青木透
万年筆から入った文具沼の住人による、お世話になった情報の記事のまとめ
精神科の閉鎖病棟に入院した時の呟き
先日、ここが文具沼の入り口かと感じたこと、その経緯を書き残す。 万年筆がきっかけなのだと思う。 パイロット社のカクノという1,000円ちょっとのお手軽な万年筆だった。 それでも購入して2年は放ったらかしだった。 ではいつ万年筆のことを思い出したかというと、バレットジャーナルにハマったことが転機だった。 元々小さな付箋にタスクを書き込んで手帳に貼ってスケジュール管理をするのが好きで、手帳というアナログな道具を好ましく思っていた。 手帳好きが高じてバレットジャー
閉鎖病棟より、戻って参りました。 15:30に家族が迎えにくるので、それまでに外に出られる服に着替えて、部屋の私物を回収する。 再びがらんとした部屋で1人待つ。 天国のような、地獄のような、喜びも悲しみもない世界が名残惜しかった。 2週間ぶりに外に出てまず情報の多さに殴られた。動悸待ったなしである。 ドッドッドッと心臓が跳ね回るのを感じる。落ち着いて欲しい。 出てみて初めて気付いたのは閉鎖病棟内はまず色が統一されていて空調も完備で寒さ暑さがなかった。BGM
閉鎖病棟生活も2週間目。初めての入院生活にも慣れた頃だ。 それまで新しい環境に慣れる為に入れていた力が抜けるのだろう。 部屋(病棟柄、個室である)から出ると動悸がしてふらつき真っ直ぐ歩けない、食欲が死ぬ(これは元々)、帯状疱疹が出る、等々、、、 ちなみに「これらの不調は報告するほどのものなのか」、しばらく悩んだ。私が弱いから言いたくなっているのではないか。他の人はこれくらい我慢しているのではないか。 そんなことを考える。鬱なので。 結果的に、外に出なくてもいいよう
今、精神科の閉鎖病棟にいます。 事前に「入院しましょう」とは聞いていたが、閉鎖病棟とは思っていなかった。 靴紐もストールも物差しもピアスも油性ボールペンもあらゆる危険物を取り上げられた。スマホはその日のうちに返ってきた。 働きたくなくて死にたくて、働けない自分が情けなくてさらに死にたくて、なにもない、幸も不幸もないまっさらなところに行きたかった。 あの世はそういう無の世界だと思っていた。 入院生活は朝起きて飯を食い薬を飲み、また飯を食い薬を飲んで寝る。レクリエ
私はASD。ADHDもたまに顔を出す。 大学卒業後、違和感を感じながら適応障害を繰り返し職を転々とした。 太い実家と優しい両親を頼りに、アルバイトで細々生きていこうとしたものの、たった2年でうつ病で働けなくなった。 もう人混みにいられない。ノイキャン付きのヘッドホンでキタニタツヤを爆音で流してくれ。 傷病手当も失業手当も障害年金も生活保護もなにもかも制度の壁に阻まれた。 これから私はどうなっていくのか。 ここがこのnoteのスタートライン。