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【note創作大賞2024応募作品】Monument(第9話)

第三章(2/4)

「見せたいものがあるから、このお店で待っていて」

 引きちぎったメモを僕に押し付け、眞琴は駅の方へと走り去った。


 殴り書きの地図を頼りに、指定された店を探して歩く。
 一度、前を通り過ぎてから、豆を炒る香りに引き戻されて、ようやくたどり着けた。

 古くからある建物らしい。きっと、まだ僕がこの街にいたころからある店だろう。
 通りから少し引っ込んだレンガ積みの壁には、一面の蔦。
 木枠に、分厚いガラスの嵌め込まれたドアも、近頃では物珍しい。
 人手に磨かれた真鍮の把手が、雲間からのぞく陽光に輝いた。

 いまどき流行る店とも思えなかったが、常連客はいるのだろう。

 ドアを引く。
 吊られたベルが澄んだ音で鳴った。

「いらっしゃいませ」
 水仕事でもしていたのか、カウンターの向こうから銀髪をなでつけたマスターが手を拭いながら迎えてくれた。
「お一人様ですか?」
「いえ。後から、もう一人」

 店の一番奥、ピアノの前のテーブルに落ち着いた。
 壁につられたスピーカーからは、クラシック音楽が流れる。

「ご注文は、お連れ様を待ってから、うかがいましょうか?」
 マスターが、お冷を置いた。
「いえ、ブレンドを。ホットで」
「かしこまりました」

 カウンターの端には真空管が点り、オーディオライトを波打たせながらレコードが回っている。
 針の位置は、まだ序盤だ。
 奥まった壁一面に設えられた棚の中には、飴色のカバー――レコードが、ぎっしりと並んでいた。
 棚のてっぺんから下がる鮮やかな黄緑色のポトスの葉だけが、ローズウッドで統一された店内に彩りを添えている。


 橋脚「23」は、確かにあった。
 夢で見る姿、そのままに。
 辺りの風景も、概ね夢と一致していた。

 だが、それを見渡すことができる部屋。
 ペントハウスらしい、あの部屋のある建物だけが見当たらない。

 それらしい場所にあったのは、休耕田を転用したらしい遊水池だけだ。
 そこに建物があった、とは考えにくい。


「お待たせしました」

 ぎくりとしたはずみで、テーブルの上、お冷の氷がグラスを鳴らした。

「申し訳ありません。お邪魔でしたか?」
「いえ、考え事してまして。すみません」
「ブレンド、お待たせしました」
 ソーサーにカップが重なる音は、乱暴なドアベルの音にかき消された。

 眞琴だ。

 マスターとは顔なじみらしい。カウンター越しに言葉を交わし、僕の向かいに膨らんだトートバッグと、古びた青い図面入れの筒――アジャスターケースをおろした。

「ごめん。待たせた?」
「ちょっと、だけどね」
 コーヒーに湯気が上がっていたから、遠慮なくそう答えた。
「あ、冷めちゃうから、先に口つけてて」

 待つほどもなく、ウインナーココアが並んだ。
「見せたいものって、それか?」
 視線で、トートバッグとケースを指す。全部だとすれば、目を通すだけでも相当な時間がかかるだろう
「うん。でも、ちょっと待って――マスター、ありました?」
「お待たせしました。こちらでよろしかったでしょうか?」
 物憂げな女性の肖像画があしらわれたジャケットを、マスターが僕らに示した。
「お願いします」

 慣れた手つきでマスターが、レコードを替える。
 オーディオライトに照らされて、ゆっくりと針が降った。
 ボリュームが上がり、スクラッチノイズが走る。

 ピアノ独奏。

 最初のフレーズで、目が眩んだ。

「シューマンの『見知らぬ国と人々について』」
 眞琴の声が、遠くに聴こえた。
「知ってるよね、毬野。この曲」

眞琴
 この曲を初めて聴いたのは、香澄の家で、香澄の演奏でだった。

 バースデーパーティーに招かれて彼女の家を訪れたのは、運動会を間近に控えた六月半ば。

 この年は妙なこと続きで、例年なら十月にある運動会が、六月下旬に変更された。
 校庭に埋設されたスプリンクラーの補修――だったと思う。そんなもの夏休みにでもすればいいのに、なぜか工事が十月に決まり、運動会が繰り上げられたのだ。

