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小説

「人はあり得ないことに遭遇すると、目の前の現実が信じられなくなって混乱するという。かくいう僕もそうだった」

 そのところまで読んで本を閉じた。100均で買ったシンプルな正方形な時計の長針はもうすぐ2時を指そうとしている。
 机に備え付けたスタンドライトまで腕を伸ばす。絶妙に手が届くか届かないか中途半端な位置にあったせいで腕をグッと伸ばすと筋肉が痛んだ。
 ギリギリまで伸ばした人差し指でスイッチを「OFF」にする。
 部屋は暗くなり、窓辺から差し込む月明りだけが部屋全体をぼんやりと照らしているだけになった。
 あとは、カーテンを閉めて部屋を真っ暗にするだけ。
 そういえば、ついこの間までは涼しい風が入って気持ちいいからという理由で、寝るときにカーテンを閉めることもなかった。
 ここ数日で急激に冷え込むようになった。当然窓は閉めないと寒くて寝れないし、カーテンを通していないと、ガラス窓越しに感じる冷気までもが少し寒く感じるほどだ。
 横になったまま、なるべく怠惰な姿勢でカーテンに手をかける。
 途中まで閉めることができたが中途半端に真ん中だけ開いてしまった。この姿勢のままでは、どう頑張っても全部締め切ることはできない。
 それぐらいは諦めてそのまま寝床につこうと思った。しかし、これは多分性格のせいもあると思うが、中途半端に物事を終わらしたみたいで、一度気になり始めたらそれが大きくなっていく。
「んっもう!」
 半ば自分自身に怒るように自分に発破をかけて起き上がる。全くこういう性格の自分が嫌いなのにやらずにはいられない。そのまま残り僅かに閉まっていないカーテンに手をかける。閉める勢いのままベッドに倒れこもうとしたその時だった。
 外、道路の真ん中に目がいった。
 そこには「何か」がいた。
 紅葉盛りの山々のような、紅葉群そのものみたいなそれは大きなボールのようだ。まさに運動会の大玉転がしのあのどデカい球体が、ゆっくりと移動しているような様だった。
 一瞬訳がわからずカーテンを閉めた。2秒間固まってからもう一度カーテンをあけても、道路にはそれがいた。
「……なにあれ」
 何かのテレビ番組の企画だろうか、そんなことも考えたがカメラクルーの姿はないし、そもそもこんんな深夜に撮影なんて、近隣住民の迷惑でありコンプライアンスにうるさい昨今に限ってそれはない。ユーチューバーか何かか?いや、それでも何か不自然だ。本当に自然的にそれは動いてるように見える。人工を介さない極めて動物的な何か、だと直感する。
 気付いたときには足が動いていた。カーテンも閉め切れないまま部屋を飛び出す。少しでも遅れたらあれはもうどこかに消えてしまうような気がして、サンダルを履いて外に出る。
 階段は静かに駆け下りる。郵便受けを抜け外に出る。興奮しているのか、あんまり寒いとは感じない。
 そのまま右折すると、開けた道路が見えた。
 その真ん中、「何か」はいた。
 そして確実にそれは動いている。「飛び出し注意」の看板の横まで動いていて、それは窓から見た時より少し進んでいるのがわかる。

 恐怖とか怖いとかそういうことも思ったが、それよりも足が動いていた。一体どういうことなのか、自分でもわからなかったが走った。
 そして案外、すぐに追いついた。
 30メートルぐらい先、それはいる。
 ゆっくりなスピードで、ゆらゆらと蠢くそれは輪郭が揺れてみえる。実体があるのか否か、何だか雲のように境がない。
 この世のものではない、そんな風に思った。あり得ない、と思うものがそこにいる違和感。
 ここで初めて怖いと思った。目の前の得たいの知れない者に対する恐怖心。
 適度な距離感を保ったまま、ゆっくりと移動するそれをただ眺めていた。何か声をかけたり、音を発して刺激をしてみたりしようなんてとてもじゃないが思えない。
