「人にやさしいままでいたい」第6話
桃花はカタツムリみたいなスピードのイナタクと真理にイラついていた。
「ねぇ!絵ひとつ見るのに10分以上かけないでよ!もう1時間も無いんだよ!これじゃ全部見切れないよ!!」
やれやれだとイナタクが答える。
「ならお前はひとりで先行けよ。ただ観りゃいいってもんじゃねーんだ」
ムッとする桃花。不敵な笑みを浮かべる真理。
「ゼ…桃花はまだおこちゃまみたいね。あたしたちの真似をしてみなさい。作品から鼓動を感じ取るのよ。所詮は猿真似でしょうけど…フハハハ!」
「うるせぇぞ!アマ!静かにしろぉ!!」
「うっ…ごめんなさぃ…」
イナタクに怒られ、しょげる真理。
「イナタクもうるさいよ…はぁ…」
桃花は久しぶりにイナタクと話してみて戦慄している。
「マリーに普通を演じろって言ったけど…イナタクも相当香ばしいわね…」
桃花はイナタクに訊ねる。
「ねぇイナタク」
「なんだ…?」
「好きな俳優は?」
「…吉川晃司」
「憧れてる人は?」
「…吉川晃司」
だめだこりゃと頭を抱える桃花。真里は「イナタクは吉川晃司好き」とメモをとる。
「おい、何故頭を抱える…?吉川晃司の何がいけない?」
「吉川晃司は別にいいわよ…それよりね、あんたのそのやたらデカい足音がどうにかなんないかを考えて頭抱えてたの!」
「たしかに…イナタクゆっくりなのにやたら足音がうるさいわよ」
真理も桃花に加勢する。双方から責められたイナタクはやれやれといった感じで革靴を脱ぎ始める。
「別に脱ぐ必要は無いんだよ?ただ静かに歩いてくれればいいだけで…」
「違う」
そういうとイナタクは靴のかかとのところをスライドさせる。中からは厚みのある鉄板が出てくる。
「金属探知機にひっかかったときによ。看守には素直に衣類かけを渡すんだ。金属が使われてるやつな。そしたらこれが原因で探知機は鳴ってたんだって野郎は勘違いする。靴底の鉄板に気づかれることはない…完全犯罪さ」
「ミスディレクションね…」
感心する真理。ついていけない桃花なのであった。
美術館見学の終了まで残り10分。
3人は最後に庭においてある《考える人》の像の前で記念撮影をすることにした。桃花は通りがかった不潔な根岸くんに写真撮影を頼みに行く。
「ふたりきり…!!」
真理は緊張につつまれる中で、必死に紡いだ言葉をイナタクに届ける。
「稲垣くん…あたしにはね、今日みんなが言っていた眠いだとか、疲れたとか、スゴイみたいな感情はないものだと思っていたのよ。でもね、こうやってあなたと一緒に行動してね、いろいろな喜びを感じられたわ。ありがとう」
「なんだ…?どうした急に?」
ふたりの元へ不潔な根岸を連れた桃花が戻ってくる。
桃花は真理の横に立つと、何を話していたのかそっと訊ねる。真理は笑顔で「秘密よ」と答えた。
16時。朝のグラウンドでドロケイが始まった。
ゼミ生たちはすでに疲れ切っていたが、もう文句が出ることはなく、思い思いに、ひたすらに走った。
真理はあえて警察側のイナタクの視界に入るようにうろちょろする。
「きた…!!」
気づいたイナタクが追いかけてくる。
「悲願の追いかけっこ…!浜辺ではなく、あたしの掌だけどね!」
イナタクの迫力を感じる真理。その距離約10メートル。
ここで真理はわざと転ぶ。イナタクにベンチ裏に連れていってもらい、ふたりきりで話してやろうという魂胆である。
ドタン!
転ぶには転べたが、背中から倒れ、受け身もとったためか、思ったよりダイナミックな印象の転び方になる。砂埃も舞っている。
「なにやってんだ」
イナタクがシャドームーンのような足音を鳴らして、ゆっくり真理のもとへとやってくる。
「駄目だ…まだ笑うな…ふふふ。計画通り…!」
真理は腹の底の笑いが表に出ないよう、必死に重傷をよそおう。
「イナタクっ!早く来て!足がっ!足がァ折れてるかもぉぅ!!」
イナタクとの距離約3メートル!
