「人にやさしいままでいたい」第3話

「完璧よね…」

 部屋の掃除を完了し、そわそわしている真理。見苦しいところがないか入念にチェックを繰り返す。

 ピンポーン

インターホンを聞いた真理は、待ってましたと言わんばかりに玄関へと駆けていき、ドアを開ける。両手に大荷物を抱えた亜希がやってきた。

「ふふ、いらっしゃいマデリン。雨平気だった?」

「問題ないわ。邪魔するわよ、マリー」

 満面の笑みで亜希を迎え入れる真理。
荷物を置いた亜希は、自分に寄ってきたハンクのことを抱きしめる。

「ハンクちゃん!元気にしてた?」

 ハンクにべたつく亜希を見ていると、真理はどうしても水を差したくなる。

「あのぅ…名前を呼ぶときは”ちゃん”を付けるのは止めてください。”ちゃん”を付けると犬は”ちゃん”までが自分の名前だと思い込んで”ちゃん”を付けないと振り向かない場合があります。犬には…」

「うるさいわよ古畑」

 水を差された亜希は台所へと向かう。

 ふたりはどちらかの家に行って、一緒に夕飯を食べるということを亜希が学生のころから定期的に行っている。今日はゼミ旅行についての相談をしたくて、急遽、真理が亜希のことを呼び出したのだ。

「悪いわねマデリン。突然呼んだ上にご飯まで作らせちゃって」

「ううん、気にしないで。また魚食べさせてね」

 手際よく調理を行う亜希を、尊敬の眼差しで見つめる真理。真理は亜希に憧れている。

 二人の出会いは、5年前、真理がオープンキャンパスで大学を訪れたところまで遡る。
 演劇部の舞台を鑑賞した真理が、力強く、真に迫る演技を魅せていた亜希に心を奪われたのだ。あこがれを抱えた真理は公演終了後、すぐに亜希の元へと駆けつけた。先輩たちは困惑していたが、演劇部の活動紹介という形で無理やり、数分の話す時間を設けてくれた。そして、この数分間で二人はものの見事に意気投合し、そこからは現在の関係に至るのだった。

「できたよ!」

 調理を完了した亜希が少林寺拳法の体制で料理を運んでくる。亜希の得意メニューのビーフストロガノフだ。目を輝かせる真理。すぐに食べようとしたが、思い出したかのようにスプーンを置き、冷蔵庫からキンキンに冷えたワインを取り出してくる。

「なかなか気が利くじゃない」

「マデリンの料理に合うと思って用意しといたの。血塗られた美酒よ」

「血塗られた美酒…!?」

 緊迫した空気が流れ、両者は睨みあう。真理のお腹が鳴る。糸が切れたように大笑いする二人。乾杯をし、食事を始める。


「ってわけでね。マデリンにはどうやってイナタクを獲得すればいいかのアドバイスをもらいたいのよ」

 しおりを広げ、ゼミ旅行の概要を説明した真理。亜希は「これだけではなんとも」と釈然としない様子である。

「旅行のことは分かったけど、もう少し情報が欲しいわね。相手の子の。イナタクってあだ名なの?なんか写真とかある?」

 亜希の言葉を聞いた真理は、背後に隠していた資料を取り出す。イナタクの写真を見せ、説明を始める。

稲垣卓丸いながきたくまる、19歳。12月27日生まれ、身長は180センチ、体重は74キロ。左利き。この左利きは「左利きにはミステリアスなイメージがある」と考えて矯正されたものよ。趣味はビリヤードとドライブ。好きな映画は『アルカトラズからの脱出』と『THE BATMAN』。ふふ。彼、ハードボイルドに憧れてるみたいなの」

