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老親が精神科に入院しましたその3

我が儘だと思った



今思い返すとBの死後一ヶ月の時点でAの行動は普通ではありませんでした。しかし、家族はそのシグナルを見落としてしまいました。
Cと私が何故この時点で異常に気付けなかったか?思い当たることを上げていきたいと思います。

  1. Bの死の直後で私達も疲れていた。

  2. 異常な行動が元々のAの性格が強調された形で発露した。

Aは元々ちょっと大袈裟な物言いをするところがありました。例を挙げると、おいしいものを食べた時「これ以外のものは食べられない」というような言い方をする人でした。
Aの当時の言動を記しておきます。

「ここには一秒も居たくない」
「こんなことでは引っ越し出来ない」
「消えてなくなりたい」
「一人では何も出来ない」
「何も食べてない」
「昨日は一睡もしていない」
「一週間誰とも会話していない」

これらを毎日繰り返すようになりました。
後半の三つは明らかに嘘です。不眠と食欲不振を訴えてきたのはBの生前からですが、既に二ヶ月経過してます。
この時点で脱水症状もありませんでした。(理由は後述します)
熟睡してはいないでしょうし食べ物の量や質は十分ではないでしょうが、生命維持出来る程度の睡眠や食事はしていました。
私達とはほぼ毎日会話がありますし、電話で他の人と話してもいました。
このため私達は「大袈裟なことを言っている」「我が儘を言って困らせている」と感じてしまいました。
「我が儘」と表現するのは、この頃、赤ちゃん返りのような言動をするようになったからです。

「(家に)帰っちゃ嫌ー」
「話を聞いて」
「出来ない、やって」
など我が儘な幼女のような発言が増えてました。
今思うと七十代の老女が幼児のような駄々をこねる時点で「病的」なのですが、死後一ヶ月でまだ精神的に落ち着いてないのだろうと考えてました。
またお気づきの方もいらっしゃるでしょうが、この時点で既に病院に掛かるべきだったと思う言動が出ています。

希死念慮


「きしねんりょ」と読むそうです。AはBの死の前後から「消えてなくなりたい」と頻繁に口にするようになりました。
他に「全部なかったことにしたい」などとも言ってます。
こうした言葉を頻繁に口にするようになると精神的なケアが必要な状態だそうですが、その時は分かりませんでした。
率直に言うととても嫌な気持ちになる言葉でした。
その1でCが激怒したのは、この「消えてなくなりたい」を病院の帰り道で言われた時だそうです。
A本人としてはどうにもならない気持ちの発露だと思いますが、言われるこちらも余裕のない時です。Bの生前は「今闘病している人がいる時に随分なことを言うなぁ」と、死後は「また言ってる……」という気持ちでした。

他にも印象的だったAの言動を記しておきます。

  • Bの死後お香典やお悔やみの手紙を嫌がりました。特にお香典は「いらない」と放り投げたことがありました。

  • 弔問の客にも会いたがりませんでした。ですがまったく人と関わらない訳ではなく、近所の人とは会話出来てます。

  • 遺品整理で出てきたBの私物や写真などを見ようとしませんでした。(「見たくない」「全部捨てて」「いらない」などと言われました)

  • 遺影にと持ってきた写真が遺影に相応しくない写真でした。(具体的に言うと旅先で撮ったカメラを見ていないスナップ写真です。証明写真のような写真があるのにそれを選びました)

なんとなくBの死を認めたくない心理が働いているような気がします。
「可哀想」と思うべきかもしれませんが、しわ寄せはすべてこちらに掛かってます。各種手続き、遺品整理、事務所にしていた部屋の片付け、引っ越しの準備など、C(と私)がやっていました。
良くないことですが、この頃には積極的に会話をすることを避けるようになってました。
Bの死から一ヶ月後です。まだ気持ちが落ち着かないだけだと信じてました。


四十九日頃


本格的にAの行動を「異常だ」と感じるようになったのは四十九日頃のことでした。
Aは盛んに「こんなことでは一人暮らしは出来ない」と口にするようになりました。一人で暮らすことに相当不安があったようですが、C家の都合で同居は出来ません。
もともとAは「あなた達と同居はしないから、自由にしてて欲しい」というスタンスでした。
もっと早くこうなると分かっていたら違ったかも知れませんが、今からではどうしようもありません。引っ越しても近所なのはかわりません。私達も出来る限りサポートするつもりです。
これを説明して本人も納得したはずですが、やはり不安は拭えないようです。
「一人では暮らせない」と繰り返します。ですが一人暮らしをしてもらうしかありません。今現在、一人暮らしですから、無理ではないと判断していました。一人暮らしが難しいならグループホームのような集団生活を送れる場所でしょうか。
Aは「それも嫌」と言います。もう本人もどうしていいのか分からなかったのでしょう、この頃から「(自分を)始末して欲しい」と言うようになります。
老親が精神科に入院しましたその4に続きます。

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