 風が吹いてそれは揺れる。ぼやぼやと境もないそれはやはり自然現象などには思えない。
 見れば見るほど、生きている何かに思えてくる。
 しかし、丸くて大きなそれは意思があるようにも思えない。無機質と有機質が同居するようなものに見える。
 風が吹いた。冷たさを含む夜風が頬を撫でる。
 それは、突如方向を変えた。一時停止線を左旋して角に流れていく。その予想外な行動、急に方向を変えたもんだから目で追いながら距離感を保ちつつついていく。
 先ほどよりは狭い道になった。両隣に一軒家が連なるそこをそれは静かに動いていく。
 塀のブロックにそれの境が触れるか触れないか、そのギリギリを保ちながら動いてゆくのになんだかハラハラしてしまった。それがブロック塀に一度でも当たってしまえば、なんだかそれが壊れてしまうような気がしたのだ。
そんな私の心配をよそに、それは境界線を曖昧にしたまま動く。 左右に連なる家々は暗く息を潜めている。
 たまに、2階の白色電球の灯りがほんのりと見える家があるぐらいで、この時間はどこの家も眠っている。
 それの存在がバレてしまったらきっと騒ぎ出す人が大勢出るだろう。私こそ何か意図的に刺激したりしないようにしているだけであって、大声で喚き立てる人やそれに触ってしまおうとする輩も当然出てくるはずだ。
 その恐怖感もあった。それが目の前で突然壊れてしまうのを見れば私は耐えることができるだろうか。
 そういう愛着が湧いてきたことに気づいた。それに対する愛着。今までのどの感情でもない、15年目で初めて知った感情である。
 奇妙で、静かで、不思議なそれを追う今、高揚している自分がいる。
 住宅地を抜けると、都立公園が見えてきた。風に揺れる木々溢れる自然豊かなその公園は、近隣の低学年の小学生たちの野外活動や学級活動の際に必ず使われる場所だ。無論、私ももう何度も訪れている。
 広いノッパラの真ん中、ラベンダー色のコスモスが長方形のレンガ作りの堀の中で、綺麗に咲いているのが見えた。
 それは森に向かっていく。木々は風で静かに揺れてそれを歓迎しているようだった。
 私もついていく。一定の距離感を保ちながらそれについていく。

 大広場に出た。ハラッパは穏やかな夜風に揺れて壮大に見える。ゆらゆらと揺らめくそれの曖昧な境も、風に靡いて揺れていた。
「おい」
 低い男性のそんな声が聞こえた。思わず後ろを振り返っても誰もいない。鳥肌が襲ってきて辺りを見渡しても当然誰もいない。いるとしたらそれだけだ。
「おい」
 今度はもう少し強い声だった。今、私がここにいることを咎めているかのようなそんな声色。
「なんの用だ」
 しっかりとそう聞こえた。これは、しっかり私に向かって言ってるのだと確信できた。  
 その声の正体は、おそらく10メートルぐらい前、花壇のそばに留まってるそれから発せられているのだと気付く。
 私はとっさに謝った。それに向かって言う。
「ごめんなさい。悪いつもりはなくて」
 それは何も言わない。こんな超常現象的なことに身体は正直なのかずっと鳥肌が立っている。が、精神は案外安定している。
 一度、深呼吸をして空を見る。街頭が少ないこの場所の上に広がる夜空は人工物のものではなかった。陰りを作る雲はなく星がさんざめいて見えた。
 それは、ただコスモスの花々の前でジッとしたまま動かなかった。私が謝ってからの返答もないし何を思っているのかそこに居座るだけである。
「それ」にもう一度声をかけてみようと思った。返答を急ぐわけではないが、そこに居座っているだけでそれが消えてしまうのではないか、という焦燥感があった。
 何かコミュニケーションをとる必要がある。刺激しないことを心掛けていたはずなのに、今は自分勝手にそれの正体を突き詰めようとしている。
 ラベンダー色の塊は暗闇で目立っている。闇に同化しながらも、黒と上手い具合に調和してなんとも綺麗に見えた。
