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大好きと、好きとキライと、興味関心なしと苦手と、尾崎南『絶愛』から始まる801とBL、腐女子な人生の覚え書き。



突然だが、人には、得手不得手があるし、苦手なものもあるし、当然キライなものもあるのは、当たり前である、人間だもの。(唐突あいだみつお←昭和平成あるある?)

そんなものは、百も承知な話で、今更だけれど、人それぞれ、好きキライの度合い?割合も、やはり様々で、個人的な尺度な話をすると、私のなかの「大好き」および「好き」を数値にすると、100に対して、多分3くらいである。

そのくらい、自分が「好き」だと思うモノやコトに出逢える機会というのは、平均寿命的に考えると(平均余命とは、ある年齢の人々があと何年生きられるかいう期待値のことで、厚生労働省の簡易生命表で知ることができる。0歳の人の平均余命を平均寿命と言い、男性の平均寿命は81.05歳、女性の平均寿命が87.09歳)予測的な、期待値の人生を半分程度、生きてきたなかでも、ものすごく貴重な経験だと思う。
人によっては、この「好き」の幅が広くて、世の中の色んなコトが楽しめる人もいるが、価値観の違いなので、そこはもう諦めているし、何を見ても「楽しい!かわいい!」という価値観になったとて…今さら…という、やさぐれ感も、まぁまぁ。
他人は他人、自分は自分。
好きにしたらいい、マジで。

そんな感覚で、中学の頃から生きてきたので、自分のなかの「苦手」と「興味関心なし」の割合が、ものすごい大きいことに、ふと気がついて、愕然とした。
いや、自覚は、そこそこあったけども。
気がつくというか、ちょっと考えてみよかとなったのは、やはり綾野“狂児”きっかけなんで、なんとも言えないが。

「キライ」ではないんだ、決して。
ただただ「苦手」やねん…
コレを突き詰めていくと、私の腐った感性にも抵触するので、覚え書きのタイトルにもメモっておいた次第。

前述の覚え書きにも書いているように、私は「大好き」→推し的な人(キャラ)ができると、まずは、その対象単体を崇める傾向が強い。
そして、自分と同じ気持ち、および近しい気持ちを、推しの周りにも求めるのが、たちが悪いと、自分でも思う。

ライトノベル的に言うと、主人公史上主義、ご都合主義だし、BL・801的に表現するならば、総受け、総愛され、まさにハーレム的なモノを好む世界観の人種。
なので、主従関係は、かなりの大好物。
長年の間、年下、または敬語属性は、攻めの必須要件だった。

王道の少年誌ジャンプだと、各漫画のキャラ設定は、かなりツボではあったけれど、基本的に主人公が成長するという建前の、殺戮バトルはキライなので、そこそこ嗜むくらいで。
なかでも、ジャンプ本紙を購入してしまうくらいには、シャーマンキングとリボーンにはハマったけど、少年が、めっちゃ強くなって殺し合いに発展するジャンプの世界線というか、価値観が心底キライで、途中で脱沼したクチ。

そもそも、腐った世界に出会ったのは、たしか小学3年くらいから通い始めた進学塾に行くのが、もう本当にイヤでイヤで、塾に行く前に本屋に立ち寄って、立ち読みしていたところ、尾崎南『絶愛』を発見してしまったのである。

◆絶愛-1989- 
尾崎南によるボーイズラブ漫画(1989-2011) 『マーガレット』(集英社)にて連載されていた。続編として『BRONZE zetsuai since 1989』がある。 尾崎の商業誌での代表作。連載が始まった頃の日本の漫画界には、まだボーイズラブはそのジャンルの専門誌にしか存在していなかった。そんな時代に、主人公2人が織り成す男性同士の激しいラブストーリーを『マーガレット』という普通の少女漫画雑誌で連載し、大ヒットを飛ばしたという特異性で知られている。

元ネタである『キャプテン翼』は、なんとなーく知っていたが、その頃というか、当時は普通の小学3年の女子だったので『なかよし』『りぼん』は読んでいても『マーガレット』は、年上のお姉さん達の漫画雑誌という認識だったし、少年漫画にもサッカーにも興味関心はなかったから、最初、何がどうなっているのかは、わからなかったが、ただただ「男同士」の「禁断の恋」という背徳な世界観に、胸がぎゅっとなり、見事にハマってしまったのである。

