見出し画像

【note創作大賞2024応募作品】Monument(第4話)

第二章(1/4)

眞琴

 小五の春は、珍事が続いた。

 まず、春の訪れが遅かった。
 この辺りは遠い山裾に連なる丘陵地帯だったから、町中に比べると暖かくなるのが少し遅れる。でも始業式に桜が咲くなんて、今までにはなかったことだ。

 花冷えとは、こういうことをいうのだろうか。始業式の朝、あたしはマフラーを巻いて登校した。姉に教わりながら初めて手編みしたそれは、予定を二カ月オーバーし、目が不ぞろいで撚れ曲がっていたが、毬野はもちろん、啓太郎にすら、からかってももらえなかった。

 みんなの関心は、ただひとつ。
 クラス替えにあったからだ。

 うちの学校では、奇数学年に進級するとき、クラス替えがある。
 あたしたちはこの春、新五年生。つまりクラス替えだ。
 五年生には林間学校。六年生には修学旅行と卒業式。
 そんな小学校時代のハイライトを、あたしたち三人、一緒のクラスで迎えられたらいいのに。

 淡い期待を抱きつつ、掲示されたクラス分けを見て、あたしは肩を落とした。五年生にある三つのクラスに、あたしたちは一人づつ編入されていたからだ。

 始業式からの帰り道、落ち込むあたしを笑わそうとした啓太郎の悪ふざけは度が過ぎた。

 校門から飛び出して、危うく車にはねられかけ、挙句、運転手さんにお詫びする毬野のことはほったらかし。
 それをたしなめたあたしのことは、へらへらと笑ってはぐらかす。

 あたしと毬野は、もう十一歳。啓太郎だって明日には誕生日だというのに。

 その日の終わり、あたしは布団の中で決意した。

「あたしたちは、もっと大人にならないと」


 その週末、あたしたちは互いの誕生日を祝し、秘密基地――毬野のおばあちゃんが住んでいた離れに集まって、ささやかな誕生パーティーを開いた。

 不運に終わったクラス替えを面白おかしく嘆きつつ、次なるあたしたちの計画を、去年見つけたヘイケボタルの観察にしようとか、いやいや、もっと大きな模型飛行機を造ろうとか、地道に電子工作にいそしもうとか。

 ひとしきり盛り上がって週が明けた月曜日、驚くべき事態があたしたちを待ち受けていた。

「クラスの編成が変わります。今から配るプリントに従って教室を移動してください」

 どうしたわけか五年生にだけ、再度クラス替えがあったのだ。
 授業だって、もう始まっているのに。

 配られたプリントに、あたしは自分の名前を探した。

 五年生は、一クラス増えて四クラス。その最後、四組にあたしたち三人の名がそろっていた。
 あたしは心の中で快哉を叫んだ。これで三人、林間学校も、修学旅行も一緒だ。卒業アルバムにだって、同じページに収まれる。

 けれど問題は、その五年四組の場所にあった。

 教室は学年順に最上階から割り当てられて、五、六年生のクラスはすべて三階にある。
 なのに四組だけが、なぜか一階にあったのだ。
 三階にだって、まだ空き教室があるというのに。

 半信半疑で階段を降りると、はたして五年四組の札は、保健室の隣に掛かっていた。教室は――こういうのを「蜂の巣をつついた」っていうんだろう――文字の通りの大騒ぎ。

 喧噪の中、毬野は一人、机に座ったまま髪をひねくり回していた。あたしを見ても手で合図をよこしただけで、こういうことにはとんと関心がないらしい。
 出席番号順の席は毬野の隣だったけど、時計はもうじき始業時刻を指そうとしている。
 ひとまず話は諦めて、あたしはあたしの席に着いた。

 始業チャイムが鳴りだしてから、滑り込んできたのは啓太郎。

 情報集めに飛び回っていたのだろうけど、不首尾だったことは訊くまでもなく、膨れた頬に描いてあった。
 啓太郎が席に着き、前に座る毬野の耳に口元を寄せたところへ、担任の松平先生がやってきてホームルームが始まる。

 席は当分このままらしい。班分けは席順に従うことになる。あたしと毬野、啓太郎に森ノ宮香澄さんの四人で、八班だ。

 森ノ宮香澄? はて、誰だろう?
 珍しい苗字だ。一度でも見聞きしていたら、たぶん記憶に残っている。
 転校生、だろうか。
 あたしの後ろは空席だ。どうやら今日はお休みらしい。

