不意に完成を迎えた。
きっと、毬野の段取りがよかったからだろう。
けれど、そんな毬野の仕切りでも、時には壁に突き当たる。
必要な部品がどうしても手に入らないとか、組み立てを誤ってしまって、もう一度はじめからやり直しとか。
にっちもさっちもいかない。
そんなときが、啓太郎の出番だった。
放り出してしまうほうに、ではない。
思いがけないものを組み合わせて代用したり、間違いをそのままにしても先へ進める、突飛なアイデアを思いつく。
デザインのわたしに、進行の毬野、そしてピンチのときの啓太郎。
わたしたちは、三人そろって……
「眞琴っちゃん、前のほうだけ電気消してくれるかい? おーい、眞琴っちゃんってば」
「んっ? ああっ、はいっ!」
脩さんに促されてスイッチを切り、わたしはわたしの席を探した。
空いていたのは一番前。
毬野の隣、だけだった。
馨
辺りが急に明るくなって、浅い眠気が吹き飛んだ。
「このバラ園には、希少な品種も数多く植えられています。お金を払ってでも分けてほしい。そんなお問い合わせも少なくありません。持って帰ればネットで高く売れるかもしれませんが、そんなことしないでくださいね。このバラ園は、市の大切な財産なんですから」
説明会の大半は、頬杖をついて、うたた寝に費やした。
体裁だけ取り繕おうと、人目を引いてしまわぬように肘を浮かせかけたところで、隣に座る女と目が合う。
さっき受付をしていた女だ。
居眠りは見咎められていたらしい。
暗幕を開けながらボランティアのまとめ役だと自己紹介した、ヤギヒゲに丸眼鏡の男が続ける。
「また、以前ですが、ご自宅のバラの鉢植えを、園内に植えようとされた方がおられました。念のためですが、ご自宅で面倒をみられなくなった動物を放したり、植物を植えたり、種を蒔いたりしないください。これは園内の種を管理するため、厳重にお断りしています」
質問を求められたが、挙手するものは誰もなく、
「では、明日からの三日間、よろしくお願いします」
と、説明会は締めくくられた。
内容は、ほとんど頭に残っていない。まあ、後でプリントだけ読み返えしておけば、どうとでもなるだろう。
雨は上がったらしく、空模様も幾分明るい。夕暮れまでにはまだ、たっぷりと時間がある。
軌道沿いを探索しよう。そう決めて腰を浮かすが、出入口は大学生で塞がっていた。懇親会の予定でもあるのか、なかなか部屋から掃けていかない。
手持無沙汰にバッグの中身を整理するふりをしていたら、
「あの、すみません。毬野さん」
隣の女から声が掛かる。
面倒ごとはごめんだ。
素っ気なく、
「はい」
なにか? と続けるつもりが、女の早口に阻まれた。
「お久しぶりです。憶えてますか? わたしのこと」
大学の同窓。会社の同期。取引先の知り合い。
僕を覚えていてくれそうな女の人の数なんて、片手で足りる。
一通り記憶を手繰ってみたが、誰にも思い当たらない。
人違い、だろうか。
いや、相手は僕の名前も住所も、年齢だって知っている。他人のそら似のはずはない。
「わかんないんだ。ひどいなあ」
彼女は僕の視線を読んで、腕組みの中に名札を隠した。
「忘れちゃったんだ。わたしのことなんて」
わざとらしく、拗ねたそぶりで、よそを向く。
浮かんだえくぼに、昔馴染みの面影が重なる。
「眞……黛――さん?」
