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【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_0

プロローグ

「人間ってさ」

「何でも食べるよね。雑食っていうか、もはや見境なしというか」
 なんでもない日の昼下がり。
 出し抜けに等々力とどろきひなたが言った。
 大方、今見てる動物番組でアリクイの食性が紹介されていたのに触発されたんだろう。
「まあ、食べるな。文化ごとに食材の偏りはあるけど」
 欧米人が蛸を食べなかったり、ヒンドゥー教徒が豚や牛を食べなかったり、そういう差異はある。
 彼女が言いたいのは、生物種・ヒトが他の動物では類を見ないレベルの雑食性を備えているということだ。
「日本人に限って言えばさ、ホント、食べるものに対する熱意が異常だよね。フグとかコンニャクイモとか、毒があるって分かってるのに、どうにかして食べようとしたから今の食文化があるわけじゃん?」
「……確かに」
 特にフグなんぞ、どの部位に毒があるかまで詳細に分かっている。毒性物質が同定されて、科学的に立証される以前からそれが判明しているということは、少なくとも毒がある部位の数だけ人死にがあったことを意味しているはずだ。
 どうにかして食ってやる、という常軌を逸した執着が垣間見える。
「そういう見境の無い食性があるおかげで、人間って種族は世界中に分布できたのかもしれない」
 食性が限定されている――例えばアリ専門のアリクイやユーカリ専門のコアラのような――動物は、異種間での食物の奪い合いが無いから確実な生存が望める一方、その食物が存在するエリアでしか繁殖できない。彼らは内臓含めた身体の機構が、その食性に最適化されてしまっている。
 対して何でも食べられる雑食動物は勢力拡大しやすい、というのは直感的にもイメージできる話だ。
「うん。私もそう思う。雑食って、一番適応力のある生き方だなーって」
 だけど、とひなたは言葉を切る。
「何でも食べられるはずなのに、不思議と好き嫌いするよね、私たち」
「そうだな」
「栄養になればそれで良いんだし、本能に従って何でも食べれば良いのに、そうなってない。これって、人間が本能以外の部分で行動を決めるってことなのかな?」
「どうだろう……むしろ食事の好き嫌いって本能的なものが理由のような……あぁいや、本当の意味で本能に従うならそもそも選択をしないのか。目の前にある食物を腹に入るだけ食べておくのが、動物的な本能だよな」
 活動するに必要なエネルギーを獲得するのが生物としての食事の目的。であるならば選り好みなどせず、食べられるうちに食べられる物を摂取するのが本能的には正しい。
「そう考えるとさ、生き延びることと無関係な所に好き嫌いがあるのって、実は本能を抑える理性が存在することの証拠みたいに思えてこない?」
「面白い発想するなぁ」
 人間は他の動物と違い、理性で以て言動をコントロールする――というのは多くの人が同意する意見だろう。
 このとき表現している「理性」が本能の対立項としての意味合いならば、確かに等々力の言うように、食の好みという特性は、人間と動物とを分ける理性の発露と呼べるかもしれない。
「でね。ここからはちょっと飛躍した話なんだけど」
 興が乗ったのか、ひなたはテレビそっちのけで話を続ける。
「とある雑食の動物に、人間と同じように食べるものについて好き嫌いがあったとしたら、その動物にも本能以外の判断基準――理性があるってことにならないかな」
「――――それは」
 すぐには頷けなかった。
 彼女も言う通り、好き嫌いの存在イコール理性の存在という意見は飛躍した話だ。そんな食性を持つ動物がいるかどうかも定かじゃない。
 ただ、定かでないということは、絶対に居ないと証明されたわけでもない。
 観測されていないだけで、実際には存在しているかもしれない。
 そして、もしそんな動物がいたとしたら、少なくとも本能以外の判断基準があるという点に関しては否定ができない。
「――――分からない」
 わからない。
 肯定でも否定でもない曖昧な回答。
 けれど心の奥底には、なんとなく、否定したい感情があった。
 人間だって所詮は動物に過ぎない。
 人間だけが特別だと考えるのは傲慢だ。
 人間しか持ち合わせないと思っていた理性それだって、実は他の動物にもあるものなんだぞ。
 そんな主張を認めてしまうような気がして。

 どうしてそれを否定したいのか。
 それは、オレの身体が普通の人よりも本能の支配を受けやすいものだからかもしれない。
 病魔びょうまと呼ばれるその異常がヒトの本能を極大化するのなら。
 極大化した本能を凌駕する「何か」が、ヒトには……オレには備わっていて欲しい――――

