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【note創作大賞2024応募作品】Monument(第8話)

第三章(1/4)

 降っては止んでを繰り返した霧雨は、昼前本降りに変わって、今また一段とその雨脚を強めた。

「お疲れ様です。午前中の作業はどうでした? さぞ、お疲れになったでしょう」
 ヤギヒゲメガネが満面に笑みをたたえて、弁当を差し出す。

 作業そのものは単純だった。しぼんだ花をひたすら摘む。ただ、それだけだ。

「いえ、それほどのことでは」
 そう答えてはみたものの、腰から下はずっしりと重たくだるい。
 僕の強がりを見破って、隣で眞琴が吹き出した。


 朝礼で、ボランティアは複数の班に分けられた。
 班員は、班長の指示に従って作業を進める。

 僕の班の班長は眞琴。
 そして班員は僕、ただ一人。

 つまり、このボランティアのあいだ中、僕は眞琴と二人っきりで作業をするのだ。眞琴曰く、ヤギヒゲメガネの差金で。

 仕方ない。誤解は僕らが招いている。
 今朝は衆人環視の中、眞琴と二人で遅刻寸前の到着になった。


「あいにく、こちらはもう一杯一杯みたいだからさ。二人は、ほら、ユメオトメの東屋で。ねっ?」

 ゆめおとめ? 

 眞琴には通じたようなので、聞き流した。

「毬野。いくよ」

 空調の効いた建物――管理棟から、風呂場みたいな湿気に霞む、バラ園の小道へと歩き出す。
 ほどなく東屋が見えてきた。屋根とテーブルとベンチだけの簡素な造りだ。
 ちらほらと花の残った生け垣の根元には「ユメオトメ」と品種を記した札が差されていた。


 昼食が済んだ頃、雨があがった。薄雲越しの白熱灯みたいな太陽が、蒸し暑さに拍車をかける。

「少し歩こっか?」

 眞琴の誘いに、飲みかけのペットボトルだけ握った。


 それにしても、不思議なものだ。

 昨日くぐったモノレールの軌道も、登った城址公園も、僕の記憶ではずっと高く広かった。
 それだけ自分が小さかった、ということなのだろう。

 このバラ園だって、もっとずっと広いと思っていたのに。

 園内の様子も、記憶とはだいぶ異なる。

 浅く水を張った池があったはずだが、見あたらない。
 さっきの東屋にも、おぼえがなかった。

「あれは、おととし建てられたんだ」
 池はとっくに埋め立てられて、今は芝生になったとか。

 バラ園を囲むフェンス沿いに歩みを進める。バラのアーチをくぐった小径の端に、古びたベンチがぽつんとあった。

「ここが、わたしのお気に入りなんだ」

 眞琴は軍手で雨粒を掃き、座面を叩いて、僕にも座るよう催促する。

 ここはもう、バラ園の外れも外れ。
 雑木林に隠された舞台裏――苗木畑やら道具小屋やらが丸見えだ。
 こんな景色の、どこをどう眞琴は気に入ったのか。
 バラもまだ、最盛期ならいざしらず。

「?!」
「憶えてたみたいだね? ここ」

 眞琴に、顔色を読まれた。


 そう。写生会。

 ぼくらは、決まって池のほとりに陣取った。
 でも、一度だけ、ここへ来たことがある。

 森ノ宮と一緒に。

眞琴

 春の写生会は、ちょっとした遠足も兼ねていた。
 というのも、絵を描き上げた後は、遊園地で自由に遊べたからだ。

 お小遣いはダメ。
 けれど絵の提出と引き換えにチケットがもらえて、乗り物も二つか三つくらいまでなら楽しめた。


 毎回、あたしたちはバラ園の北側に設けられたパーゴラの下を定位置にしていた。
 蔓性のバラが植えられたその一角は、五月の強い日差しを適当に遮ってくれたし、背後にある石階段と目の前に広がる池のおかげで人通りも少なく、落ち着いて絵が描けた。

 でも、今日は出遅れた。

 丘の上にあるこの遊園地には起伏が多く、車椅子を押すあたしたちがバラ園に着いたときにはもう、いつものパーゴラの下には先客がいた。

「ごめんなさい。わたしのせいで……」
 車椅子の上で縮こまる森ノ宮さんのひざの上には、男二人の絵の道具。
「いいの、いいの。気にしないで。たまには、いい薬になるから」
 場所を探して奔走する、男二人はわけありだ。