 晴天に恵まれた五月のうちは、まだよかった。六月に最初の台風が過ぎると天気はめまぐるしく変わり、運動会の練習は遅れに遅れていた。

       ◇

 午後に森ノ宮さんのバースデーパーティーを控えた土曜日の天気予報は、曇りときどき雨のち晴れ。

 この、なにがあってもおかしくなさそうな予報を示すかのように、空模様は朝から短いサイクルで変化した。

 登校の通学路では薄陽が射していたかと思えば、学校に着いた途端にざあっと一雨あって、授業をすべて振り替えた運動会の練習中も、空は明るくなったかと思えば黒雲が渦巻き、冷たい風に時折、霧雨が混じった。


「お疲れ様。雨、大丈夫だった?」
 森ノ宮さんは床にぺたんと座ったまま、机の隙間から笑顔をみせた。
 梅雨空のせいで昼間だというのに蛍光灯の点るなか、教室は乾きかけた絵の具の香りで満ちている。
「ちょっぴり濡れちゃったけど平気。森ノ宮さんこそ、お疲れ様。うわあ、だいぶ進んだね」
「うん。後は色をつけるだけ」

 彼女の周りを、運動会の応援ボードが囲んでいた。
 半分ほどはポスターカラーが乾くのを待つ完成品で、残りも下描きは済んでいる。

 森ノ宮さんは、一番大きなボードの上に、身を乗り出した。
 応援席の最前列に、掲げるものだ。

 紅組を示すバーミリオンを背景に、幸運を呼ぶ四つ葉のクローバーが「五年四組」の飾り文字を縁取っている。右下のひときわ大きな四つ葉には、三枚の葉に加えて残る一枚が、今まさに折りたたまれた葉を広げようとしていた。

 男の子たちは、まだ外で騎馬戦の練習だ。
 あたしは濡れた髪をざっと拭うと、堂々と着替えを済ませた。

 絵の具の滲みだらけになったエプロンを掛けて森ノ宮さんの隣に座り、下描きの中に指定された色を確かめ、ポスターカラーのボトルを選ぶ。

 筆を走らせながら、あたしはこっそり森ノ宮さんの顔色をうかがった。
 蛍光灯の光のせいか、目の下あたりにくまがある。左手の包帯は取れていて、ガーゼを留めてあるだけだ。

「後はあたしに任せて、帰りの支度、はじめてて」
 作業が一段落するタイミングを見計らって、声をかけた。
「うん、ありがとう。でも、ここまでは仕上げちゃおうと思ってて」

 遅れ気味だったボードの製作を、挽回できるのはありがたい。
 けれど、ここでまた彼女に体調を崩されでもしたら。

「わかった。後はあたしがやっておく。森ノ宮さんはパーティの主役なんだから、もう休んでいて」

 そう意気込んではみせたものの、ここ数日の行状を目の当たりにされては説得力のかけらもない。
 本来なら遅れを挽回するためにある放課後の時間、あたしたちは応援ボードを森ノ宮さんに任せっぱなしで、理科準備室での電子工作、森ノ宮さんへのプレゼントの製作に、うつつを抜かしてきたからだ。


 プレゼントは「電気ホタル」にした。

 アイデアは啓太郎で、回路の設計は毬野。デザインと手芸は、あたしが手がけた。
 小窓を模した箱の中に、クチナシの造花をあしらい、フェルトのホタル三匹をちりばめて、お尻の部分に発光ダイオードを配した。