 そんな妖艶さらも感じるコスモス達の前で、それはそこにぼやぼやとしていた。
 風が吹く。それの次のアクションを急かしているかのようなそんなことすら思えた。それはジッとそこに居座ったまま、「静」と「動」を保ったまま留まっている。
 もう、このまま時間が消費されるだけであるのは酷く億劫に思えた。もう少しだけ近づこうと思って足を3歩前に出す。
 その時だった。
「私が見えるのか?」
 それがそう言ったことはもう明白だった。  
 しっかりとそう言った。その言葉から考えれば、つまり私以外の人にはそれは見えていない可能性も出てきた。やはり超常現象的な、幽霊的なものの類か何かなのだろうか。
 そんなことを思ってもすぐに返事をした。何か応答しないとそれが消えてしまいそうなのがとにかく怖かった。
「見えるよ。そこにいるじゃん」
「そうか」
 今度は糸も容易くラリーが繋がった。言葉を通してこうして交信できたことが何よりも嬉しい。
 よく見れば、それは段々と境界線が揺らめき始めたかのように見えた。気のせいかもしれないが、ぼやぼやと揺らめいて境界が広がっているように見える。
 それはさっきとは明らかに違う、奇妙な揺らめきだった。それの中の「静」がなくなりつつあるような生物的な意思を持ち始めたように思える。
 境界線のぼやの動きが激しくなるとか、それ自体が動き始めたとかそういうわけじゃなくて、ただ何か違和感を覚えるようなそういう揺らめき方だった。
「私は夜が好きなんだ」
 それは今度はそう言った。咄嗟のこの言葉にどう返答すればいいかわからず、しかし早く返答しなければならない焦燥感から、そう、とだけ言って私の方から会話を終わらせてしまった。
「お前は夜が好きか?」
 それは確認するかのように私に聞いた。夜は別に嫌いでもなければ好きでもない。ただ、少し怖く感じる日はある。それはまさに今日みたいに日だ。
「好きでも嫌いでもない」
 正直に言った。適当に返事をして、好きか嫌いかをはっきりさせて言うことなんていつも得意げにやってるくせに、ここではそういうのが躊躇われた。
 自分の素直な気持ちを言わなければそれが消えてしまうような気がした。
「どういうことだ?」
「好きな時は安心するとき、嫌いな時は怖くなるとき」
「どういう違いがあるんだ?」
「晴れの夜とか虫の声が聞こえたりする夜は安心できる。夜って感じがするから。けど雨降る夜だったり曇って月が見えなくなったりすると怖くなる」
 息をつく間もなく早口で言った。私の言葉の途中にそれが飽きてしまってどこかに行ってしまったらどうしようとすら思った。
 言い終わった瞬間、苦しいことに気づいた。咄嗟に息を沢山吸い込むと、草木の酸っぱい匂いが頭全体に広がったような気がして気持ちよかった。目の前がそれが大きく鼓動し始めた。
 風はしなやかにさりげなく吹いている程度だが草木はそれによる大きな風力によって靡いている。
 まさしく超常現象的な何かが、今ここで起き始めた。
 風が大きく唸り始め、轟音が広場に鳴り始める。それを中心として木々や花々がそれ方向に向かって集まっていく。
 それもさらに大きくなっている。境がさらに輪郭を朧気にし始め、大気中の空気と同化しながら大きくなろうとしているように感じた。
 凄く怖くなった。しかし、足が動かない。腰は抜けたことはないが、多分こういう状態のことをいうのだろう。一歩も動けない状態になってしまった。
 紛れもない、これが私にとって「怖い夜」だった。風や草木の音がひしめきあい窮屈な夜をつくろうとしている。それなのに、夜はずっと暗くて静かで一人だ。
 頬に水滴を感じて、それが自分の涙であることに気づいた。止まらない涙は恐怖心に支配されてとめどなく溢れてくる。
 それは言葉は何も発さない。ただ、さっきみたいに何かアクションを起こしてくれればいいのに、無言のまま超常現象的なものに進化していくその様はとても怖かった。
