中田野絵美

00年生まれのいわゆるミレニアムベイビー 主なテーマはASD文化/アダルトチルドレン/…

中田野絵美

00年生まれのいわゆるミレニアムベイビー 主なテーマはASD文化/アダルトチルドレン/ジェンダー/心理学/BDSM/その他Kinks 20代前半にしてバツ1 2024年春〜通信制大学再入学 最近の楽しみは占星術の勉強

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『青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会』再々再読中。
やっぱり、一連の出来事を私が「あれは被害だった」「本当は嫌だったのに望んでいるかのように思わされた」と"認め"なければこのまま不愉快な同情をあびながら矯正すべき対象としてみなされつづけるかもしれない。プレッシャーがある。

2

「同世代に相手にされないから、自分はオッサン好きだと思い込むことでやり過ごしてるんだろw」という揶揄には、保育園から小中高と園内・校内でそれなりにモテてきた事実で対抗できるけど、「父親がいないからそんなふうになっちゃったんだね」という不愉快な同情にはなんと言い返せばいいのか。

2

それでもなお、母から受けた性被害のほうが私にとってショッキングなものでありつづけているのは、「女性限定だから安心」といったような、ある意味生きるのが楽になる偏見を持たずに生きていかざるをえなくなったからだ。

1

あとは冗談みたいな出来事だが、自宅で算数の教科書を開いて偶数と奇数の勉強をしていたとき、祖父が突然「きすぅ〜」と言いながら私の肩をつかんで壁に追い詰めたことがある。すぼめた口が私の顔にせまってきて、怖くて、叫び声をあげると、彼は不機嫌になって私から離れた。

1

あれは私がまだ10歳未満のときだったと思うけど、祖父が私の乳首に吸い付いて頭をこすりつけてきたことがある。「おじいちゃんもたまには赤ちゃんになりたいとよ」と言い、母には言わないようにと口止めされた。こういう記憶の澱が積み重なり、今の私を蝕んでいるのだ。

1

母方祖父は両親(曽祖父母)の激しい夫婦喧嘩を見ながら育った人。曽祖母は私が12歳くらいまで生きていたけど、最期まで気の荒いおばあさんだった。どうも祖父は自分が高齢になった今でも、優しい母親のような存在を夢見ているような気がする。

1

反権力を標榜する人物が「私のことは先生と呼ばなくていいよ」とか「敬語はやめてタメ口でいこう」などと口にすることがあるけれど、呼び方や口調を当たり前に決定することができるのはある意味で権力の行使であり、私はそういうずるいジジイは意地でも、甘ったるい声で「先生」と呼んでやりたくなる。

4

私は23歳の自分のことを大人の女性というよりは、死んだ少女だと思っています。そしてその亡骸には小さなペニスがむりやり縫い付けられている。これは私が父を愛した罰として、母が私につけたみじめなしるしなのです。

2

"母なるもの"たちからの赦しが切実にほしい。父に似た男たちを愛したがために、少女であり娘たる私は彼女らに罰せられ、殺された。大人の女としてよみがえるためには「あのとき本当は私は嫌だったのだ」と嘘をつき、彼女たちをあざむく必要があるのだろうと思う。インチキ精神分析みたいな話だけど。

3

ASDの診断を受けている私にとっての「障害」とは、自身の"特性"からくるものではなく、むしろ診断名による社会的な偏見やスティグマがほとんどを占める。私は診断されたことによって、「ちょっと不思議な子」「ユニークな人」として生きていくチャンスを失い、指導や支援の対象になってしまった。

7

母はよく、幼い私の見ている前でリストカットをした。悲しいことがあったときや、虐待や性被害のトラウマがフラッシュバックしたとき、私になにか要求があるときなど。私は血だらけになった母の姿を見て一応慰めるけど、「大人になったら、私はぜったい誰にも優しくしたくない」とひそかに考えていた。

3

かがんだときに肌がチラ見えしてしまうことを私は異常に恐れている。
そんなとき祖父が後ろから気配を消しながら近づいてきて「見えとうぞ〜笑」などと言いながらズボンに手を差し込んでくることがよくあったから。母は丈の長いチュニックをくれただけ、祖母は祖父は注意してくれてるだけだと庇った。

1

正直に言うと、毒親問題を語る人やアダルトチルドレンを名乗る人、性被害を経験した人などに対して、ある時期までは私は非常に冷ややかだった。
「お前たちの育て方のせいで人生めちゃくちゃになった!」「毒親だ」と祖父母をなじりときには刃物を取りだして暴れる母を見て育った影響が大きいと思う。

2

私はやっぱり性格が悪いのかもしれない

B氏の件でとくに精神的にこたえたのは、反天皇主義者の氏がSNS上で、某社会学者の"44歳差不倫"騒動への一部のパターナリスティックな反応(「グルーミング的」「対等でない…

7

ミサンドリーが次第に「オトコが憎い」から「オトコに都合のいい言動をしている(ように見える)オンナも憎い」に発展して最終的にスラットシェイミングやセカンドレイプを行うようになってしまうケースを散見する。ジェンダーギャップを考慮して、コインの表裏とまでは言い切らないけど相関性はある。

4

このごろは、また脇見恐怖と侵入思考が復活してきていて辛い。とくに思考。
「無意識のうちにとんでもないことをしでかしたんじゃないか?否、したに違いない」の繰り返し。
内容は性的だったり暴力的だったり宗教的に冒涜的な内容がほとんど。虚実のあわいがぼやけてしまいそうで自分がとても怖い。