「あたり。呼び捨てでいいよ、毬野くん。ほんと、久しぶり」
黛眞琴は、その場でくるりと、背を向けた。
「ねえ、時間ある? ちょっとだけ話、いい?」
眞琴
待ち合わせになんか、するんじゃなかった。
今日は休館の月曜日。
脩さんさえいなければ、あのまま講義室で後片付けを待ってもらっても、なにも差支えなかったのに。
ほんとは毬野から、ちょっとでも眼を離したくなかった。
また、ぷいっと姿をくらませてしまわないか。そんな思いが、頭にこびりついて離れない。
それにしても、展望台で待ち合わせ、だなんて、気が利かない女だと思われたことだろう。けれど、わたしは毬野との再会を、どうしてもここから始めたかった。
城址公園への急坂を登りきると、空が開けた。
あいにく展望台は反対側だ。
雨上がりの夕方に人出は少ない。公園をまっすぐ突っ切って、わたしは展望台を目指した。
エレベーターを呼ぶ。
展望デッキに上がったままで、なかなか降りて来てくれない。
鏡を見ておこうかとバッグを探る。
その間に、エレベーターの扉が開く。
毬野は待って居てくれるだろうか。展望デッキに人影はなかった。
かつての友人。
とはいえ、あれからもう二十余年。
どうしていたかも定かでない女からの誘いに、のこのこ乗ってくるほど、毬野は今でもお人好し、だろうか。
エレベーターがデッキへ着く。
毬野の姿は見あたらない。
早足にデッキを巡る。
「ごめん、お待たせ」
「いや。辺りを観ながら、ゆっくり来たから。今、着いた」
思った通り、毬野は病院を見下ろす側にいた。
軽いめまいに見舞われて、わたしはデッキの手すりに両手を重ね、子供がするみたいに顎を載っけた。
「変わったなあ」
ドキッとしたけど、毬野は町を向いたままだ。
「そうだね。ビルとかマンションとか、ずいぶん増えた。田んぼも畑もなくなっちゃって」
「観覧車は、もうないか」
「遊園地が閉園したときにね。いつのまにか、なくなってた。ねえ、それよりさ。わかるかな? 昔の展望台があったとこ」
毬野は、あっさり指差した。
「あの辺だろ。ほら、一本だけ若い桜が植わってる」
そう。その梢の先で、わたしたちは二十一年前、離れ離れになった。
さて、ここからだ。
講義室の机に頬杖をついた毬野の左手に指輪はなかった。巻き込んでしまう家族はいない。そう考えていいだろう。
確かめなければならないことが、もうひとつ。
なのに胸がつかえて、ちっとも言葉がでてこない。
「おじさんとおばさんは変わりなく?」
当たり障りない毬野の問い。
「父は来年七回忌。母は名古屋。おととしから、お姉ちゃんとこに同居してるんだ」
五年前、姉に二人目が生まれて、わたしの実家も、もうこの町にはない。
「美鈴さん、お母さんになったんだ」
「うん」
「黛さんは?」
黛さん、と来たか。あの頃みたいに「眞琴」って呼び捨ててくれれば、素直に白状できたのに。
「あはは……。わたしなんか、鳴かず飛ばずで三十路だよ」
「あ、いや、ごめん。住まいの話。今、どこに?」
国道沿いのマンション、とだけ短く答え、顔を背ける。
谷を吹きあがってくる冷たい風が、頬を撫でた。
言葉が、うまく続いてくれない。
「ねえ、香澄のこと――憶えてる?」
そっぽを向いたまま。なんの脈絡もなく、思いの丈がこぼれ出た。
返答は、ない。
聞き漏らされてしまったか?