「大丈夫かぁ!?立花さん!?」
ここで矢のようなスピードでゼミ長が割って入ってくる。
「わぁああ!なによあんた!大丈夫!大丈夫だからあっち行って!」
「強がらなくていい!これは…重傷だな…」
ゼミ長はドラマの影響か知らないが、大げさな診断をした後、真理を担架に乗せてベンチに下がっていった。
ベンチ待機を命ぜられた真理。先生と二人でみんなの様子を眺める。ぐるぐるに巻かれた包帯を引っぺがし、もう一度戦線に復帰しようとしてもゼミ長が来て止められてしまう。ゼミ長の愚痴を吐きたくなった。だが、今朝、彼の味方でいることを決めてしまった。
真理はスピーカーから交互に流れる『ピンクパンサー』と『ミッションインポッシブル』のテーマを聞きながら、自身の計画の脆弱性と、迫真の演技パワーを呪うのであった。
18時30分。一行は居酒屋にたどり着く。
「みんな、今日はありがとう!様々な変更はあったけれど、みんなの楽しむ心がこの日帰りゼミ旅行を成功に導いてくれたんだって僕は思うよ。じゃあかんぱ」
「ちょっと待って!」
ゼミ長の乾杯の音頭に割って入る臆病者の田岡さん。田岡さんは仲間たちとアイコンタクトをとり、頷き合ってから、ゼミ長にパンダのぬいぐるみを渡した。
「灰崎くん。今回は素敵な遠足を企画してくれてありがとう。正直私たちさ、朝のバスでしおりをもらったとき、もう帰りたいなとかクソだとか思ってたんだ…でもさ、ゼミ長の熱さで!今日は童心取り戻して、絆深めて、思いっきりのっぱら駆け回れたよ!!」
他のゼミ生たちも「楽しい球技大会だったよ!」など、口々に感謝を述べる。
「田岡さん…みんなぁ…ありがとう!!」
涙を流しながらパンダを抱きしめるゼミ長。ゼミ長の代わりにネパール出身のラヤマジ君が乾杯の音頭をとる。
「カンパイ!マザファカノビノビタ!」
不潔な根岸くん、愚か者の里中さん、見栄っ張りの藤原さん、みんなが楽しそうに今日の感想やくだらない話で盛り上がっている。
「なんだかんだ来てよかったでしょ?イナタクのことだけじゃなくてさ」
桃花の言葉に笑顔で頷く真理。
「楽しかったわ。それに…ドロケイのときに考えてたんだけどね…ゼ…桃花には本当にお世話になってるって改めて感じたの。いつもありがとう」
微笑む桃花
「どうしたの急に改まって…ふふ。こちらこそいつもありがとうマリー。別にゼルダでいいからね」
二人はなんだか照れくさくて、楽しくて、笑い合った。
2時間くらいたったころ、進一と藍が真理と桃花の席にやってくる。
「なぁ、おふたりさん俺たちも一緒に飲んでいいかい?」
顔を見合わせ、こそこそ相談するふたり。
「どうする?マリー?」
「ちょうどいいわ。彼らにも「恋のチムニー大作戦」に参加してもらいましょ。男性の意見も聞きたいわ」
話がまとまった二人は進一たちの場所を空ける。
「悪いね、お邪魔しちゃって!ゼハハハ!ハッハァー!!」
「海賊みてーな笑い方だな!タコ助!」
進一たちのやり取りに苦笑いの桃花。今日は話す機会が多いねと話題を変える。
「それなんだけどさ…」
藍が進一に本題を伝えるよう促す。進一は覚悟を決めて口を開く。
「実はさ…おれ立花さんのことが好きなんだ!結婚してください!」
突然の告白に声をあげて驚く桃花。進一を支える藍。動揺する真理。
真理の左ひじには大きな手術痕がある。幼稚園のときにジャングルジムから落ちて複雑骨折したときにできた痕だ。歴戦のサウスポーみたいだと本人的には気に入っているこの手術痕は、酒を7杯ほど飲むと赤く変色し、酔ったことを知らせてくれるサインになる。だが、今日はなんだかおかしい。まだ5杯も飲んでいないのにすでに変色しているのだ。
