「人にやさしいままでいたい」第8話

 ふたりはケンタッキーを抱えて亜希のアパートに到着する。

 真里は部屋に入るや否や、ソファーに転がり込んで、先ほどの光景を思い返した。ストーカー野郎を自身の手で消し炭にしてやったのだ。
「あたしよ…あたしがこの手でゲス野郎を倒したんだわ…あのテロリスト共みたいに…ほんとに!ほんとに倒した!」
笑いをもらしながら、亜希に語り掛ける。

「それにしても…恐れ知らずの人間もいたものね?まさかこのローズマリー様をストーキングするなんて」

 いつもの調子の真理に少し安心した亜希はマデリンとして言葉を返す。

「でもマリーも丸くなったわね…3年前ならあの男、殺してたでしょ?」

「適応したのよ…現代社会にね…」

 ふたりはカエルの合唱のような高笑いをあげた。



 夕食の準備を完了した亜希が真里を机に招く。

「メリークリスマス」

 グラスを軽く合わせ、話し始める。

「そーいえば、例のゼミ旅行はどうだったの?」

 真理は嬉しそうに目をグルグルさせ、照れながら話し始めた。

「イナタクと27日にデートすることになったわ…!あと男の子にも告白されたの…!」

「えぇ!?」

仰天する亜希。

「なによ。マリーあんなに計画を教えてくれって頼み込んできたのに、とんだ小悪魔ちゃんじゃない!」

「ふふふ」

 亜希はどうしてそうなったのかを聞く。

「そうね…まずドッジボールをしたんだけどね。そしたらあたしのボールが強すぎて台風が起きてね。雨宿りで博物館にいったら世界が反転して、古の動物と縄文人たちが闘い始めたの。そしたらそれ一緒に見てた男がね、俺は未来で立花さんと結婚してたって言って、好きって告白されたの。ゼルダも驚いてたわ。その子、君が泣くなら僕も泣くって言ってた。でもあたし彼を断ってね、でも勇気も貰えたからイナタクを誘ったの」

「ふーん…」

 よく分からないが、とにかくうまくいったことだけは理解した亜希。

「イカれた世界にバースデイソングを…歌いに行こうぜ…ってこと?」

「まぁそういうことよ」

 顔を見合わせるふたり。真理が噴き出す。真理につられて亜希も笑う。

「はーおっかしぃ。マデリンってホントおかしいわ。どうして七面鳥頭からかぶるのよ」

「うるさいわね…本田圭佑のせいよ!」

「意味不明だわ!」

「マリーには言われたくないわよ!!」

 笑い転げるふたり。

真理が楽しそうなのを見て、亜希は心の底から安心する。

「良かったわ…そんなに傷付いてなくて…なんかあったらなんでも言ってね。私たち相棒なんだから」

 目を潤ませる真理。

「ありがとうマデリン。でもね、あたしローズマリーだから、あんなくそったれには負けないわ。あたしローズマリーだから、人にやさしいままでいられるわ。あたしローズマリーだから、変えたくないものを大切にできるわ」