でも、同じ言葉を繰り返す勇気はなかった。
しばらくあって、
「ああ」
と、息を吐くようにそっと。
たったそれだけだったけど、わたしにはわかった。
毬野は忘れずにいてくれたんだ。
二十二年も前になる、半年足らずの出来事を。
話を、してみよう。
慎重に、丁寧に。
そう自分に言いきかせながら、恐る恐る、さもフラれてもいいみたいに、わたしは空元気を装った。
「ねえ、飲めるんでしょう?」
「ああ。あんまり強くはないけどね」
「だったら場所、替えない? ちょっぴり早いけど、夕食がてら」
馨
バス通りを一本はずれて、その店はあった。
修繕の痕にまみれた赤提灯。
縄暖簾をくぐった眞琴の手さばきは、どうやら馴染みの店らしい。
「へい、らっしゃい。お二人さんですね。ご自由にどうぞ」
眞琴はカウンターの一番奥に席をとった。
壁を埋め尽くした品書き札は、どうやら炉端焼きの店らしい。
程なく並んだジョッキを向けて、眞琴は小さく呟いた。
「二人っきりの同窓会に」
渇いた喉に、ビールが滲みた。
成り行きに流されるまま、結局、ここまでついて来た。
知った顔に、よもや眞琴に行き合うだなんて。
虫が知らせた。これは、ただ事では済みそうにない。
「適当に見繕って」
眞琴は慣れた様子で、焼き方のねじりはちまきに声をかける。
「大将は?」
「六時から入りますんで、もう少々お待ちを」
「よく来るのか? ここ」
「ううん。久しぶり。ちょっと驚かしてやろうと思って」
驚かすって、僕を、か。
聞き返そうとしたところへ、串盛りが出た。
「ボランティアの申し込み見て、びっくりしたよ。どういう風の吹き回し?」
返答に詰まった。
「よっ、眞琴っちゃん。お見限りだったじゃない」
ガラガラ声は、大将にふさわしい大男だった。
「ごめん、ごめん。ちょっと忙しくしてたからさ」
串をくわえたまま、眞琴は両手を合わせてみせる。
「こちらさんは? 例のボランティアの人?」
「うん、まあ。ねえ北島くん、彼、誰だかわかる?」
キャッチャーミットみたいな顔が、こっちを向いた。
「小学校の同級生だよ」
どんぐりまなこが、僕の顔をなめ回す。
「毬野だよ。毬野馨。憶えてないかな?」
大将の分厚い両手が、小気味良く鳴った。だいぶ埋まった店内の客が、一斉に僕らの方を向く。大男は肩をすぼめて頭を下げた。
「こちらは北島くん。三年から五年まで同じクラスだったんだけど」
高校を出て、やんちゃした後、二十代半ばから家業を継いだ、と男は語った。名前はもちろん、顔にもまったく憶えがない。
「ごめん」
「いいんすよお。おいらだって、小学校の同級生なんざ、こうやって時々、店に顔出してくれるやつらくらいしかもう、憶えちゃあないんすから」
キャッチャーミットが、くしゃくしゃになった。愛想笑いのつもりらしい。
「そっかあ。あの工作少年が。四年生のときでしたっけ。ミサイル、職員室に打ち込んだのって」
人聞きの悪い昔話は、ちょっとした手抜かりだった。
エンジンの着火手順を間違えて、たまたま機首の向いた先に、職員室があった。それだけの話だ。加えて言うと、小学生はミサイルなんか作れない。兄が残していったおもちゃ。模型用の固体ロケットエンジンを積んだ飛行機だ。
「地元に残ってるやつも、すっかり少なくなっちまって。同窓会、いっつも同じ顔ぶれなんすよ。どうっすか毬野さん、この秋あたり。きっとみんな喜びますよ」
丁重にご辞退するか、社交辞令で逃げきるか。
「北海道に住んでるんだよ。そう簡単には出てこれないって」
思案するまでもなく、眞琴がきっぱり断ってくれる。
「そっすかあ。残念だなあ。今でも語り草ですよ。工作少年だったのが、いきなり猛勉始めたかと思やあ中学受験でしょう。始めてだったんじゃないのかな。うちの学校じゃあ。そうそう、あとほら、あれ。五年生のときの運動会。騎馬戦でさ、ええっと、あの子」
だんっ、と大きな音を立て、眞琴のジョッキがカウンターを叩いた。
「よっ、大将。六人なんだけど」
凍りつきかけた店内の空気を、タイミングのいい来店客の明るい声がほぐしてくれる。
「へい、らっしゃい。小上がりへどうぞ。テーブルつなげますんで、少々お待ちを」
「ごゆっくりどうぞ」と一言残して、大男はバツ悪そうに姿を消した。
賑わいが、戻った。
カウンターに肘をつき、両手の中に顔を埋める眞琴。
右手には、空のジョッキがぶら下がったままだ。
「ねえ、毬野」
と、それっきり。
「森ノ宮のこと。だろ?」
空のジョッキが、頷いた。
だろうな……
僕らが昔話を始めれば、その終点は、どうしたって森ノ宮香澄に行き着く。
清酒を頼み、僕らは互いの盃を満たした。
「香澄に」
「献杯」
(つづく)
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