叔父のバレンタイン 【短編小説】
寒い日曜日の朝、ベッドの脇に気配を感じて僕は目を閉じたまま布団のへりに手をのばした。
フサフサしたものが手に触れたので「おはようハーマニ」となでてやると、「犬じゃねえし」と聞き覚えのある男性の声がした。
起き上がってみると僕が触ったのは愛犬のハーマイオニーではなく、スーツを着たままで寝袋にくるまった成人男性の頭だった。
まぎらわしいな。
「みつるくん、うちで何してるの?」
「ゆうべ飲み会でさ。終電を逃したんだ」
彼は上半身だけベッドの脚に寄りかかり、芋虫のように膝を曲げ伸ばししながら物憂げに答える。
みつるくんは父方の叔父で28歳だけど、叔父さんと呼ぶには抵抗があるくらい精神年齢の差を感じない。
本人も叔父さんと呼ばれたくないらしいのでみつるくんと呼んでいる。
うっすらとヒゲが伸びてシャツはしわくちゃ。
寝ぐせ頭のみつるくんはだらしない独身サラリーマンのお手本みたいな仕上がりだった。
「晶、おまえ次の水曜日あいてるか?」
コーヒーを淹れている間にみつるくんは僕の目玉焼きを勝手につつき始めた。
休日は起きる時間がばらばらなのでダイニングには誰もおらず、お母さんが用意してくれた人数分の朝食がラップに包まれていた。
みつるくんの分はない。
夜中に突然あがりこんで息子の部屋で寝てしまう人間には餌をあげませんというお母さんの意思表示だ。
しかたなく目玉焼きをもうひとつ焼きながらウスターソースをテーブルに置いてあげた。
「はい。ソース派だったよね」
「かたじけない」
普段は誰も使わない相田みつをの名言付きマグカップにコーヒーを入れて出す。
〈いまここ〉と書かれている。
「水曜日は学年末テストだから早く帰れるけど、何するの?」
「おまえのショッピングにつきあってやるんだよ」
高校生にテスト勉強よりも買い物をすすめるとは無神経な。
僕はピンときた。
「莉緒さんが来るんでしょ」
「よくわかるな」
莉緒さんは僕のお父さんとみつるくんの幼な友達で、みつるくんより少し年下。
活きの良いお姉さんである。
みつるくんと莉緒さんはなぜか二人きりで会おうとしない。
いつも僕が付き添ってあげなくてはならない。
仲はいいのに、困ったものだ。
「同僚にすごくいい奴がいてな。莉緒を紹介してやろうかなあと思って」
みつるくんは〈いまここ〉の文字を指でなぞりながら言う。
“紹介“の意味がわかるまでにちょっと間が空いてしまったけど僕だってそのくらいは察する。
「その人も来るってこと?莉緒さんには教えたの?」
「これからおまえが連絡しろ」
僕は机に向かっておごそかに筆と硯と墨汁を並べ、半紙を広げた。
遺憾の念をこめて書き上げる。
〈遠慮の塊〉
後ろから覗き込んだみつるくんは眉間にしわを寄せた。
「なんだそれ。どういう意味だ」
「自分で調べてよ」
水曜の午後、僕はみつるくんの車で普段は行かないおしゃれなショッピングモールに出向いた。
オープンカフェで二人を待つ間、みつるくんは無意識にポケットに手を突っ込んで何もないことに気付くとテーブルに肘をついた。
「禁煙、続けてるんだね」
「おまえの書いた貼り紙のおかげでな」
「お礼に何か買ってくれる?」
「あまり高くないもので頼む」
「どうして模型屋なの?」
「綿貫の趣味がプラモだからだ」
僕が模型屋に行きたがっていることにすれば、面倒見がいい莉緒さんは付き合ってくれるだろう。
綿貫さんという同僚の人柄に触れることもできそうだ。
「ところでみつるくん。今日がなんの日だかわかってる?」
「え?何かの記念日なのか?」
「僕は今日、書道部の先輩から義理でもらった」
大きな金貨をかたどったチョコレートを取り出して見せる。
「あああ!」
「やっぱり忘れてたんだね」
こんな人が友達に出会いを提供しようなんて無理があるんだ。
自分だって恋人がいないくせに。
やがて現れた綿貫さんは名前に似てふんわりとした優しい印象の人だった。
僕は思わず「ベイマックス」と口走るところだった。
「はじめまして。綿貫和真です。小川さんには会社でお世話になってます。今日は晶くんのプラモデルデビューのお手伝いを頼まれて来ました」
「はじめまして、柴又莉緒です。私も小川さんたちと遊びに来ました」
莉緒さんは横目で僕を見ていたずらっぽく笑った。