当時は多分、耽美系だと『JUNE』という雑誌があったのでは?と思うが、小学生の私が、そんな偏った性癖の雑誌を堂々と買えるわけがなく、また地元の小さい個人店の本屋には、そういった特殊な雑誌は置いてなかったこともあり、雑誌の存在自体も知らなかったので、私の糧は『絶愛』だけだった。
そして、前述の通り、うちは、母も私も『本』に対して、あまりに金銭感覚が狂っているので、小学生にして、尾崎南の同人誌を通販で購入し、読み漁り、そこから801道を爆進することになるので、本当に腐ったオタク根性が長すぎて、自分でも笑うしかない。

正直、尾崎南の絵柄自体は、個人的にあまり好きではない部類なのだが、やはり『禁断の恋』という世界観が読みたくて、コミックスや同人誌を買っていたので、割とすぐに熱は冷めたが「やまなし、おちなし、いみなし」という801の精神論だけは、私の魂にしっかりと、刻み込まれ、根づいてしまった。
だから、次にハマったナマモノで、夏と冬の祭典であるコミケに、一般参加者としてデビューするのは、自然な流れかと思う。
中学、高校の時は、お小遣いを貯めにためて、年に2回の祭典で、同人誌を買い漁っていた記憶しかない。

ちなみに、当時はダウンタウン・松本人志が大好きで、カップリングは、今田耕司✕松本人志か、板尾創路✕松本人志。
どちらにしろ、今になっては、かなりのゲテモノ感が否めないが、あの頃の松本人志の女装は、今のマッチョ体型からは想像できない、痩せ型で、足の細さも含め、素晴らしいモノが多く、しかも、後輩たち(今田、板尾のほか、東野幸治、木村祐一)を引き連れて遊びに行くというエピソードは、私の中のハーレム要素を、かなり満たしてくれたのである。(遠い目)
そして、フジテレビ『ごっつ』が番組終了となり、松本人志の武道館ライブ→写真で一言形式のお笑いライブを観に行き、初めて本人を生で見て、脳内の何処かしらが満足したらしく、長引いていた熱が冷めてきた頃、入れ替わるように、『沙粧妙子』の特別ドラマの猟奇的な犯人役の草彅剛に、スコーンっと落ちていった。

SMAPは、たしかに中学時代、『夢がMORI MORI』とかやってて、同級生にジャニオタがいたけれど、めちゃめちゃバカにしてたわ……
自分がハマってしまうと、マジ、非常に申し訳なく思う。
めっちゃ、ごめん(軽)

草彅剛主演『いいひと』を見て、スマスマを見始め、年下攻の見本のような、シンツヨという公式カップリングではなく、何故か、SMAPの場合は、木村拓哉✕草彅剛、または中居正広✕草彅剛に、好みが変化したのも、オタクあるあるなのか???
まだ、オートレーサーに転身した森且行さんがSMAPにいた頃、草彅剛のことを「SMAPという、グループ内のアイドル」と称していた記事を見て、グループ内で可愛がられるのは、決して、年齢的に一番下の香取慎吾ではないんだなと、妙に納得したのを覚えている。

キムツヨの大好物エピソードをひとつ。
草彅さんのデニムなり、クロムハーツなりのファッションの起源て、木村さんから貰ったやつからっぽいなーと思うくらい、草彅さんは木村さんに懐いていて、木村さんも高価だろう、お下がりをあげるくらいにはかわいがっていた関係性だったのに、木村さんの車で送ってもらった帰り道、自分の自宅を木村さんに知られないように、家から離れた場所で、木村さんの車から降りて行った草彅さん。
それを逆走して追ったという話を、木村さんがSMAPラジオで話していたことがあり、木村さん「こいつ、家、教えてくんねーの!」と叫んでいたけど、逆走してまで追いかける執着心、めちゃくちゃ怖いなと思った次第。

草彅さんの、この表面上、懐いてるけど、自宅は教えたくないって心理、何か、すごくこの2人の関係性を端的にあらわしてる気がしてならなかったし、香取さんは、ツヨポンの自宅、知ってるんだろうなーという、信頼性の違いが、すごく面白かった。
当時の日本一、抱かれたいNo.1の男を振り回す、グループ内アイドル☆の舞台『蒲田行進曲』も、とても素敵で、青山劇場に3回、観に行くことができたし、とても良い思い出。