「結婚してくれ!立花さん!いや、マリー!!」
「この男のせいか…」
真理は変色の原因を理解する。
「とりあえず…ワケを聞かせてもらおうじゃないか…?」
平静を装ったつもりが國村隼のような口ぶりになった真理。進一が理由を語り始める。
「実はさ…これは冗談じゃなくてマジなんだけどさ…俺、未来にタイムスリップしたんだよ。それでね、その未来では俺に奥さんがいたんだけどよ…それが立花さんだったんだ…!!」
ずっこける桃花。「マルチバースね」と一蹴する真理。敗北ムードを感じ取った藍がフォローに入る。
「俺もマジでこいつ頭おかしいんじゃねーかって思ったんだけどな。立花さんと出会う前からこいつ立花さんのこと知ってたんだよ!」
「どういうこと?」
渋い顔の桃花に藍はなんとかして伝えようと努力をする。
「高校のときからよ、進一は未来でこの子と結婚してたって女の絵を書いて見せてくれてたんだ。大学に入ってもそれは続いててよ、俺もこいつもすっかり未来の女の顔を覚えちまってた。それで2年に上がって、ゼミがはじまって、教室に入ってみるだろ。度肝抜かれたね!未来の女がいるぅー!って」
進一はリュックから1枚の絵を取り出し、二人に見せる。
「これが高校のときに描いた未来の女の似顔絵。ほら、立花さんだろ?」
桃花は絵と真理を何度も見比べる。
「うーん…そっくり…なの…?これ…似てるかなぁ…」
「んなことどうだっていいわよ!」
黙っていた真理が口を開く。
「向くんがあたしを好きなのはあたしが未来にいた女だからってこと?ふざけんじゃないわよ…そんなの知ったこっちゃないわ!今のあたしは絶対あんたなんかと結婚しないから。あたしイナタクのことが好きなの!!」
真理の強い言葉に驚く桃花。へこたれるんじゃないかと進一を心配する藍。だが、進一はへこたれることなく真っすぐに言葉を伝える。
「きっかけは未来の女だ。でもよ、俺が好きなのは今の君だ。今の立花さんが好きなんだ。凛としていて、ツンとしていて、遠い目で空を見つめてる。どこか不思議な君の姿が好きなんだ!」
真里は黙って、進一の言葉を聞き続ける。
「『もしも君が泣くならば僕も泣く もしも君が死ぬならば僕も死ぬ もしも君が無くなれば僕も無く もしも君が叫ぶなら僕も叫ぶ』
俺の好きな歌だ。俺はこの気持ちだ。君はイナタクを好きなんだろうけど、俺は君が好きなんだ。俺の魂が、俺の魂で、俺の魂は、君を好きなんだ!」
真理は勢いに飲まれそうになる。
「あたしがイナタクのこと好きなのは変わらないわよ…?」
「それなら俺は略奪するだけだ」
覚悟した進一の言葉を聞いて、真剣な笑顔を見せる真理。彼に向き合う。
「今のあたしはやっぱりあなたとは結婚しないし、付き合いもしないわ」
力が抜け、進一は崩れ去る。
「でもね、あたしあなたのこと嫌いじゃないわよ。あなたチャレンジャーだから、向くんのことあたし尊敬するわ」
「そっか…」
真理は立ち上がり、席を離れていく。その後ろ姿に進一は叫ぶ。
「立花さん!いつか!未来で!」
背を向けたままサムズアップする真理。
真理はそのままふらふらとイナタクの元へ向かう。イナタクの両サイドを固めるウラジミールとラヤマジをひっぺがし、机の上のビールを一気に飲んでから宣言をする。
「おい稲垣!27日空いてるかい!あたしとデートしましょ!!」
真理は少し泣きそうな、本当の心で、イナタクと向き合った。
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