 昨夕完成したそれは、我ながら見事なできばえで、部屋を暗くしてみると、ほんとうにヘイケボタルが瞬く様を小窓から覗きみているようだった。

 回路の具合もいい。三匹は、てんでに点滅を始めると、その周期を次第に一致させてはまた、散り散りなる。

 クチナシの花が、仄かに照らしだされるのも素敵だ。
 完璧にイメージ通り――少なくとも、外観上は。

 毬野が顔を曇らせたのは、裏蓋を開いて回路の最終チェックをしていた時のことだった。ハンダが、あちこちで球になっている。

 電子工作は啓太郎がした。毬野がついていてくれれば安心だったんだけど、騎馬戦の五年生代表として六年生との合同作戦会議とやらに時間をとられていた。

 啓太郎のことだ。早く光っているのが見たくなって作業を急いでしまったのだろう。

 でも、このままにしてはおけない。
 電池交換の際、誤って部品に触れれば、ハンダが外れる恐れがある。

 毬野は厳然とやり直しを命じた。


 あたしは、やきもきしていた。

 森ノ宮さんに大見得をきってしまった手前、この一番大きなボードだけは、今日中に仕上げてしまわねばならない。

 啓太郎のハンダは、済んだのか?

 済んだら済んだで包装し、リボンをかけるのは、あたしの役目だ。

 パーティーのスタートは午後二時半。
 逆算すると、二時前には校門を出ないと危うい。

 それまでに、ほんとうにすべて、終えられるのだろうか。
 時計はもう、四時限目も終わりに近づいている。

 そして森ノ宮さんは、作業を離れる気配もない。


 森ノ宮さんから、どうやって絵筆を取り上げようか。
 そんな思案をしていた時だ。窓の外で騒ぎがおこった。誰かが、保健室に担ぎ込まれたらしい。飛び交う声に、毬野と啓太郎が混じっていた。

 二人にケガでもあったのか?!

 腰を浮かせかけたところへ、真っ先に保健室へ駆けつけた女の子が、戻ってくるなり大声で告げた。
「植村くんが、ケガしたって」
 紅白の花を折っていた女の子たちが、色めき立って保健室へ向かった。

 植村くん、か。
 彼は今度の騎馬戦で、毬野と啓太郎、そして五年生で一番大きい山岸くんが組む騎馬の、騎手を務める。

 あたしには、ぜんぜんピンとこなかったけど、彼は女子の間で人気があった。争いごととは、とんと無縁で、あまり運動も得意ではない。
 啓太郎は、あからさまに今回の組み合わせには不平を唱えていた。
 練習中のいさかいとかでなければいいが。

 廊下がひときわ騒がしくなった。騎馬戦の男の子たちが戻ってくる。

「やあ、お疲れ。香澄ちゃん、眞琴っちゃん」

 雨に濡れて逆立った短い髪をとがらせて、啓太郎がボードに近づく。
 滴でも落とされたら、せっかくの彩色が台なしだ。
 あたしは啓太郎の袖を引っ張って、容赦なく廊下までひきずり出した。

「なにがあったの?」
「なにがって、なにが?」
「とぼけないで! 植村くんのこと。あんたたちの騎馬だよね?」
「ああ、植村ね――ええっ、違うって。おれたちゃ、なんにもしてないよ。練習で走ってたら、転げ落ちちゃったんだ」

 地面に手を着く前に、頭から着地して額を擦りむき、騎馬の三人に抱えられて保健室へ、という顛末だそうだ。

「あの程度でわあわあ泣きじゃあ、本番はどうなるんだろ。あ、活躍とか期待してくれてたりした?」
「それはそうと、ホタルのハンダはどうなったのよ?」
「ああ……あれね。あれは、これから理科準備室で……って、痛っ、痛いよ、眞琴っちゃん」
 八つ当たりだとわかってはいたが、力任せに啓太郎の背中を引っ叩く。
「啓太郎、今日はあたしと居残りね。わかった!」

(つづく)

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