みつるくんだけでなく僕のことも含めて小川さんたちと言ってくれたのだ。
莉緒さんはお正月には肩までかかる髪だったのに、うなじが見える軽やかなボブヘアーになっていた。
仕事の悩みはもう吹っ切れたのかな。
新鮮だねと言おうとしてみつるくんを見たら僕以上に射抜かれて半分口を開けていたのでそっとしておく。
綿貫さんに案内されて僕たちは模型屋の中をうろついた。
棚いっぱいにぎっしりと色とりどりの箱が積み重なっていて、まるで地層がむき出しの深い谷間を探検しているみたいだ。
僕は飛行機とかロボットとか機械の造形にはあんまり興味が持てない。
緑色の肌のキャラクターが目に留まった。
これにしよ。
「柴又さんはこの中でわかるものってありますか?」
「スター・ウォーズくらいなら」
綿貫さんと莉緒さんはプラモをながめながら和やかに映画について話しはじめた。
ふと気付くとみつるくんはクラシックカーの模型の前で子供のようにしゃがんでいる。
「それルパン三世が乗ってるやつだね。お父さんがアニメを見せてくれた」
「ふふ。兄貴もこれが好きだったな」
僕はお父さんとみつるくんがその車に乗ってルパン三世と次元大介みたいに悪だくみしている姿を想像した。
パンクして途方に暮れて煙草を吸っている光景まで目に浮かぶ。
「私も何か作ってみたい」と莉緒さんは意気込んだが、なかなか決められずに困っているので喫茶店で休憩することにした。
「迷ったときは別の場所をまわって、戻ったときにもまだ欲しいと感じられるものを買うといいんですよ」
というのが綿貫さんのアドバイス。
「俺もフィアット買おうかな」
みつるくんはクリームソーダに入っていたチェリーを勝手に僕のケーキ皿に乗せた。
「あの車かっこいいですよね。小川さんも一緒に作りませんか?」
綿貫さんがそう言って自分の皿をそっと横にすべらせると、みつるくんは当然のようにワッフルを一切れもらう。
莉緒さんがほんのわずかにだけれど寂しそうな顔をしたので、僕はフルーツタルトに乗っているメロンを指さした。
「これ苦手なんだ。莉緒さん食べてよ」
莉緒さんは途端に嬉しそうになり、代わりにフライドポテトを分けてくれた。
今度はみつるくんがわずかに寂しそうな顔をする。
買い物が終わったら僕とみつるくんは気を利かせて帰るつもりだったのだが、仲間が増えたのが嬉しい綿貫さんは興奮して離してくれない。
「これから小川さんの部屋に行って一緒に作りませんか?こんなこともあろうかと道具一式持ってきたんです」
有無を言わさずみつるくんのアパートへ引っ張っていかれた。
「みつるさんの部屋、家具が少ないのね。意外ときれい」
莉緒さんはスリッパを探していたが、どこにもないのであきらめた。
整頓されているというよりは単にがらんとしている。
とはいえテーブルの上はごちゃごちゃしていた。
莉緒さんは目を細め、おもむろにテーブルに腕を乗せた。
片付けてあげるのかなと思ったら車のワイパーのようにズイーッと腕を動かした。
丸めたレシート、みかんの皮、充電器、空のペットボトルなどがいっぺんにテーブルの端に寄せられ、あやうく落ちそうになる。
「ええええ?ちょい待ち、ちょい待ち!」
みつるくんはあわてて片付けた。
「これでよし」
広くなったテーブルで莉緒さんは買ったばかりのプラモデルを悠々と開封しはじめた。
遠慮なんてこの人には通用しないな。
綿貫さんはみつるくんの片付けを手伝いつつ説明してくれた。
「柴又さんはいい買い物をしましたね。それは初心者にぴったりです。始めから色がついてるし、工具がなくても手で切り離せるタイプなので」
莉緒さんが選んだのはうさぎみたいな大きな耳のポケモンだ。
小回りがきいて活発そうな雰囲気が莉緒さんに似ている。
「職場の子供たちがこういうのを喜ぶの」
「莉緒は仕事のことばかり考え過ぎなんだよ」
みつるくんに言われて莉緒さんはムッとした。
「仕事が好きなのはいいことじゃないですか。これ、柴又さんに似てて可愛いですね」
綿貫さんがのんびりと間に入る。
「それにしても晶の好みは変わってるな」
「意外なものを選んだわね」
「スター・ウォーズのマンダロリアンの…なんていったっけ」
綿貫さんに尋ねられても僕は答えられない。
だって知らないから。
僕が買ったのは緑色の肌をした毛のない生き物。
目がつぶらで尖った大きな耳が左右に広がっていて首から下をマントで覆っている。