「真理…」

 亜希は少し悩んだ後、真理のことを「たくましくなったね」と褒めてあげた。

「そうね…あたしたくましくなったわ。ふふ。全部マデリンのおかげよ。あたしたちホントになんにだってなれるのね」

 亜希は驚き、言葉を詰まらせる。

「「なんにだってなれる」か…覚えてたのね…あたしの好きな役者の言葉…もう見ることはないのに…」

 力なく笑う亜希に、真理は真っすぐ答える。

「忘れるわけないわ。大切なものだから。みんなが彼女のことを忘れてもあたしたちは絶対に忘れない。そうでしょ?」

 亜希は役者のことを思いながら答える。

「そうよね…忘れるわけない。大好きだったから、彼女に夢をもらったから、今があるの。この気持ちだけは絶対に変わらないし、変えたくもないわ…」

 真理はうつむく亜希に意を決して訊ねる。

「ねぇ…マデリンはもう舞台に立たないの?」

 唖然とした感じで顔をあげる亜希。

「立たないわよ。もう役者はやめたわ。それに今は先生よ」

「先生やりながらやればいいじゃない!あたしマデリンの演技が一番好きよ」

「マリー…ありがとう…でもね私には才能が足りなかったの。私よりかっこいい人なんて腐るほどいたわ…」

「マデリン…」

 真理を悲しませたくないから、明るい口調で話す。

「でもね!今の私の夢はね、演劇部の顧問になって生徒たちを優勝させることなの!だから完璧にこの世界から離れるってわけじゃないわ!」

「そう…それも素晴らしい夢ね…」

 少々の沈黙が流れる。その中で真理がつぶやく。

「あたし忘れないから。センパイの演技に魅せられたこと」

「うん…」

 亜希は無言で立ち上がり、一本のVHSを持ってくる。『ローマの休日』だ。黙って見始めたけど、最終的にはふたりで笑った。



 12月27日 午前10時前 公園

 真理はベンチに座ってイナタクが来るのを待っている。座っていると、道を聞いているのだろうか、通りがかる人に声をかけるもスルーされている老婆を発見する。真里は少し悩んでから、立ち上がり、自分を奮い立たせた。
「あたしはローズマリー。子どものころと同じように、人にやさしくできるはずよ」

「おばあちゃん、どうしたの?」

 老婆が焦燥した顔で真里の方を向く。

「あぁ、お姉さん、足立クリニックはどちらにあるかご存知ですか?」

「足立クリニック?それならすぐそこよ。連れてってあげる」

 5分もかからず病院にたどり着く。

「どうも親切にありがとう」

 気にするなと首を横に振る真理。老婆と少し話す。

「実はね…あたしね、これからデートするの…!」

 老婆は優しく微笑む。

「お姉さん親切だから、きっとうまくいくよ」

「ふふ。ありがとう。おばあちゃんも身体気を付けてね」

 病院からゆっくり去っていく真理。歩きながら先ほどの老婆の言葉を反芻する。

「お姉さん親切だから、きっとうまくいくよ」

 万能感にますます満たされていく。

「デートの約束を取り付け、犯罪者を撃退し、しまいには困ってる人を助けた。完璧で究極の悪魔、デーモン・ロック・ヒストリーとはあたしのことよ…!!」


 周囲が暗転し、スポットライトが降りてきてローズマリーだけを照らす。静寂の中で、遅かった足取りはだんだんと早くなっていき、彼女を追う明かりの動きも忙しくなっていく。
公園の街灯の下でローズマリーは立ち止まる。彼女はその場で何回か回転した後、いたずらな表情でウインクをする。すると、キング・クリムゾンの『ムーンチャイルド』が流れはじめたので、それに合わせてバレリーナ風のタップダンスを踊る。街灯を起点に、ゆったりと回り、右へ左へと白鳥のように舞ってみせるのだった。


「なにやってんだおめぇ」

 踊りの余韻に浸っているとイナタクに声をかけられた。やっと来たみたいだ。

「誕生日おめでとうイナタク。忘れられない日にさせたげる」

 不敵に笑う真理。意気揚々と遊園地に向かうのであった。

 よくわからない縦に一回転する船と、横に高速回転するブランコが楽しかった。海賊がモチーフのジェットコースターには2回乗った。お化け屋敷では怖がった勢いでイナタクの手を握ってやった。レストランに入るときはふたりそろって金属探知機に引っかかった。なかなかに楽しいデートだったと思う。

 だが、問題は帰る直前、カフェで「もう今年も終わりだね」と雑談しているときに起こった。

「来年は就活とか卒論だとか、いろいろ考えないとな」

 イナタクの言葉に少々の緊張を感じる真里。彼を励ますように、自分に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。