社会人になって、しばらくはジャンプ系にハマり、再びナマモノ、ジャニーズにハマるとは思いもしなかったけれど、嵐というグループは、きちんとデビュー当時から認識はしていて、ドラマ「あきまへんで」…多分、こんなタイトルで、中村玉緒主演、藤原紀香が、たしか長女役で、弟役の二宮和也さんの顔立ちが、かなり好きで、ドラマを見ていた記憶がある。

私の個人的な二宮和也さんのイメージは、高倉健的な『寡黙』だったので、初めて嵐のバラエティを見た時に「…めちゃめちゃ喋るやん、この人」と、げんなりして、一気に、好きから、苦手になった。
櫻井翔さん的な、状況説明ではなく、息をするように喋る人→明石家さんまカテゴリーな人は、やっぱり、苦手。

そして、唐突だが、私としては、ニノとマツコ・デラックスって、すごく感性が似ている気がするんだが、マツコさんは、好きだったりする。
自分でも、すごく不思議だが、マツコさんとニノの違いは、ニノの喋りは時たま、他の人を傷つけてしまいそうなギリギリの線があって、嵐というグループでいるならば、ニノのそういうツッコミは、櫻井さんなり、松潤なり、相葉ちゃんなりが、間にはいって、緩和していたように思う。
マツコさんは、自分ひとりだからこそ、いくらキツい物言いをしても、発する言葉に、慈しみのような、深い愛を感じるので、そこが、ニノとは違うんだろうなと。(愛やで)

まぁ、そんなこんなで、嵐というグループでは、見た目はニノが好みではあったが、ただそれだけだった。
リーダーの大野さんを個別認識する機会は、生田斗真とのW主演ドラマ『魔王』開始前の雑誌「女性自身」かなんかの表紙、ニノとの恋人繋ぎした、寄り添ったジャケ。
今でも思う、アレは一体なんだったのか…

ファンクラブ会報とか、アイドル雑誌とかの、それこそ身内限定で、ジャニは営業活動的に、グループ内ハートフルな仲良し写真をまぁまぁ強制的に撮られたりするのはわかっていたけれど…
けれど…恋人繋ぎて……
インタビューも、ドラマ『魔王』の初回放送に、二宮さんが特別出演するから、一緒に受けるし、写るのはわかるけども…
仲良さすぎじゃないかな?

インタビューでも、二宮さん「わたしの魔王」とか言ってたりするのを、大野さんは普通に流していたので、あまりの仲良しぶりに、頭がパーンッ!!ってなった。
待って、待って、まさか、この状態が「普通」じゃないよね???と、嵐さん関連をデビュー当時から追い始めたら、出るわ出るわ…
コレは、すごくイイ、リーダー総愛され状態。

グループ結成前段階で、翔さんからのリスペクト+二宮さんからの執着を感じるエピソードがモリモリあり、グループ結成始めで、相葉ちゃんとカップルごっこ?なる、オタクには甘い毒のような、ゆるフワ関係を築き、一番下の松潤からも、オタク目線で解釈すれば、ツンデレ彼氏みたいな態度をとられていて、ココが理想郷か!?という完璧な相関図が完成するグループだと、拍手喝采を贈りたかった。(いらんやろ)
嵐の箱としての仲良し具合については、語りたいエピソードが多すぎることに気付いたので、また別途、覚え書きにしたい所存。

あまりに脱線しすぎて、結局、何が言いたかったのかというと、個人的に、偏執的なオタクの愛は、カップリング右側に9割方、傾く傾向にあるので、攻め側に対しては「キライ」ではなく「苦手」に感じることが、ほとんどで。
今田さんにしても、キムタクにしても、二宮さんにしても、ただただ「苦手」枠だった。
「大好き」だった推しが「好き」に変化した現在では、左側の人たちに関しては「苦手」から「興味関心なし」になっているしな。

そう、綾野“狂児”だけが「苦手」なワケじゃないねん…
という、長々とした、言い訳的な覚え書き。(遠い目)