「ねえ、啓太郎の画板から画用紙、出して見て」
「――えっ? もう、下描きが済んでる」
「やっぱりね。毬野はどうかな?」
「こっちも」


「同じ所で絵を描くことには、メリットがある」
 というのは、啓太郎の持論。構図の使いまわしが利くからだ。

 遊園地で心置きなく遊びたければ、昼前には絵を提出してしまうに限る。

 そこで啓太郎は、一計を案じた。

 前年の絵を基に下描きだけ済ませておいて、到着と同時に彩色にかかる。
 最短で絵を仕上げて、残りは遊園地で遊び放題、という寸法だ。

 感心できなかったけど、あたしは見て見ぬふりを決め込んでいた。

 遊園地を前に昼食を急かされたあげく、絵の手伝いまでさせられたらかなわない。
 今年は毬野も感化されたらしく、二人は用意した下描きが活かせそうな場所はないかと、園内を探し回っていた。

 そんなの、ありっこないのに。


 笑う森ノ宮さんの黒髪が、麦わら帽子の縁で波打った。
 お日様の下だと漆黒、というよりは濃い藍色っぽくみえなくもない。
 思わず結ってみたくなる。そんなコシを感じさせる髪の質。茶色っぽい、あたしの癖っ毛とは大違いだ。

 バラ園の時計は、もうじき十時になろうとしていた。

 風景画ならお手のものだが、そろそろタイムリミットだ。
 男二人には、いい加減あきらめてもらわねば、こっちまで共倒れにされかねない。

 場所は、どうしよう。

 あたしたちは、バラ園の端にさしかかろうとしていた。
 バラのアーチをくぐると、張り出した雑木林の向こうは苗木の畑。
 
 幸いにも空いていたベンチに二人して腰掛け、指でつくったフレームで、あちこち構図を試してみる。

 前景はどれも貧弱だ。
 幼い苗につく花はまだ小さく、数も少ない。

 フレームを左、園内に振り、遠方へ移す。

 小高い丘に設けられた石階段まで、なだらかに垣根が連なっていた。
 バラの花の浮かぶ波頭が、石階段の堤防に打ち寄せる。
 そんなイメージが浮かんだ。
 
 森ノ宮さんもフレームを解く。
 うん、と、あたしたちは二人、顔を見合わせ小さくうなずきあった。

 筆を休めて、伸びをした。
 芝生に座るぼくの隣、ベンチの上には森ノ宮と眞琴。
 その向こうで地べたに座った麦は、眞琴に小突かれながら、絵を手伝ってもらっていた。


 ズルなんて、やめておけばよかった。

 園内くまなく探したところで、同じ構図なんてありようもなく、時間を無駄にするのは火を見るよりも明らかだった。
 なのに麦は「もう一カ所」、「あと一カ所」を繰り返し、気づけば十時を過ぎていた。
 諦めきれない麦の首根っこを引きずりながら、眞琴と森ノ宮を探して更に時を費やし、お小言を頂戴しながら苦心の下描きに消しゴムをかけ、絵に取りかかった頃にはもう、十時半を回っていた。


 自分の絵を、ちょっと離して眺めてみる。

 うん……。ぱっとしない。

 目の前の小ぶりなバラを、大きく描いたまではいい。
 デッサンが歪んでいるのか、背景――生け垣や雑木林は地につかず、ふわふわ宙に浮いてるみたいだ。

 お昼まであと一時間もない。色を付け始めねば。

 でも、こんなやっつけ仕事に絵の具を塗りたくったところで、及第点はもらえるのだろうか?
 描き直しを命じられたら、午後の予定はすべておじゃんだ。

 いちかばちか。
 意を決してパレットを広げた。

「ごめんね、毬野さん。ちょっといい?」

 ぎょっとするほどすぐ近くに、森ノ宮の横顔があった。
 彼女の鉛筆が、ぼくの画用紙を滑りだす。
 束ねられた髪の毛先が、ぼくの首筋をくすぐった。

「これで、どう? 毬野さん――毬野さん?」
「……ん? あ、うん」
「ごめんなさい。余計なことしちゃった?」

 ぼくの絵は、見違えるほど落ち着いていた。

「いや、ぐっとよくなったよ」
「ならよかった」
 くすり、と笑った彼女の髪が、今度はぼくの頬をなでる。
「さあ、色を着けましょう。この垣根のところ、すこし塗ってみせて。あっ、できるだけ淡く、ね」

 また、手に力が入らなくなった。
 頼りなげに震える筆先が、下描きに絵具を置いていく。

「こんな感じ……かな」
 森ノ宮の筆が、ぼくの画用紙に載った。

「どう?」
 ぼくが塗ったところと、見分けがつかない。

「じゃあ、ここからは手分けしましょう。毬野さんは、真ん中のバラ。さっきより少し濃く。わたしは背景を塗るけど、邪魔だったら言ってね」
 そう言う間にも、ぼくの画用紙には、どんどん色が着いていく。

