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好きのワケ

ある時「サボテンが好きで生活の一部になっている」という同い年の男の子と出会った。

そんな第一印象インパクト抜群の彼と話していて何気なく
「なんでサボテンが好きなの?」
と聞いてみた。よくぞ聞いてくれました!と言わんばかりにサボテンの魅力を語ってくれるかと思ったら予想外の答えが返ってきた。
「サボテンの好きなところは沢山あるけど何故好きかと聞かれたら難しい…」
と彼は考え込んでしまった。

確かに改めて考え直してみたらある人やモノに関して好きな要素は簡単に思い付くけれど「何故好きなのか?」その核心を突く理由はなかなか出てこなかった。

今の自分が無理やり言葉にするのなら、それが『自分を満たしてくれるから』だろうか?

なにか特定の要素ではなく、好きだと感じさせてくれるモノの複合的な魅力が自分を充足させてくれるような感覚。

もしそうだとしたら「何故好きなのか?」を問うことはナンセンスだ。返ってくる答えはみんな同じなのだから。少なくともあの時自分は「サボテンのどこが好きなの?」と聞くべきだった。何故(why?)何処(what?)を混同してしまっていた。

この考え方が正しいかどうかは分からない。
なんなら正解なんてない気さえする。
でも “ 好き ” という感情はそれぐらい曖昧で言葉として定義しきれない方が幾分か素敵なのかもしれないと思った。


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