「グローグー」
莉緒さんが言うと綿貫さんは膝を打った。
「あっ、それそれ。ベビーヨーダですね」
話についていけなくなったみつるくんは黙々と車を組み立てている。
なんだか拗ねているみたいだ。
自分で二人を引き合わせたくせに。
莉緒さんは大きい筒のマーブルチョコをバッグから取り出してテーブルの真ん中にティッシュを広げ、それをお皿の代わりにしてみんなのためにチョコを山盛りにした。
「これなら作りながら食べても手が汚れないでしょ」
ほんとは誰にあげるつもりだったのかな。
みつるくんは赤いマーブルチョコばかり選んで食べている。
それを知った莉緒さんも競うように赤いのを取り始めた。
密かにくり広げられる無言の戦いから目が離せない。
みつるくんは割れてこぼれたカラフルなコーティングに指先を押し付けて拾い食いしていたが、「なんか固いな」と首をかしげる。
もしかしてプラモの破片では?と警告する間もなく「まあいっか」と飲み込んでしまった。
これだから叔父さんて呼ぶ気になれないんだ。
赤がひとつもなくなるとみつるくんは「そうか」とつぶやき、急に席を立ってノートパソコンを開いた。
「ああして仕事のアイデアを思いついたら忘れないようにしてるんですよ」
綿貫さんにとっては見慣れた光景のようだ。
「みつるさん、自分だって仕事のことばかり考えてるじゃないの」
「しょうがないだろ。関係ないことをしてるときに限ってひらめくんだよ」
僕は初めてみつるくんをかっこいいと思ったけど、なんでだろう、少し寂しい。
先に出来上がったのは莉緒さんだった。
「よくできた。こんな可愛いもの作れる私、えらいぞ」
「無心になって作ると心が整うんです」
そう言う綿貫さんは何も作らずに僕たちの手伝いばかりしているが充分に楽しそうだった。
「こつこつやると設計図通りにできていくところが良いでしょう?地味だけど満たされるんですよね」
「綿貫は報われない仕事が多いからな」
「小川さんほどではないです」
みつるくんはカメラの技術開発の仕事をしている。
よく屋外へ撮影の実験をしに行って、ついでにスマホで撮った風景写真を僕に送ってくる。
たいてい有名な行楽地なのだが仕事なので一人で行かねばならないらしく、
「カップルに写真を頼まれた。今日3回目」などという切ないメッセージ付きだったりする。
僕のグローグーが完成すると、みつるくんはみんなにインスタントコーヒーを淹れた。
「晶、どうしてそれにしたんだ?本当は全然知らないんだろ」
「みつるくんにそっくりだったから」
莉緒さんと綿貫さんは「ああ〜あ!」と声を揃えてうなずいた。
「これはみつるさんだわ」
「なんか既視感あると思ってました」
「俺はこんなじゃねえぞ」
不満げにふくれたみつるくんはますますグローグーに似て見えた。
「眉間にしわ寄せてるところが」
「目がくりっとして」
「でもどこ見てるんだか今いちわかんなくて」
「怒っても迫力がない」
「変なものを平気で食べちゃうし」
「みつるくんっぽくて可愛いじゃん」
「う、うるせー!!!」
僕たちはグローグーの顔をいろんな表情のパーツに付け替えてみたが、どれもみつるくんに似ている。
爆笑しているうちにマーブルチョコがいつの間にか残り少なくなった。
「おまえら覚えてろよ」
みつるくんはそう言って最後のひと粒を口に放り込んだ。
帰り道、車で送ってくれたみつるくんはまだぶつくさ文句を言っていたけれど、そのわりにそれほど機嫌は悪くなさそうだった。
「綿貫さんていい人だね」
「そうだろ?あいつなら莉緒を大事にしてくれそうだろ?」
みつるくんは莉緒さんが誰を大事にしてくれそうかは考えていないらしい。
自分が誰を大事にしているかも。
僕は知ってる。
みつるくんは高級なチョコなんかより親しみやすいチョコが好きなんだ。
子供の頃から食べているような。
「サンキューな。今日は助かった」
「みつるくんも楽しかった?」
「ああ…うん、まあな」
みつるくんは唇を尖らせてニヤけるのを我慢している。
僕は机の上にグローグーを飾り、ひとつしかもらえなかった義理チョコをお供えして手を合わせた。
「みんなが幸せになりますように」
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