「人にやさしいままでいたい」第5話

 伊藤藍は高校時代に向進一と参加した合コンのことを思い出していた。
あの合コンは苦くて苦しい思い出だ。カラオケで何を血迷ってかマキシマムザホルモンの「爪爪爪」を歌ってしまったのだ。ドラムもピアノもギターもできる、自分は音楽に精通しているんだってことを女子にアピールしたかったんだと思う。でもカラオケには楽器はなかったから、何かできないかと思って、奥の手のデスボイスを披露したのだ。それが失敗だった。現場は失笑に包まれた。自ら未来を破壊してしまったのだ。


「おまたせー」

 緊張の面持ちの藍と進一の元へ、ハンバーガーセットのトレイを持った桃花と真理がやってくる。

「わ、わるいね。拘束しちまって」

「ううん、全然大丈夫だよ。むしろ誘ってくれてありがとね」

「進一の野郎きょどりすぎだ」と思う藍。


 1時間前…

「立花さん!関根さん!おれらと一緒に見て回ろうぜ!おれ昔恐竜キングだったんよ!藍くんはムシコングね!」

「ムシキングだマヌケ!」

 進一と藍は、一緒に回ろうの宣告を怒りの勢いで成功させ、真里、桃花と一緒にいる時間を手にしたのだった。


 藍と進一がこうやって女子と向かい合うのはあの合コン以来であった。おっかなびっくりな二人はいつどんな間違いを犯してもおかしくない。まさに決壊寸前のダムの状態なのである。

「私たち、縄文人のとこけっこー見てたんだけださ、凄かったよね、マリー?」

 雑談への丁度いい返答は思い浮かばない。余談を許さない窮地。それでも!それでも今、藍の脳内を埋め尽くすのはミッキーマウスマーチである。親友の恋愛を応援するぞという熱い気持ち。それに…

「博物館のときから思ってたんだけどさ…関根さんってめちゃくちゃ優しいよね!」

 目の前の天使に対する燃え上がる気持ちが、マーチを奏でさせるのである。


 関根桃花は自分で自分を責める。
 どうして自分はこういい顔しい奴なのだろう。いつだって相手を喜ばせる答えの方ばかり選択してしまう。自分ひとりのときならこれでもいいが、誰かを巻き込んでしまっているときは最悪だ。しかもこの選択に心はないから、最終的には喜ばそうとした相手の顔も曇らせてしまう。
 今だってそうだ。博物館で一度も喋ったことのない、向くんたちのわけのわからない誘いを笑顔で了承し、昼食まで一緒に食べることになってしまっている。隣にはイナタクに恋する立花真理がいるというのに。

 桃花はハンバーガーにかぶりつく真理の顔を盗み見る。大丈夫、いつも通りの彼女だ。何も動じていない。

 さっきも申し訳なく思って、真理にこっそり謝っておいたが、彼女は全く気にするそぶりを見せなかったので幸いだった。真里は「ここで彼らと時間を浪費することも成功への調整になる」と言っていた。ホントに変わっている人だなと思う。だから彼女と一緒いるのは居心地がいいのだ。
 以前酒に酔ったとき、真理に自分の「アイドルになりたかった」という夢を教えたことがある。これは誰にも話せない、恥ずかしい、叶わぬ夢だった。それでも真理はこの夢を「桃花ならなれるよ!」と肯定してくれた。そして、自分たちは「なんにだってなれる」ってことを力強く説いてくれた。夢見がちな彼女の言葉だから、真っすぐ受け止めることができた。

「なんにだってなれる」

 彼女が教えてくれた言葉が、夢を諦めた自分に、まだアイドルの影を追わせているのかもしれない。 
今も目の前のクラスメイトたちに笑顔を振りまくことをやめられないのだ。
「でも…これでもいいんだよね…マリー」
隣にいる親友の顔を盗み見る。あぁ、駄目だ。今の彼女は遠い目をしている。この目のときの彼女は別のどこかへ行ってしまっているのだ。
おそらく向くんと伊藤くんの目的は自分ではなく、親友の方だと思うけれど、それでも気まずい思いをさせないよう、アイドルみたいに振る舞ってみよう。
そう決心する桃花なのであった。


「みんなぁ!集合!集合だよ!次!次いってみよう!!」

 ゼミ長の大きな声に昼休憩を終えたゼミ生たちが集められる。次は美術館見学だ。
今回の集合の際、美術館の見学時間を1時間半延長したということが伝えられた。歓声の嵐であった。

