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【短編小説】沈黙のかくれんぼ(後編)

 目覚まし時計の針が5時を差していた。こんなに目覚めのいい朝は久しぶりだった。
昨日はあれから少し話し込んで解散した。高梨さん、気さくでいい人だった。
 昨日の話し合いで今後の活動計画をある程度決めていた。お互い仕事をしているので平日は各自で活動を行い主に土日は揃って活動することにした。その内容はお互いの公園を行き来して当時の目撃情報を頼るしかなかった。
 警察からは『くれぐれもご自身で捜索をしようしないで下さい』そのように予め釘を打たれていたが、その警察が動いているのが目に見えないからこちらが動いてるわけで警察には別にバレてもいいと思った。それは、高梨さんも了承してくれた。
 それにしても寒いと毛布を体に巻き付けた。しばらく部屋を見渡したが、あれっきり麻理の幻覚は見ていない。
 
 久しぶりに深緑公園のベンチに腰掛けて脇にぶどうジュースを置きキャップを外してお茶を飲んだ。週末は麻理とここに来る途中にある自動販売機でお茶とぶどうジュースを買っていつもこのベンチに座って2人で飲んでたっけ……
 あの頃の麻理は小さかった。地面に届かない足を空中でブラブラ揺らしながらぶどうジュースを飲んだあと鼻の下にペットボトルの跡がくっきり付いた顔を見てそれがおかしくて笑いながら飲んだ日が懐かしく感じた。(あれから3年かぁ)麻理を想う度にこの数字が出てくる。
 ふと風が吹き『パパ』微かにそう聞こえた。
あの日と同じだった。あの日も風が心地よかった。左右に首を振った。
『パパ! 早く数えてよ。次は麻理が隠れる番だよ!』ベンチから腰を上げ歩きながら確かに聞こえる。麻理の声。幻聴でもなんでもない! ずっと聞きたかった麻理の声。
 木の陰からひょっこり顔を出したピンクのセーターにデニムのオーバオール姿の麻理がちょっと怒ったように『パーパ! 聞いてるの! 早くしてよ!』その声に夢ではない確かに麻理だ! 俺は嬉しくなり「よぉーし! 数えるぞぉー」そう言いながらベンチに腰掛け顔を両手で覆い「いーち、にーい、さーん……」と数えた。「じゅーう もーいいかいー?」『もーいいよー』声が返ってきた。その反応が嬉しかった。「よぉーし! 探すぞ」居場所は分かっている。敢えて知らない振りをして探すのだ。そして、木の陰までゆっくりと近づき「みーつけた!」後ろからハグをした。『あーみつかっちゃった』頬を赤くして一生懸命遊ぶかわいい声が俺の鼓膜に届いた。頭を撫でた。手を繋いで一緒にベンチに戻る。
「麻理。ぶどうジュース買ってるよ」俺の顔を見上げた麻理の顔に笑みが浮かんだ。
 散歩している老夫婦が怪訝そうにその光景を見つめていた。
「あの人、大丈夫かね?」老夫婦の目には健二が公園で1人で何かをしている風にしか見えなかった。
 遠くからマフラーの音が聞こえる。
『次はパパが隠れる番だよ!』楽しそうにそう言われ麻理が数えている間にいつもの場所に隠れた。
『もーいいかいー?』
「もーいいよー」嬉しくて泣きそうだった。小さな足音が近づいてくる。それがだんだん大きくなってくる。
『あの……』
「あーっ! みつかっちゃったかぁー」
『あの……なにをされているんですか?』
よく見ると警察だった。『不審な人物がいると、通報連絡が入りましてね』
「いや! あの……娘とかくれんぼを……」
『ほぉう、その娘さんはどちらに?』辺りを見回したが誰もいなかった。それは恥ずかしいというよりショックだった!
麻理の幻覚だというのか! それが悲しかった。
「いや、私……お芝居の練習中でして」咄嗟に誤魔化した。
『そうでしたか、紛らわしいので止めてくださいね!』強い口調でさらりと言われたので、それが健二の癇に障った。
「な……なにもしてくれないのにそんな時だけ偉っそうに言いやがって!」そう、吐き捨てて掴みかかろうとしたが、一歩手前で自制心が働いた。
『警察はちゃんと動いています。いつか──』振り向きながら言ったその言葉に僅かな希望が見えた。
(俺の事、知ってるのか? 警察は諦めてなかったのか?)
『いつか必ず探してみせます。あなたの娘さんを……』バイクに跨った警察官がはっきりと言い切ってみせた。帽子のつばを深く下げたその眼差しは真剣だった。
 ──震えた。気持ちが高ぶり感極まり健二の目から涙が流れた。深く。いつもより深く頭を下げた。
マフラーの音が遠ざかり消えるまでその場に立ち尽くした。その時、スマホが震えた。
スマホの画面を見ると高梨からだった。
『朗報』と言う文字が一番に目に入った。画面を注視しながら、家の方へ歩いていると、ほうきの掃く音に目を向けると近所の中谷さんだった。目が合うと健二は頭を下げた。
それはぎこちない会釈だった。その仕草に思わず目を瞠った中谷さんが慌てて会釈を返してきたのである。
 それもそうだろう! 3年も音信不通いや、正確には人を避けていたのだから驚くのも仕方がない。背中に視線を受けながら、再びスマホに目を落とし足早にその場を去った。
 玄関前でスマホが震えたので足が止まった。
『手がかりが見つかりました』画面には朗報から2分後にメッセージが入っていた。高梨さんからのラインだった。
気持ちが先走り思わずライン電話を飛ばした。
短いコール音のあとに『はい』と声がした。「もしもし、平原です」早口にまくしたてた。
『あの日、深緑公園で目撃した人と今、接触しています。よかったら来てください』
心臓が跳ねた。待ち望んでいた現実が夢に見た悪夢がついに晴れる時がきたのだ。
「あの……妻も同行してもいいですか?」
『もちろんです! 場所は──です』
「分かりましたすぐに行きます」通話を終えると勢いよく玄関を開いた。
そのざわめきに妻も気付いたらしく慌てて玄関まで駆け寄ってくる。
「あたな!」妻が早く返事がほしいといったふうに表情で急かしてきた。
「冴子ついに手がかりが見つかったって!」
安堵からか脱力したように床に座り込む妻の肩に手を置き「長かった」お互いの声が重なった、しばらく合った目がうなずきに変わると平原夫妻は高梨の居る場所へ向かった。