 それはどんどん大きくなっていて、黙って見つめることしかできない。何か言おうもんなら、それがトリガーになってこの事態が大きくなってしまうことが怖かった。
 だからそれが何か発するまでは、ただ恐怖に怯えながらそれの次の言葉を待っていた。
 しかし、その動きはそこで止まった。
 ストップ!と誰かが号令をかけたみたいにそこで完全にその鼓動は止まってしまった。
 また、静かな夜に戻るとともに、それの「静」が段々と戻っていくように思えた。
一体何が起こったのか。安全な夜に戻ると途端に言葉が出るようになった。
 さっきの気持ち悪いものを全部吐いてしまおうと思って、肺の空気を全部放出するかのごとく一気に空気を吐くと、胃酸が逆流してきて何回か嗚咽した後、むせた。
 やっと満足のいくまで完全にさっきの空気を吐いてしまった後しっかりとそれを見た。
「あなたは何者なの?」
 これを言うことに勇気はいらなかった。ただすんなりと出た言葉だ。これを言ったことでどこか安心できた。
 静かな夜に私の声は残酷なほど鋭く響いた。
 それはまたぼやぼやと動き始めた。留まる位置はそこにあり続けるのだが、後ろ向きに方向を変えるように大きなアクションを起こさずとも、それ自体が反転するように動き始めた。
 私は生唾を飲み込んで凝視した。心臓が張り裂けそうなくらいうるさく鳴って100メートルを全力を走ってるみたいに苦しくて、酸素が足りなかった。
 それの周辺にある草木達は、それを中心としてゆっくりと渦を作り始めるように動いていた。
 そして、ついにそれがこちらを向いた。
 私は思わず口を抑えた。口が瞬間的に乾いて声にならない声が漏れる。
 それは、人だった。
 どこかで見た顔、私よりもいくらか背の高い細身の綺麗な男性。
 つまり、私が今まで見ていた大玉転がしのようなものは、この人がオーラか何かを纏っていたものということなのだろうか。
 私をまっすぐに見つめながらその人は口を開く。
「夜が怖いか?」
 見た目とマッチしないその口調。酩酊したように頭がくらくらし始めてきた。淀みのない綺麗なその言葉は、夜を切り裂いて私に直に届いた。
「怖い」
 怖かった。夜が怖い。今は綺麗で落ち着いた安全な夜のはずなのに、泣き出してしまいそうなほど怖くて仕方ない。
 実際泣いてしまったのも仕方ないと思えるほど、好きな夜と嫌いな夜が同居している奇妙な夜だった。
 その恐怖心たるや、私の心に浸食してくるようで怖くて仕方なかった。
「なんで泣いているんだ?」
「怖いから」
「怖いと、泣くのか?」
「わからない。止められない」
 涙は本当に止まらなかった。その原因もわからない。ただ、とめどなく溢れて止めることができないのだ。
 かつて体験したことない、恐怖、煽り、危険、そんな全てが一気に襲ってくるようなそんな感覚だった。それを一斉に全部受けてしまったら自分の色々なものが破壊されてちりじりになってしまうような根本にある怖さ。
「私も夜が怖い」
 それがそう言った。一瞬、意味がわからなかった。それが今のこの危険な夜を作っているのに、まるで他人事のように言うからだ。
 しかしそんなことは言えなかった。そのことをそれのせいにするのは躊躇われた。私はそれが作りだす夜に恐怖する反面、それがいるから安心できているのだ。そう、自分に言い聞かす。
「さっきは、夜が好きって言ってたじゃん」
「好きと怖いは違うんだ」
よくわからない返答だった。好きなのに怖いだなんて、変だと思った。
「あなたはなんで夜が怖いの?」
素直に聞いてみることにした。それは夜を支配しているようだと思って、恐れている理由がわからなかったからだ。
「夜に支配されている」
「あなたが支配しているみたいに見えるけど、違うの?」
「違う。私は夜を恐れている」
 意外だった。