 情報の量に驚く亜希。「友達が聞いてくれた」という言葉に一安心し、改めて資料を確認する。

「ふーん」

 「会ったことのない野郎の情報なんて正直興味ねーな」と思ったが、ドキドキしている真理が可愛らしいので、ひとつ彼女をからかってみることにした。

「でもさ、上級悪魔のローズマリーが人間の男にうつつを抜かすなんて正直がっかりね」

 真理は眉をひそめる。

「それにこの男も私気に入らないわ。何よビリヤードが趣味って。しゃらくさい。タレント気取りじゃない。私やったことないわよ」

 亜希の言葉に激昂し、机を叩く真理。

「うるさいわよ金髪気取り!あたしが彼に近づくのは隠れ蓑にするためよ!それにマデリンだってスノボ好きの宮島・エリック・賢吾と付き合ってたじゃない!!」

 思ったより怒ったことと、痛いところをつかれたことに狼狽する亜希。「ごめんね」と謝罪をする。それでも真理は不貞腐れたままだ。

「そんな答えを聞きたかったわけじゃないわ…マデリンに相談に乗ってほしかったのに…ひどいよ…もう…帰って…」

 予想以上の凹み具合である。考えを巡らせる亜希。
「私は教育者。メンタルケアなんてお手のものだ」と自分に言い聞かせる。

「まっすぐ勝負しかない…!」

熟考の末、大荷物の中から習字道具を取りだす。
ベッドの上で体育座りをしたまま、亜希の行動を目で追う真理。

「ハァアア!!」

 亜希は藤岡弘、のように雄叫びをあげて文字を書き始める。額には汗を浮かべている。真理は亜希の達筆な文字に、不貞腐れるのを忘れて、目を奪われる。

「よぉおおし!」

 亜希は完成した数枚の半紙を新聞紙の上に並べると、真理を呼ぶ。真理は作品を見て驚きの声をあげる。

「こ、これはまさか!?」

「その通り。これは恋愛の極意よ…!」

恋愛の極意
「その一 ラブレターを書くべし」
「その二 告白するべし」
「その三 思いを伝えるべし」

 亜希に感謝を伝える真理。でも苦虫を嚙み潰したような表情だ。

「ねぇマデリン…これ結局言ってることは全部同じじゃない…?」

「まぁね…極論よ…結局これが一番いいってことね」

「これは参考になるんだろうか」と頭を悩ます真理。それでも亜希の熱量におされ「まぁなんとかなるか」と思うようになる。

「マリー。大事なのはなりきることよ。あなたは完璧で究極の悪魔なんだからなんだってやれるのよ。あんなガキンチョ落とすのなんて、月に上陸するくらい簡単よ!」

「そうよね…そう…あたしは完璧で究極の悪魔!デーモン・ロック・ヒストリーことローズマリー様よ!サノスとの戦いに比べれば、あんなガキ落とすのなんておちゃのこさいさいよ!!」

「その通りよ!マリー…!」

遠い目をする二人。数分こうした後、亜希はハッとしたように荷物の中からグローブを取り出し、真理にも渡す。

「「恋のチムニー大作戦」はここからが本番よ。さぁ、早く外に出ましょう!!」

「ちょっと待ってけろマデリン!意味わかんねぇでがす!それに今雨降ってんだぁよ!」

 真理はテレビをつけて、明日直撃予定の台風23号のニュースを見せる。動揺からか、訛りが出た真理を見て、亜希はため息をつく。

「あのねマリー。台風が来るとか来ないとかは関係ないの。今日、この悪天候の中でキャッチボールをすることがゼミ旅行成功への最高の調整になるのよ」

「ふーむ…なるほどぉ…」

「あと最近投球フォームを変えたのよ…確認したくてさ」

 亜希の言葉に気乗りはしないが、納得する真理。
 二人は近所の公園にキャッチボールに出かけた。でも夜で暗いし、雨も降っていたのですぐにボールを失くし、5分ちょっとで帰った。

「くそぅ…ボールが見えなかったわね」

「マデリン…寒いわ…」

 幸い明日は休日だ。

 家に着いた後、二人は熱々のシャワーを浴びた。その後は熱々のココアを入れ、あまーいクッキーを食べながら恋愛映画を朝まで見た。


 翌朝、午前11時過ぎくらいに真里は目を覚ました。横では亜希がまだ寝ている。
 目をこすりながら、カーテンを開け、外を見る。大嵐だ。「ヒュウ!」と短い口笛を吹き、ニュースをつける。
家にいるときという前提の上だが、台風は嫌いじゃない。
「外は立っていられないような暴風雨の中で、あたしは安全な家の中にいる…!!」
この優越感に浸って、昂揚感を得るのだ。

 ピシャン!ゴロゴロゴロ!