 その日の話題は再度のクラス替えと、五年四組が一階にある理由で持ちきりだった。

「話しがありますので、八班は残ってください」

 帰りのホームルームで、先生にそう呼び止められるまでは。


 遅れてきた春。
 二度のクラス替え。
 なぜか一階にある五年四組。
 そして、姿を見せない森ノ宮香澄さん。

 春の訪れが遅かったことを除けば、種明かしは、すぐその後に待っていた。

「松平先生は、保健の佐伯先生のことが好きらしい」

 幾度か耳にしたことのある噂話だ。

「だから四組を、保健室の隣にしたんだ」

 これが今回くっつけられた、その最新の尾ひれ。
 麦が方々で聞き込みをして仕入れてきた、たったひとつの情報だった。

「ガセに決まってる。そんなバカな話、あるもんか」
「いや、おれだって、そうは思っているけどさ」

 たじろぐ麦の言い訳に、そんな根も葉もない話をこれ以上広めないよう、ぼくは入念に釘をさした。


 先生との出会いは二年前、三年生の時だった。ぼくの得意な理科の授業で、観察や実験をとても大切にされていた。誰に対しても公明正大で、礼儀正しい先生を、ぼくは尊敬していた。心酔していた、と言ってもいい。

 でも、だ。

 四年生も半ばを過ぎたころからだったろう。
 誰が誰を好きだとか、誰と誰がつきあっているとか。
 そんな話が、まことしやかに囁かれ出したのは。

 ぼくらももれなく、噂のネタにされていた。
 ぼくと眞琴と麦の三角関係。

「ばかばかしい」

 二人を前に、そう切り捨ててしまってから、正直ぼくは後悔していた。

 眞琴は?
 麦は?

 二人のほんとうの想いを、ぼくは知らない。

 ――白状しよう。

 その頃、ぼくには好きな人がいた。
 眞琴のお姉さん、美鈴さんだ。
 初恋だった。

 だれにも――眞琴はもちろん、麦にさえ内緒にしていた。

 眞琴の家で一緒に宿題をするとき、美鈴さんはよく、ぼくらの面倒をみてくれた。美鈴さんが隣に座ると、ふんわり石けんが香った。たったそれだけで、ぼくは首筋のあたりがぞわぞわして鉛筆を握る指に力が入らず、字を書くことすらおぼつかなくなった。

 美鈴さんに会いたくて、どうでもいい用事をこしらえては、眞琴の家を訪ねたことも一度や二度ではない。
 けれどこの春、高校に進学した美鈴さんは不在がちで、すっかり遠い人になっていた。

 そんなわけだったから、好きな人の少しでも近くにいたい、という気持ちくらいは、一応ぼくにもわかるつもりだ。

 誠実で礼儀正しい松平先生と、やさしくて思い遣りのある佐伯先生。ぼくから見ても、二人はお似合いに思える。
 だから「そばにいたい」という、たったそれだけの理由で、教室を保健室の隣にすることもあり得る……のかもしれない。

 麦を叱り飛ばしておきながら、ぼくは拭い切れない疑念に苛まれていた。


 その日、帰りの挨拶が済むと、興味津々で教室に残ろうとする野次馬たちに下校を促し、先生は理科準備室に場所を移した。

「編入生がきます。名前はもう知っていますね。森ノ宮香澄さん。みなさんの班で迎えてあげてください」

 編入生?
 転校生とは違うのか?

「森ノ宮さんは先天的な病気で、ずっと病院で療養生活を送ってこられました。ですから、学校に通ったことはありません」

 通学の許可が医師から出たのは、年が明けてすぐのこと。編入先がここに決まったのは、春休み中に受け入れ体制――車椅子用のスロープとトイレ、教職員用玄関に設けられた自動ドア――を整えた後。

 二度目のクラス替えも、その影響だった。
 当初の学級編成では、教室内を車椅子で移動する通路が確保できない。
 校舎には給食用の貨物エレベーターしかないから、教室は一階にするしかなかったし、そうなれば保健室に近いほうが安心だ。

 編入生。と、言っても、つまるところは新入生、か。

「勉強は、どうなんですか?」
「それは心配ありません。編入試験の成績は優秀でした」
 ぼくに続いて眞琴が尋ねる。
「授業はともかく、学校での生活が心配ですね。具体的には、どんなふうにお迎えすればいいんでしょう?」
「事前にできることは、学校のほうで一通り済ませてあるつもりです。とはいえ不十分なところは、きっと出て来ることでしょう。その時は、皆さんの力を貸してください」

 困惑気な眞琴と顔を見合わせる。

「とりあえずは転校生を迎えるのと同じ、ってことでいいんですよね?」
 短い沈黙を、麦が破った。
「学校を案内して、決まりごとを一通り説明して。掃除とか、給食当番は一緒にやればいいだろうし。で、困ったときは助け合う。ねっ?」
 麦が、眞琴とぼくを交互に見た。
 臨機応変。なるほど麦の言う通りかもしれない。

「気付いたことや困ったことがあったら、遠慮なく私か佐伯先生に相談してください」
「ところで、森ノ宮さんは、いつから登校されるんですか?」
 ぼくがしようとした質問を眞琴がさらった。
「ほんとうは今日から、だったんですが、今朝は熱があったようです。この後、確認してみます」


 編入生の病気について先生は仔細を語らなかったし、ぼくらも訊こうとはしなかった。

 学校に通えるようになった「森ノ宮香澄」。病気はきっと快方に向かっているのだろう。

 それがどれほど呑気な楽観だったことか。
 手厳しく思い知らされるのは、ずっと後のことだった。

(つづく)

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?