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話を聴く際、うまくいかなかったこと

こんにちは。
相談支援が好きなソーシャルワーカー兼カウンセラーのひろっしーです。
今日は、「話を聴く際、うまくいかなかったこと」というテーマで書いてみます。

同じ同業者に読んで頂き、ご助言もらえたり何かお役に立てられたら嬉しいです。


では
さっそく

相談支援をしていて、利用者さんがお悩みをお話してくれる時、自分自身の質問が的を外しまくる時があります。なんか会話のキャッチボールがボテボテして弾まないんです。

例えば、利用者さんが感情的な側面を話されたい時に、「それは、あなたにとってどういう意味があったんですか?」って頭で考えさせる質問をしちゃう感じですね。

この時、お相手の方は気持ちから離れて、意味あることとして語り直さなければならず、その方の情緒的な心の機微を邪魔しちゃったなぁと反省します。

今日はそんな日で、ずっと邪魔ばかりしてました。

それで、どうしたらお相手の意図に沿った応答ができたかなぁと考えてたのですが、そもそもお相手の意図に沿った応答ができるって思っているところがよくない、のかもと気づきました。

あたかも正しい応答があるって思ってたら、自分だけでなく相手も感づいて会話が窮屈になっていきますもんね。

多分なんですが、糸井重里さんが「忘れてきた花束」で

細かく張り巡らされたコミュニケーションの線路の上を、無数の「誤解」という電車が走っている。賑やかなことである。

糸井重里著「忘れてきた花束」P199

と書かれているように、
的外れの質問すらもその方とのコミュニケーションを賑やかにするものとして、その動きを楽しんでたらよかったんだと思います。


なんかうまくいかなくて、うまくいかせたくて、ずーっと考えたところ、今日は大分抽象的な話になっちゃいました。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!!

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