「ぎゃあ!」

 優越感に浸っていると雷に驚かされた。腹を立てた真里は雷に吠え返す。

「うるせぇぞてめぇ!静かにしろぃ!!」

 真里の怒号に亜希が飛び起きる。

「わああああ!?なに!?なに!?なにごと!?」

 亜希に気づいて、少し取り繕ってから彼女を挑発する。

「おそようマデリン。隙がありすぎで殺す気も失せちゃったわよ」

「あぁ…おはよぅ…」

 寝起きのマデリンは張り合いがないんだよなとしょげる真里。外の様子を教えてあげる。

「げぇ、帰れないじゃん」

 面倒くさそうな表情の亜希。その後、少し考えてからニヤリと笑う。

「ノーアウトランナー1、2塁ってとこね」

「…どういうこと?」

 怪訝な顔の真里に、「やれやれ」と恋愛教祖気取りで亜希はアドバイスを送る。

「イナタク獲得のチャンスってことよ」

「ハッ…!!」

 全てを理解した真里。


「3番 サード R・マリー」

「よろしくお願いしまぁっす!」

 審判に挨拶をし、打席に立つローズマリー。
 確実にランナーを進め、このチャンスを拡大してやるとバントの構えをとる。

一球目 ボールは大きく外に外れる。 
二球目 再び変化球が大きく外れる。

「今塁にいるのはどちらも四球で出たランナー。この雨のせいか?荒れている…!あのピッチャー全然コントロールが定まってないぞ…!」

 監督の方を見る。自由に打てのサインが出ている。

「監督…!!」

「プッぺ!プペぺ!プッぺ!プペぺ!ローズマリー!!」

 ファンの奏でるチャンステーマがマリーのハートの後押しをする。

「そうよ…みんながあたしに求めているのはバントなんかじゃない…!」

 ローズマリーは予告ホームランをする。どよめきが起こるスタジアム。

ピッチャーの抜けたカーブがど真ん中にくる。
「あたしに求められてるのは、このフルスイングなのよ!」

「クラリチン!!」

 白球は大空へと消えていく…消えていくはずだ…そう、消える、消えるはず…いけ!超えろ!超えろ!消えて行け!!


「台風気をつけてね」
「自然は連続殺人鬼よ」

 真里はガッツポーズをとった後、空のモデルガンをこめかみに押しあて、引き金を引き続ける。その後、亜希に「ラインを送ってやった!」と報告をする。
「よくやった!伝えることが大事なんだ!」と飛び跳ねる亜希。真里にラインを見せてもらう。

「台風気をつけてね」
「自然は連続殺人鬼よ」

「完璧なタイムリーでしょ?」

 青ざめる亜希。

「マデリン…?タイムリーだよねぇ…?」

 力なく首を振る。

「ゲッツー…いや…サード正面、5-4-3の三重殺よ…」

 亜希の言葉に真理は取り乱す。

「なによそれ!マデリンがチャンスって言ったんじゃない!!」

「ごめん…」

 うつむく亜希。考えて、考えて、必死にフォローする。

「でもさ、とりあえず気があることのアピールはできたじゃない!ね!大丈夫よ!次回につながるわ!」

「やめてよ!フォローしないで!次回とか言わないで!」

 真里は「マデリンが憎いわ」とヒステリックを起こす。
 そのまま数分しょげた後、まだ既読がついてないんじゃないかということに気がつく。

「そーよ。見られてなければ仕切り直せるわ」 

 思い立つや否や、トーク画面を開く。既読はついていない。

「よし!まだ助かる!マダガスカル!」

 送信取り消しまで、あと3秒!2秒!1秒!
まさに今消すというとき!真理のメッセージに既読がついてしまった。

「うそぉ…どうしよぅ…」

 絶望に打ちひしがれる真里。
 その時だった。

「大丈夫」
「そっちも気をつけな」

イナタクから返信が来たのだ。

「マデリン!!ッ」

 冷静に亜希を呼んだつもりだったが、思わず大きな声が出てしまう。彼女に彼からのラインを見せる。

「よし、よし、よしよしよしよし…!マリー!!良かったじゃない!まだ助かるわ!涙のバント失敗くらいよ!!」

 2人は抱擁する。真里は彼からのラインを改めて確認した後、ベランダに出て天を仰ぎ、雨に唄い始めた。

「頑張るのよ…マリー…!」

がむしゃらな真里を見て、微笑む亜希なのであった。






#創作大賞2023

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