 ぼくは、おぼつかない右手に左手を添えると、貧相なバラを仕上げにかかった。


 松平先生の巡回は、正午の少し前だった。

 森ノ宮は、自然にぼくの画用紙から筆を退く。

 絵は、ほとんど完成していた。控えめに言って、森ノ宮の手が七割。ぼくは三割を切ったかもしれない。

 最初に絵を仕上げたのは眞琴だった。遠景を巧みに切り取って、石階段の手前に広がる生垣が、色鮮やかに描いてある。

 先生は画用紙の裏に、赤いインクで及第のサインを記した。

 次は麦。

 やつの絵は、どう見ても出来過ぎで、眞琴が描いたも同然だった。
 眉をひそめた先生は「まあ、いいでしょう」と麦も合格。

 ぼくも筆を切り上げた。あれでいいなら、ぼくのだって十分だろう。

「うん。毬野くんも、よく描けていますね」
 麦が両手につくったVサインを横目に、先生はこう付け加えた。
「いつも、こんな風に描けるといいですね。次回は自分の力だけで仕上げてみせてください。麦谷くんも」


 そして、森ノ宮の番がきた。
 手前に大きくバラのアーチ。背景にはバラ園と、その一番奥に観覧車。
 色彩は淡い眞琴とは対照的に、どっしりと色濃く、ところどころ強くアクセントがついている。

 ん? でも、なにかおかしい。
 絵と風景とを、見比べる。

「クチナシ……ですか?」

 見つけたのは、先生だった。

「はい。家にある鉢植えを思い浮かべていたら、ついうっかり描き込んでしまいまして」

 森ノ宮の絵には、バラのアーチの脇に、つややかな濃い色の葉を持つ灌木が描かれていた。葉の隙間に、白く細長い、つぼみらしいものがいくつもあった。

「森ノ宮さんの家には、クチナシがあるんですか?」
「はい。大好きなんです。花も、香りも。それと、その実で色をつけたきんとんも」
 緩みかけた口元を、森ノ宮が引き締めた。
「申し訳ありませんでした。見たままに描き直したものがありますので、そちらもご覧いただけますか?」

 風景画を二枚も?! 
 しかも、ぼくを手伝いながら。

 ぼくら三人――先生までもが、呆気にとられた。

「いや、いいでしょう。このままで」
 サインを記しながら、先生が続けた。
「写実的に描くことも大事です。けれど、心に映った風景を描けたなら、それはきっと素敵なことでしょう」

眞琴

 お目当ての大観覧車には、黄色い帽子が長蛇の列になっていた。

「どうなってんの?」

 おまえのせいだよ、啓太郎。
 森ノ宮さんの豪華なお弁当をあーだこーだと詮索し、お昼を無駄に長引かせたのは。


 男二人をせっついて、四人分のお弁当箱と絵の道具をバスに戻させ、あたしは森ノ宮さんの車椅子を押して遊園地へ直行したが、時はすでに遅かった。

 しばらくすれば空くのだろうけど、待ち時間が惜しい。

 チケットは、五枚づつ配られた。大観覧車は、一人三枚だったから、残るは二枚。
 二枚で楽しめる乗り物は?
 あたしたちはリフトへ向かった。


 今日のあたしたちみたいに、バスや車で丘の上の駐車場へ乗り付けるお客さんを除けば、モノレールの駅のある正門からの入園客は、大階段を登るか、このリフトに乗るかして遊園地に入る。