 完全無敵とも思えるそれも夜に恐れているのだ。
「あなたも怖いんだ。意外だった」
 夜は誰だった怖いものなのだろう。人外であろうと化け物であろうと、怖いものは怖いのだ。
 目の間にいるそれは、とてもじゃないが同じ人間とは思えない。しかし、人間と違うものとも思えないのだ。
 どういう存在なのだろうと考えた時に、説明がつかない。人の姿をした、人ではないものと私は今交信をしている。
「私が化け物に見えるか?」
「見えない。けど、人でもないと思ってる」
「じゃあ私は、どういう存在なんだ?」
「そんなの、私が知るわけないじゃん」
 少し棘のあるそれの口調に対し、私の言葉はどこか砕けていて接しやすいものだったと思う。柔和さを意識したわけではないが、そういう言葉使いができるほどには緊張が解けてきたのだとわかった。
「私は私がわからない。どうして彷徨っているのか、何をしたいのか、そんなことすらも今はわからない」
 それは苦しんでいるみたいだった。自分のことがわからない。廃人と化してしまってそこら中をうろうろとうろつきまわっているのだろう。
 目的もないまま彷徨うのは酷く疲れる。いずれ自分自身がわからなくなって、何をしているのかすらもその目的を見失ってしまうからだ。
 私にも今までそんな夜がいくつもあった。
だからそれを何か救済する手段はないかと考えた。その者が抱える苦しみは、その者にしかわからない。
 しばし考える間にまた風が吹いた。突風にも近いその風はそれの苦しみを表しているみたいで、酷く唸っていた。
「あなた、名前はあるの?」
「名前とはなんだ」
 そうだ、言われてみれば「それ」には名前がなかった。だからそれと呼んでいたわけだし、そもそも名前という概念すらもないと思った。
「あなたに名前をあげる。名前は、あなたの呼び方。あなた自身を現すもの」
「そんなものがあるのか?」
「ある。私たちはみんな名前をもっている」
「ほしい。くれ」
 それは、また躍動するように体を左右に揺らし始める。周辺のものが揺れて、それの周りをサークルを作るように蠢ている。
 多分、それは様々なことを抑えきれない者なんだ。一か百か。黒か白か。曖昧なものはない。そういう存在であるから、恐怖もより一層強く感じるのだとわかった。
 また、中途半端に時間がたってゆく。多分それも苦しいんだと思う。だからその身体をめいっぱいに使いながら、壊れそうになる自身に救済を求めているのかもしれない。
 私はすぐに名前を考える。一秒でも早く、それを夜の呪縛と自身の呪縛から解放するもの、その名前。
 それが収縮し始めたのか、息をするように体が上下に揺れ始めた頃、脳裏に一つの言葉が浮かんだ。
「朝日」
 その言葉を発した時それは躍動をやめた。動きを落ち着かせやっと安全圏に入ることができた者のように、上下のリズムがいくらか落ち着くようになった。
「あなたの名前は、朝日」
 私は確信をもっていうことができた。それの名前は朝日だ。
「朝日?それが私を現すものなのか?」
「そう。これがあなたを現すもの」
 その理由はなんだろう。向こうの木々の揺れる狭間から見えるもの、夜空の底辺から微かに白が混じり始めたのが見えた。
 朝日は私の本当の名前だ。つくはずだった、本当の名前。
 朝日は段々と小さくなっていく。鼓動をやめた生き物のように、その周りに纏う空気も一緒に虚空に消えてなくなっていく。
 朝日が消えてしまうような気がした。いや、事実消えかかっていた。
 そしてその顔はついに綺麗な笑みを見せてくれた。
 朝日は私に向かって言った。
「夜が好きだ」
 そして、ついに消えてしまった。
 私はしばらくそこから動けなかった。多分、それはもう動けないのだろう。
 私は家に帰ることができないからだ。夜は暫し深い。

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