「人にやさしいままでいたい」第9話
12月29日
亜希はデートの結果を聞きに真理の家を訪ねる。
「なによ?」
いつも通りの不敵な笑みでドアから顔を出す真理。だが、何かおかしい。普段ならもっと飛び跳ねて出迎えてくれるのに、今日はやけに落ち着いているというか、ドライな感じだ。
「なにって、ひとつしかないでしょ?恋のチムニー大作戦の進捗を聞きに来たのよ!」
「…そう…入って…」
中に入るとハンクは出迎えてくれた。だが、彼も普段よりおとなしい様子だ。バウバウ吠えないし、耳も垂れ下がっている。
「どうしたの?ハンクちゃん」
奥に進むと、ハンクに元気のない理由がすぐにわかった。いつもは几帳面に整理されている真理の部屋が今日はぐちゃぐちゃに荒れているのだ。
戦慄するマデリンに真理は後ろから声をかける。
「あたしと彼は考え方が合わなかったみたい」
「どうしたの?何があったの?」
「彼も所詮はただの人間だったってわけよ。くだらない価値観に縛られていたわ」
冷蔵庫から乱暴にりんご飴を取り出し、かじりつく真理。
「現実に向き合えって言われたの。靴底に鉄板入れてるわけわかんないガキがあたしにそう言ったのよ。なんでそんなこと言われなきゃいけないの?あのガキは現実が見えてて、あたしは道を外れてるって言うの?こんなに真面目にやってるのに?ふざけんな」
真理の言葉を聞いた亜希は、一瞬悲痛の顔を見せる。その後、天を仰いでから覚悟を決めた表情に切り替え、真理にやさしく、強く、訴えかける。
「それはひどいわね…でもさ、確かにマリーもスイッチの切り替えを身に着けなきゃいけないかもよ」
「何が言いたいの?」
「悲しいけどずっと夢を見てはいられないのよ。これからはこっちとあっちを出入りしながら生きるの。私も柔軟にやって、同じ心のまま今の職に就いたわ」
亜希の言葉を聞いて真理は笑う。腹を抱えて笑う。
「マデリンならわかってくれるって思ったんだけど、あなたもイナタクと同じなのね。同じになっちゃってたんだね」
「マリー…?」
瞬間、真理は怒りを爆発させる。
「何が柔軟によ!同じ心のままよ!昔のマデリンはもっとむき出しだったわ!もっときらめいてて、もっとかっこよかったわよ!」
亜希は取り乱し、反論する。
「違うわ!私のあり方はずっと私のまま!私がマッド・デリング・デーモンだし、桐谷亜希よ!何が気に入らないの!?ただ必死に考えて、今をがんばるために成長しただけじゃない!」
「聞こえのいい言葉ね。成長ですって?じゃあ役者としてビッグに成長してくれればよかったのに。演技だったとしても…嘘だったとしても…本物の世界をマデリンは見せてくれたわ!でも今のあなたには無理ね!明日の事ばっか顧みてるあなたには無理ね!!」
亜希は大きなため息をついた後、呆れたような口ぶりで話す。
「聞こえがいいのはどっちよ。明日を顧みない人間に明日は無いわ。マリーが言ってることはね、幼稚園児の語る夢と同じ次元の絵空事よ」
それを聞いた真理は亜希に向かってスリーブガンを向ける。
「なんにだってなれるって、あたしに教えてくれた人はもういないみたいね」
「マリー、ごめ」
亜希の言葉を遮って叫ぶ。
「出てって!早く出てって!子どもたちにありもしないまともを教えてきなよ!さよなら!桐谷センパイ」
家を追い出された亜希。階段をゆっくりと降りていく。途中で涙が溢れてきたので、しゃがみ込んで、隠れて泣いた。
真理はぐちゃぐちゃの部屋で毛布にくるまりながら『プーと大人になった僕』を見始める。
「だけどもし君がぼくを忘れたら?」
「絶対忘れないよ。約束する。100歳になっても」
どうしてだろう。何度も見た映画なのに、まだクリストファー・ロビンの子供時代が終わっただけなのに、何故だか涙が止まらない。ハンクが優しい目で自分を見ていることに気づく。彼に笑いかけ、嗚咽しながら泣いた。
12月31日
午後6時ごろ、マデリンが馬鹿みたいな量の清掃道具を持って真理の家を訪れる。
「何しに来たのよマ…センパイ」
「大掃除に決まってるでしょ!!」
凄い剣幕の亜希に押され、渋々彼女を家に入れる。
散乱状態の部屋を見た亜希は「それ見たことか」とため息をつく。そして「このまま年を越す気?」と優しい笑顔で真理に話しかける。
てきぱきと掃除を行う亜希。真理はベッドの上で縮こまって、その様子を眺めてる。
「ねぇ…」
「なに?」
亜希は手を動かし続けているが、そのまま質問する。
「どうして来たの?」
「どうしてって…大掃除するためよ。どうせマリーはやってないだろうから」
「どうして?あたしこの間ひどいことしたわ…」
亜希は手を止め、真理の目を見て答える。
「だって私たち相棒じゃない。そうでしょ?」
亜希のあっけらかんとした笑顔を見て真理も笑みをこぼす。
「そうね…うん…あたしたち相棒だわ」
亜希の横に並んで、心の何かを探すように、真理も掃除を始めた。
掃除をしていると色々な物が出てきた。ひとつひとつ、掘り返すたびに、思い出の風景も蘇ってくる。面白かったこと、悲しかったこと、勇気をもらったこと、うれしかったこと、楽しかったこと、ドキドキしたこと。感情だけじゃない。その日の天気、帰り道、自転車に乗っていたこと。
大切なことをホコリをかぶった宝物たちが思い出させてくれた。
掃除が終わるともう11時過ぎになっている。
亜希は大慌てで年越しそばを作り始めた。真理は掃除中に出てきた脚本を懐かしみながら読んでいる。これは亜希と共に舞台に立って一緒に演技をした唯一の作品のものだ。ページの端々に書いてある自分の努力の跡を見て、なんとも面白くて、恥ずかしくて、温かい気持ちになる。
「できたよ」
大根おろしが山盛りに乗せられたそばを亜希が運んでくる。「熱いのには大根おろしは乗せない派だ!」と文句をもらす真理。「年越し前に難癖つけるな!」と亜希はそれを注意する。どうでもいいことを言い合えるのがなによりも楽しい。
思う存分笑った後、真理は改めて先日のことを謝罪した。
「ねぇマデリン…おとといは本当にごめんなさい」
「いいのよ。それにあなたの言ってたことだってわかるわ」
真理は本心を話す。
「あたしね…本当は今のままじゃいられないってわかってたんだ。マデリンやイナタクが正しいってことも。それでもね、このままでいたいなって思っちゃうの」
「マリー…」
「ひとつも現実じゃないし、全部がちぐはぐだったけど、間違いなくあたしはあの世界で生きてたし、あの冒険はホントだったし、あの人生が生きる希望にもなってたわ。今だって目を閉じるとね、世界が広がってるの」
亜希は笑う。
「私だってそうよ。瞳の奥の世界は広がったままだわ。私たちなんにだってなれるんだから…ね…」
「そうだよね…」
真理は決意を固め、亜希の目を見て、湧き上がる情熱を訴える。
「マデリン、あたし役者になるわ。遅いかもしれないけど…なんにだってなれるんだから、なにかに向かってみるよ」
「そう。いいじゃない」
鐘の音が聞こえる。時計を確認すると0時を越えていた。
「あけましておめでとう、マデリン」
亜希は真理=ローズマリーに笑いかけた。
「あけましておめでとう。ローズマリー」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?