 あたしたちはリフトに乗ったまま大階段を往復することにした。
 上りも下りもチケット一枚だったから、これできれいに五枚がさばける。

 その上、係のおじさんの計らいで、乗る間隔を調整し、上りの二人と下りの二人が花時計の真上で、すれ違えるようにしてくれるのだとか。

 大階段には絶えることなく季節の花が飾られていて、その中腹にある花時計の文字盤もまた、巨大な花壇でできていた。
 リフトから見下ろせば、さぞ壮観だろう。

 心配なのは、高所恐怖症らしい森ノ宮さんだ。

「無理ですケイタロさん。わたし絶対に無理っ!」
 初めてのリフトに、尻込みをする森ノ宮さん。
「へーきへーき。おれがついてるから大丈夫だって」

 大胆にも森ノ宮さんの腰を抱き寄せると、啓太郎はタイミング良く座らせた。
 リフトが宙へ滑り出す。
 奇声をあげて、森ノ宮さんが啓太郎にかじりついた。


 二人のリフトが麓へ着くと、次はあたしたちの番だ。

 啓太郎と森ノ宮さんを乗せたリフトが登ってくる。

「やっほーっ! 眞琴っちゃあーん、毬ちゃあーん!」

 大暴れする啓太郎の服を、鷲づかみにする森ノ宮さんに、また胸の奥が、じくり、っと締った。

 壮麗な花時計の、その真上。

 すれ違う、あたしたち四人の下で時計の針は二時を刻み、仕掛け人形のハンドベルが盛大に響き渡った。


「順番、取っておくからね」
 毬野の腕を引っ張って大観覧車へと駆けだす啓太郎を見送り、あたしは森ノ宮さんの車椅子を押す。

 こうして二人になってしまうと、なぜだか言葉がでてこない。

 目の前で仰のいた麦わら帽子につられて、空を見上げた。

 午後になって、いっそう蒼く澄み渡った空に、くっきりと一筋。
 飛行機雲が走っていく。
 麦わら帽子の下から漏れる、小さな歓声が聴こえた。


「ごめんなさい、黛さん……ちょっと、いい?」
「うん。停めようか?」
「ううん。そのままで」

 森ノ宮さんは、車椅子の上で背筋を伸ばし、改まる。

「あのね……わたし、もうすぐ誕生日なんです」
 あと一月足らずだ。
「おめでとう。お祝いしなきゃ」
「で、その……もし、よかったら、なんですけど家へ……わたしの家へ、遊びにきていただけませんか? 毬野さんとケイタロさんも一緒に」

 二人に知らせるより先に、あたしは着ていくものの思案になった。

 そこへ啓太郎が、やってくる。
「遅いよお~っ! 香澄ちゃん、眞琴っちゃん」
「ニュースだよ、啓太郎! お呼ばれしちゃった。森ノ宮さんのお家に」
「お呼ばれって?」
「森ノ宮さんのバースデーパーティー。プレゼント、考えなきゃ」
「ホントにホント……って、香澄ちゃん? 大丈夫、香澄ちゃん!」

 鍔を目深に傾げた森ノ宮さんの顔を、しゃがんだ啓太郎が覗き込む。

 車椅子にブレーキをかけて、あたしも啓太郎の隣にひざをついた。

 真っ白を通りこして蒼白くなった頬。形のいい唇は紫に染まり、こめかみに浮かんだ脂汗の球は、はやくも頬を伝おうとしていた。

「佐伯先生、呼んでくる。眞琴っちゃんは香澄ちゃんとここにいて」
「わかった。お願い、早くっ」 

 森ノ宮さんは背中を丸めて胸元を押さえた。浅く早い呼吸に、喉が鳴る。
「ねえ、なにかできることがあったら教えて」
 顎の先が、弱々しく左右に震えた。


 その後、森ノ宮さんは佐伯先生の付き添いで病院へ向かった。
 あたしたちは、あまったチケットをぜんぶクラスメイトに譲ると、帰りのバスの時間まで所在なく、遊園地をぶらぶらして過ごした。

       ◇

『お知らせします。間もなく作業終了の時刻となります。ボランティアの皆さんは、管理棟前にお集まりください。繰り返します――』

 凋花切ちょうかぎりの進捗を脩さんに報告すると、わたしは毬野を捉まえた。

「お疲れ様。くたびれたでしょ。あと二日、いけそう?」
「ああ。なんとかね」

 そうでなくては困る。本題は、これからだ。

「着替えが済んだら、車んとこで待ってて」
「ありがとう。でも、帰りは一人で平気だよ」

 ここで毬野を一人、帰すわけにはいかない。

「なにか用事でもあるの?」
「いや、たいしたことじゃあないんだけどね。街でも見てまわろうかと思って」

 なにかありそうな口ぶりだ。

「案内するよ」
「いいよ、一人で」
「わかった、わたしも行く。すぐ着替えるから。駐車場で待っていて」

 強引にそう言い切ると、大学生でいっぱいの更衣室に飛び込んだ。

 悠長に構えてはいられない。
 シートですばやく肌を拭い、さっと化粧を直した。


「ごめん。お待たせ」

 髪をひねくりながら待っていてくれた毬野を助手席に坂道を下り、守衛詰所脇の駐車スペースに車を預ける。

 そうこうしている間にも、毬野はわたしのことなんか置いてきぼりで、足早に歩道橋を渡ると、モノレールの線路に沿って進んでいく。

 走って毬野に追いついた。

 もう、ショッピングモールの看板が見えてきた。
 こんなことなら、わたしの車で町中まで来た方が早かったろうに。

 半分駆け足で後を追っていたら、急に立ち止まった毬野の背中に、危うく追突しそうになった。

 しきりに辺りを見回す毬野。
 なにか探しているようだ。 

 左手には県道を挟んで、鬱蒼とした丘の急斜面。
 右手は水路と、その向こうは丈の高い草が生い茂る、荒れ放題の休耕田。
 そしてすぐそばに、一昨日お参りした香澄の仮の墓碑、「23番」の柱が建っていた。

 ……もしかして。

「なあ、眞琴」

 続く一言が、わたしを確信へと導いた。

「この辺りにビルかマンションなかったか? 五階建て、くらいの」

(つづく)

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