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『青少年に有害! 子どもの「性」に怯える社会』再々再読中。
やっぱり、一連の出来事を私が「あれは被害だった」「本当は嫌だったのに望んでいるかのように思わされた」と"認め"なければこのまま不愉快な同情をあびながら矯正すべき対象としてみなされつづけるかもしれない。プレッシャーがある。

「同世代に相手にされないから、自分はオッサン好きだと思い込むことでやり過ごしてるんだろw」という揶揄には、保育園から小中高と園内・校内でそれなりにモテてきた事実で対抗できるけど、「父親がいないからそんなふうになっちゃったんだね」という不愉快な同情にはなんと言い返せばいいのか。

それでもなお、母から受けた性被害のほうが私にとってショッキングなものでありつづけているのは、「女性限定だから安心」といったような、ある意味生きるのが楽になる偏見を持たずに生きていかざるをえなくなったからだ。

あとは冗談みたいな出来事だが、自宅で算数の教科書を開いて偶数と奇数の勉強をしていたとき、祖父が突然「きすぅ〜」と言いながら私の肩をつかんで壁に追い詰めたことがある。すぼめた口が私の顔にせまってきて、怖くて、叫び声をあげると、彼は不機嫌になって私から離れた。

あれは私がまだ10歳未満のときだったと思うけど、祖父が私の乳首に吸い付いて頭をこすりつけてきたことがある。「おじいちゃんもたまには赤ちゃんになりたいとよ」と言い、母には言わないようにと口止めされた。こういう記憶の澱が積み重なり、今の私を蝕んでいるのだ。

母方祖父は両親(曽祖父母)の激しい夫婦喧嘩を見ながら育った人。曽祖母は私が12歳くらいまで生きていたけど、最期まで気の荒いおばあさんだった。どうも祖父は自分が高齢になった今でも、優しい母親のような存在を夢見ているような気がする。

反権力を標榜する人物が「私のことは先生と呼ばなくていいよ」とか「敬語はやめてタメ口でいこう」などと口にすることがあるけれど、呼び方や口調を当たり前に決定することができるのはある意味で権力の行使であり、私はそういうずるいジジイは意地でも、甘ったるい声で「先生」と呼んでやりたくなる。

私は23歳の自分のことを大人の女性というよりは、死んだ少女だと思っています。そしてその亡骸には小さなペニスがむりやり縫い付けられている。これは私が父を愛した罰として、母が私につけたみじめなしるしなのです。

"母なるもの"たちからの赦しが切実にほしい。父に似た男たちを愛したがために、少女であり娘たる私は彼女らに罰せられ、殺された。大人の女としてよみがえるためには「あのとき本当は私は嫌だったのだ」と嘘をつき、彼女たちをあざむく必要があるのだろうと思う。インチキ精神分析みたいな話だけど。

ASDの診断を受けている私にとっての「障害」とは、自身の"特性"からくるものではなく、むしろ診断名による社会的な偏見やスティグマがほとんどを占める。私は診断されたことによって、「ちょっと不思議な子」「ユニークな人」として生きていくチャンスを失い、指導や支援の対象になってしまった。

母はよく、幼い私の見ている前でリストカットをした。悲しいことがあったときや、虐待や性被害のトラウマがフラッシュバックしたとき、私になにか要求があるときなど。私は血だらけになった母の姿を見て一応慰めるけど、「大人になったら、私はぜったい誰にも優しくしたくない」とひそかに考えていた。

かがんだときに肌がチラ見えしてしまうことを私は異常に恐れている。
そんなとき祖父が後ろから気配を消しながら近づいてきて「見えとうぞ〜笑」などと言いながらズボンに手を差し込んでくることがよくあったから。母は丈の長いチュニックをくれただけ、祖母は祖父は注意してくれてるだけだと庇った。

正直に言うと、毒親問題を語る人やアダルトチルドレンを名乗る人、性被害を経験した人などに対して、ある時期までは私は非常に冷ややかだった。
「お前たちの育て方のせいで人生めちゃくちゃになった!」「毒親だ」と祖父母をなじりときには刃物を取りだして暴れる母を見て育った影響が大きいと思う。

私はやっぱり性格が悪いのかもしれない

私はやっぱり性格が悪いのかもしれない

B氏の件でとくに精神的にこたえたのは、反天皇主義者の氏がSNS上で、某社会学者の"44歳差不倫"騒動への一部のパターナリスティックな反応(「グルーミング的」「対等でない」など)をヴィクトリアニズムになぞらえて批判していたのに、私に対してはおそらくほぼ躊躇なくパターナリズムを適用したことだ。件の大学生の女性は私より年下だし、氏と私の年齢差はその大学生と社会学者とのそれよりも小さかった。やはり、私が発

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ミサンドリーが次第に「オトコが憎い」から「オトコに都合のいい言動をしている(ように見える)オンナも憎い」に発展して最終的にスラットシェイミングやセカンドレイプを行うようになってしまうケースを散見する。ジェンダーギャップを考慮して、コインの表裏とまでは言い切らないけど相関性はある。

このごろは、また脇見恐怖と侵入思考が復活してきていて辛い。とくに思考。
「無意識のうちにとんでもないことをしでかしたんじゃないか?否、したに違いない」の繰り返し。
内容は性的だったり暴力的だったり宗教的に冒涜的な内容がほとんど。虚実のあわいがぼやけてしまいそうで自分がとても怖い。