 マップを開いたスマホの画面とにらめっこしながら、不意に健二の足が止まった。
脇見をしていた冴子が健二の背中に当たった。
「ちょっ! 急に止まらないでよ!」苛立って頬を膨らませた。
「どうやら着いたみたいだ!」
健二の視線の先を見ると茶色いレンガ調の立派な一軒家だった。昼だというのに、2階のカーテンは閉じられ1階の雨戸も閉ざされていた。ガレージもしっかりと閉められている。玄関近くの植木の前に女の子の人形の首が転がっていた。
「なんか不気味ねぇ」冴子がぼそりと呟いた。
「気のせいだ」その声は震えていた。
「そうだといいけど……」
表札には『高梨』と書かれていた。
ゴクリと喉を鳴らしてインターホンを押した。
「これって高梨さんの自宅よね?」
「どうみてもそうにしか見えんが……」戸惑いながら門扉に目を落とした。
 黒い門扉に赤いペンキが重なって塗られていた。
(なんでここだけ赤いペンキが?)気にはなったが今はそれどころではない。
すると玄関が開き高梨が出てきた。
「どうぞ、中へ」門扉を開け「お邪魔します」と中へ入った。
 リビングには中年の女性がうつむいて座っていた。
出されたお茶には口をつけていないようだ。
「さぁ、こちらに腰掛けて下さい」女性の向かい側に腰を落としテーブルにお茶を置きながら高梨がぼそりと呟いた。
「この方が目撃者の大林 華奈おおばやし かなさんです」
顔を上げ軽く会釈をするだけでなにも発しない。
「華奈さんの目撃情報をお聞かせ下さい!」冴子がたまらず聞いた。
すると、消え入るような声で「あの……その……何年も前の話ですのであてになるかどうかは?」
「かまいません! どんな些細な情報でもありがたいので続けて下さい」健二が身を乗り出した。
「……たしかあの日は天気が良くて私は近所のスーパーへ自転車で買い物に行く途中でした。すると公園のフェンスを乗り越えて道路に出てきた女の子が路上駐車していた白い車の陰にしゃがんでいるのを見てなんの異変も感じずそのまま通過したんです。そのあと白の車が私を追い越して通り過ぎて行ったんです。振り返るとその女の子は居なかったんです」ハンカチを強く握った。
「白い車?」怪訝そうに眉を寄せながら健二が「ナンバーとか覚えていますか?」その問いに返答はなかったが、白いセダンだったと思います。それしか覚えていません、そういいながら申し訳無さそうに頭を下げた。その言葉に2人の心に希望の光が差した。
 健二と冴子がお茶をすすり背もたれに預けて安堵した様子を高梨はその背後から見つめていた。
健二が女性に話しかけた。
「あの……そのあとその車は何処へ行ったか分かりますか?」
女性がゆっくり顔を上げたその時!
『ドン』急に冴子がダイニングテーブルに頭を打ち付けた。女性が何やら喋っているが意識が朦朧として女性の口元の動きをぼやけた視界で見ていたが、やがて何も見えなくなった……
 