「なぁホントに立花さんたちと離れてよかったのかな?30分なら平気だったけどよ、2時間も合間空けられたら俺たちゼロに戻っちゃうんじゃねーか?」

 不安げな進一が藍に訊ねる。

「30分だろうが2時間だろうがもう関係ねーよ。一緒に博物館見て、昼飯まで食ったんだから、おれたちゃあの子らの親友さ」

 藍は真理と桃花の方を見る。桃花が手を振ってくれたので、それに顔をほころばせる。

「それによぉ…さっきの飯のときよぉ…関根さんはたくさん話してたが立花さんは無口だったろ?これがサインなんだよ。頃合いっていうなぁ。わかったかタコ助?」

「なるほどな。じゃあ美術館は二人で回るか」

「そうだ。それでいい。俺たちにはドロケイもあるしな」

 二人はグータッチをし、美術館へと向かっていった。


美術館内

「みっけた!ついにみっけたわよ!イナタク!しかもひとり!」

 イナタクを発見した真理は、桃花にそのことを興奮気味に報告する。

「よし!第一関門突破だね。この後をどうしよっか…」

 考える桃花。真理はミニリュックの中から亜希からもらった「恋愛の極意」の半紙を取りだす。

「ちょっとぐしゃぐしゃになっちゃってるけど…ゼルダこれをみて」

「なにこれ…恋愛の極意?」

恋愛の極意
「その一 ラブレターを書くべし」
「その二 告白するべし」
「その三 思いを伝えるべし」

「あまり利口な極意には見えないね…」

「ふふ。パンピーにはそう見えるのよね。結局はこれが一番ってことよ」

 真理はミニリュックからもう一枚紙を取り出し、桃花に見せる。

「こっちはラブレターよ。書いてきたの。センパイの教えにそって書いたから問題はないわ」

 驚く桃花。それをどうするのか訊ねると「当然渡す」という返答が返ってくる。

「まだ早いんじゃないかなマリー。イナタクと話したことなかったよね」

「直接はないわね。でもこないだラインはしたわよ!」

「ライン!?なに話したの!?」

「それは言えないわ…」

 思わせぶりな真理を見て「なんなの」と笑う桃花。真理は一度落ち着こうと桃花に空を見るよう促す。

「マリー、ここじゃ天井しか見えないよ」

「その先には青空が広がってるでしょ。想像して」

 笑いをこらえて頷く桃花。真理は目を閉じて、天井に向かって祈りのポーズをとる。桃花にも同じことをするよう促す。

「ねぇ…」

「なに?」

「やめてよ!返答しないで!黙ってて!」

「わ、わかった」

もう一度二人で祈りのポーズをとる。

「ねぇ…今から告るよ?」 

 静寂の館内に真理の言葉が響く。笑いをこらえきれない桃花。
『天気の子』の真似事をしたかったの?と真理に訊ねると、彼女はこれはオリジナルなんだということを強く主張した。

「マリー、とにかく落ち着いて聞いてね。まず、今告白するのはやめておこう」

「…なんでよ?」

「だって彼いま絵を見てるんだよ?絵見てるとき、わけわかんない奴に告白されたって困るでしょ?」 

「たしかにそうね…でもさ、じゃあどうすればいいっての?ラブレター?それとも想いを伝えればいいの?」

「だから落ち着いてマリー。今言ったのはどっちも告白だよ。そうだね…」

少し考える桃花。

「よし、まずは普通に話しかけにいこう!何の絵見てるの?とか、絵詳しいの?とか。何気ないところから段階を踏みましょ!」

「…!!!ゼルダ…あなたもなかなかの恋愛強者ね…!」

「桃花ですぅ!強者でもないですぅ!」

 桃花に「ありがとう…ありがとう…」とコーヒーを淹れる藤岡弘、のようにささやく真里。ささやき終えると、イナタクの元へアポロ11号を思わせる姿勢で走っていき、横に並び立つ。

「ねぇ」

 声をかけられ、真里の方を見るイナタク。真里は絵画から目線を離さないまま話し始める。

「さっきからずっとこれを眺めてたけど…あなたも感じるの?この絵から鼓動を?」

「あぁ?なんだぁ?」

 イナタクの方をやっと向く真里。不敵な笑みを浮かべ、自己紹介をする。

「変わるもの、変わらないもの、そして変えたくないもの。ローズマリーよ。稲垣くん、あたしと遊ばない?」

 怪訝な顔のイナタク。
遠巻きに見守っていた桃花がフォローに駆けつける。

「ごめんねイナタク。ちょっと待っててね」

「ちょっ待てよ関根!なんだおめぇら!」

 桃花は真里とイナタクを一旦引き離し、真里に奇天烈な言動を抑えるよう注意する。

「嫌よそんなの。あたしはあたしなの。騒ぐのはやめれても、言葉は変えれるものじゃないわ。それにあたし変えたくないわよ!!」

 思ったよりも強い訴えが返ってきて、うろたえる桃花。

「そっか…マリーはマリーだもんね…うーん、どうしよう…」

 悩む桃花。悩んだ末に一つの案を提示する。

「マリーはマリーだけどさ、今は一旦普通の女子大生を演じてみてよ!ほら、マリー演劇部だったでしょ?」

 腑に落ちた表情の真里。確かに亜希も「なりきることが重要」と言っていたような気もする。

「わかったわゼルダ。あたしはあたし。でもケースバイケース、ドアtoドアってことね」

「うん?うん、そう!そーいうこと!」

 2人はもう一度イナタクのところに向かう。

「おっす!稲垣くん!あたし立花真理。隣の子はゼルダ!じゃなくて桃花!よろしくね!」

「あぁ…知ってるよ…?」

「もぅ…ぜんぜん普通じゃないじゃん…」

 圧倒されるイナタク。ため息をつく桃花。イナタクと多少は交流のあった自分が真理と彼の間を取り持つしかないなと覚悟を決める。

「まぁそういうわけだからよろしくね!イナタク!あなたもマリーに自己紹介してやってよ」

 やれやれといった感じで真理の方を向き、自己紹介をするイナタク。

「稲垣卓丸だ。よろしくな、お嬢ちゃん」

「お嬢ちゃん?なにかっこつけてんの?」

彼につっかかる桃花の声はもはやマリーには聞こえていない。
「お嬢ちゃん…?あたしのこと…?なんてハードボイルドなの!?」

「お嬢ちゃんか…ふふふ。地獄への道連れね!!」

こうして桃花の仲介を頼りに3人で美術館を回り始めた。



#創作大賞2023

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