「あたしたちなら大丈夫よ。前を向いて立ってれば、きっとうまくいくわ」

 イナタクは厳しい顔を真理に向ける。

「だが希望的観測だけじゃ生きていけないぜ。そろそろ現実と向き合うときだ」

 真理は笑顔を向けたまま固まる。

「ほら、俺も立花も横道に逸れるタイプだろ?このままじゃいられないぜ。他の奴らはみんなまともにやろうとしてんだから、俺らも真っ当にならねーとだ」

「あたし別に横道には逸れてないわ。自分の思う方に走ってるだけよ。それに誰よりも真っ当にやりたいって思ってるわ」

 イナタクは、焦燥した感じで強い言葉を返す真里に少々驚いたが、冷静に自分の意見の続きを述べていく。

「自分の思う方に走ってうまくやれりゃいいがな。独自の世界で生きていけるのは天才か、ロクデナシだけだぜ」

「なによそれ…」

「世界観は懐に隠して、レールに乗ろうってことだ。別に無くせってわけじゃない。隠しておけば自分のままでいられるだろ?」

「たしかにそうね…でもどうして隠す必要があるの?あたしはあたしだし、イナタクはイナタクでしょ?隠してたら大切なのに忘れちゃうかもよ?」

 少し考えてから、イナタクは答える。

「全員が世界観をむき出しにしてたらぶつかり合っちまうだろ?そういうことだよ。みんなが情熱を抱えながら、譲り合って、支え合って、社会は成り立ってるんだ。素晴らしいことじゃないか。それに大切なものは忘れないはずだよ」

 真理は首を横に振る。

「違うわ…イナタクの言ってることは間違ってないと思うけど…あたしが言いたいこととは違う」

「なんだよ…?」

「違うのよ!だって隠してたら忘れなくても変わっちゃうじゃない!いやよ!あたし絶対に変えたくないわ。どんなに見苦しくたって、大好きなものを大好きって言えなくなるのは嫌だし、そこから離れたくないわよ」

「おい?どうした?なんの話だ?」

「あたしはあたしの世界の真ん中で生きるわ。どれだけ怖くても、そんなところ無かったとしても、それが大切なんだからそこだけは譲りたくない」

 イナタクは彼女の言葉を解釈した後、諭すように話し始める。

「なぁ立花…目を背けてちゃあ駄目だぜ」

「なによ…?」

「お前が言っていることを悪いとは思わない。でもな、サンタクロースを探しに行った子供はみんな死んじまうんだよ。冷たい現実と目を合わせ、涙を流して、もう一度立ち上がる。それが大人になるってことなんだ。俺はそう思うぜ」

「だから違うのよ!」

 机を叩き、取り乱す真理。イナタクも強く言い返す。

「何も違わねーよ!!いいか?現実から逃げてちゃあ駄目だ。俺もお前と同じタイプの人間だからわかるんだ。ずっと鬱屈としたままじゃいられないだろ?がんばれよ!」

「うるさい!あたしはあたしなのよ!どこまでいったってあたしのはずなの!!」

 真理は溢れる涙を止められなかった。

「もっと楽しいデートが良かったわ…ああしろこうしろはもううんざりなのに…どうして不安になることばっか言うのよ…最悪だわ…」

 力のない怒りを表す真理。イナタクは彼女にゆっくりと語りかける。

「お互いに現実と向き合ってみようぜ。辛いだろうし、嫌なことばっかだろうし、怖いと思うけど、向き合ってみよう。そうしたらもう一度、今日みたいにふたりで話そうぜ」

 真理は黙ったままだ。

「じゃあな」

 イナタクが去った後も真里はすぐには立ち上がれず、少し泣いてから帰った。

 真理は怖かった。心の片隅で理解していたことだから、これからを鮮明に想像できて、とにかく怖かった。
 家に帰ってブルーシートの張られた天井の下で泣いた。




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