 次に目を覚ました時は俺も冴子も身動きが取れないほど拘束されていた。
冴子に話しかけようとしたら、ガムテープで口を塞がれていることに気付き助けを呼ぶに呼べない状況だった! 冴子はまだ起きていないのか? 当たりを見渡したが暗闇が広がっているだけで何も見えたかった。
 すると、いきなり目の前に明りが差し込み目を細めた視線の先に人影が立っていた。高梨だった。「目が覚めたようですね。どうでした? 私の妻の情報は?」目を覚ました冴子が怪訝そうに聞いた。「妻? たしかあなたの妻は4年前に亡くなったんじゃ?」その言葉を聞いた高梨が「おっと、そうだった」ととぼけて見せた。
「白いセダンの話、実は私が乗ってる車でしてね。少女が逃げ回るもんだから轢いちゃいました」
ひょうきんな顔で放たれた言葉に私達は希望を失った。
そんな顔で見つめないで下さいよ。その言葉に怒りが顕著に現れた「それから麻理をどうしたんだ!」語尾を荒げて聞いた。
すると「あなたが言うようにその後はそりゃ逃げましたよ。車は3年間ガレージで眠ってもらっています」ヘラヘラ喋る高梨に嫌気がさしたその時冴子が「あなたの娘の美沙ちゃんは何処にいるの?」その問いに高梨は少し戸惑ったのか「今、塾に行っています」と鼻頭を掻いた。
 殺意が湧くとはこの事を言うのだろか!
2人の視線は高梨を睨みつけていた。
するとドアの奥から声がした。「誠、そろそろ終わらせたら?」その言葉に暗闇から2つの双眸が冷酷に光った。
「ふふ、3年間同じ時間に同じ駅前で捜索活動をしているのをずっと笑って見てましたよ」
「あの日、喫茶店で交換したラインのアカウントは捨て垢です」と舌を出してちょけた。「あなた達が夢にまで見た麻理ちゃんはこの部屋の何処かに居ますよ。探してみて下さい!」目の前で何かが光った! その瞬間、俺の視界が半分無くなった。冴子の悲鳴が部屋中に響いた。
「泣き喚いても誰の耳にも届きませんからご安心を。この部屋はかつてルームシアターに使っていた部屋なので防音はバッチリです」そういいながら、スナップを効かせて揺らしているナイフを健二の顔に落とした。サクッとエアリーな音を立てると左目に突き刺さったナイフをねじりながら「お宅の麻理ちゃんさぁ、ボンネットまで汚したんだぜ!」
夢で見たのと同じだった。左目の眼窩の中で卵の白身がグチャグチャに混ぜられたみたいに潰れた眼球にナイフの切っ先を向けてさらに続けた「まぁ、拭いたらすぐに取れたからよかったけど、目玉は勘弁って感じ、あと靴だっけ? 片方しか履いてなかったなぁ、拾い忘れちゃたんだけど、まぁ別にどうでもいいけど」まるで他人事のようにペラペラと喋りだす。それが、我々の神経を逆撫でした。
 
 確かそうだ! あの日の事故は人集りがあったが、残っていたのは黒のスニーカーと血痕だけだった?
右目でしっかりと見据えた高梨の表情が破顔した。「事故の現場を見られる前にある程度は証拠隠滅ができたのでラッキーだった」そう語るこの男こそ地獄に行けばいいと2人は呪詛のように呪いをかけるようにして憤怒した。
 冴子は目の前の閉まっているクローゼットが気になっていた。健二の残りの右目を潰すと振り返った2つの双眸が冴子をロックした。健二の悲鳴と重なるようにしてひときわ暗い闇が覆った。
 
 10分後……2階から降りてきた誠に博子がワインを飲みながら「終わったの?」と聞くと「あぁ、バッチリだ! 乾杯♪」ハハハと笑いながらワイングラスの縁を重ねた。2階の部屋の扉は固く閉ざされ両目を潰され四肢の自由が奪われた空間で階下の笑い声を聞きながら2人は娘の名前を呼び続けていた……

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