1章_無我-crazy in trouble-

1-1 別谷わけたにさかえの憂鬱

◆二〇〇五年 六月十一日 かない某所

 土曜日の午後は一面の曇り空となった。
 雨雲ほど重たい色味ではないものの、陽の光を遮るには充分な厚さの雲が幅を利かせている。
 そう表現すると、なんとも気分が沈みそうなものだけれど、人出はここ数日のうちでは一番多かった。
「……五日ぶりの雨上がりなら、こうもなるか」
 既に梅雨入りを果たしていた関東地方においては、たとえ曇り空でも晴天と同じくらいの価値があるのだろう。久しぶりとなる傘要らずの休日で、ここかないの街中も賑わいを取り戻していた。
 その中においてオレは、どちらかというと今の空模様に近い気分で往来を進んでいる。
 その理由は二つ。
 一つは、この外出が自分ではなくオレの雇い主、神流かんな玖美子くみこのための個人的な用事であること。
 簡単に言ってしまえば、上司のための使いパシりなのである。ウキウキでいられるわけが無い。
「ったく……買い物くらい、自分でやれよな……。しかもコーヒーの粉とフィルターって、神流しか使わないじゃないか」
 ぶつくさ言いつつも、歩いていればそのうち目的地には辿り着くもの。
 街に一つはあるであろう、小洒落こじゃれた輸入品ショップの看板が目に留まる。
 あとは必要な物を購入するだけ。
 ……なのだけど。
 ここでどんより気分の理由、二つ目が顔を覗かせることになる。
 らっしゃいませー、と気の抜けた女性店員の声に出迎えられつつ、オレは狭い店内から最も安いコーヒーフィルターを探し出す。
 ちなみに神流がコーヒーを求めるのは別に味に凝っているわけじゃなく、朝の仕事始めで一杯飲むというのがルーチンになっているだけ。……という身も蓋もない理由だったりするので、なおさらこの買い物に対するオレのモチベーションは上がらない。
 徳用フィルターを片手にレジに向かう。この店はコーヒー豆の仕入れに力を入れているようで、レジ前に多種多様な豆が陳列されていた。
 ざっと説明文を眺めると酸味と苦味のバランスだ何だと色々書いてあるけれど、オレはろくに飲んだこと無いし、どうせ神流も味わって飲んでるわけじゃないだろう、とこちらも最安値のものを選ぶことにした。
「あー、すんません。この……コロンビア?ってのを二〇〇グラム」
「はぁい。かしこまりました、少々お待ちくださーい」
 慣れた手つきで豆を量り取り、自動のコーヒーミルで手早く粉末に仕上げていく。
 ……店員はまだオレの素性に気付かない。
 決して愛想が良いとは言えないまでも、しつこくない程度の丁寧さを備えた心地良い接客。
 そんな彼女もひとたび気付いてしまえば、どんな反応を示すことになるかは分かりきっている。
 ミルの豆を砕く音が、それまでのカウントダウンに思えた。
「お待たせいたしました、そちらの商品と合わせてお会計――――」
 せせらぎのように流れていた女性店員の言葉が、詰まる。
 まるで、いきなり排水溝のドブにぶち当たったみたいに。
 オレと視線がかち合う。
 正確にはオレの左目、少し下にある「とある刺青」に、彼女の視線は釘付けになる。
 その刺青が示すところを理解して、表情が消える。
「――……あ、九五〇円……です」
 どうにか絞り出された続きの言葉もまた、色彩を欠いたものだった。
 それでもオレは、彼女のことを評価したいと思う。
 経験上、オレの素性に気付いた人間のほとんどは愛想笑いを浮かべる。
 相手と事を荒立てないために使われる、その場しのぎの笑顔。表面上はにこやかでも、その根底にある、
 ――――急に暴れ出したりしませんように
 ――――頼む、それ以上近寄らないでくれ
そんな本音が見え透いている、嫌な笑顔を。
 マイナス感情が伝わってくる愛想笑いに比べれば、ゼロ感情な彼女の無表情はオレにとってむしろプラスだ。
 きっと、店員としての能力が彼女の心情とは無関係に機能しているんだろう。
「千円頂戴します…………五〇円のお返しです」
「どうもー」
 釣銭皿に載せられた硬貨とレシートをつかみ取る。
 もし相手がオレじゃなかったら手渡しだっただろうか。
 自分が世間一般にとって異常者であることを嫌でも思い知らされる。
 今までに幾度となく経験してきた光景とはいえ、やはり良い気分はしない。
 一〇分にも満たない買い物を終えて、元来た道を歩く。
 空を覆う雲は、心なしかその重みを増しているような気がした。

    ◇◇◇◇

1-2 魔が差した

 五年くらい前から、ここ叶市を中心におかしな病が流行り始めた。
 病魔びょうまと呼ばれるその奇病は、病と名がついているものの、細菌やウィルスが原因の感染症ではない。どちらかと言うと、遺伝子異常による突然変異に近い、というのが専門家の見解だった。
 ただ、感染症じゃないのに地域性があったり、時間と共に発症者数が拡大していたりと、その全容は未だ解明されていないのが現状だ。
 他に分かっていることと言えば、この奇病が三〇歳未満の女性にしか生じていないこと、発症者は凶暴化するなど精神的な異常をきたす傾向が高いこと、そして、発症者の一部に「超能力としか思えない」異能が備わることが挙げられる。
 中でも精神異常と異能の力を併発した場合は、猟奇殺人のようにセンセーショナルな事件に繋がることが多い。
 そういった過激な内容を積極的に拡散するマスコミの貢献もあって、すっかり「病魔=危険」という負のイメージが定着してしまった。
 「してしまった」などと口惜しそうに語ってしまったけれど。
 異能者に限って言えば、その存在が危険因子なのはオレも全く同意見である。
 個人的な意見はさておき。
 そういった負のイメージは病魔発症者に対する嫌悪感を世間一般へ抱かせるに充分だったらしい。
 中世の魔女狩りとまでは言わずとも、多数派にとって得体の知れない脅威を遠ざけようとする、不可視の同調圧力――真綿で首を絞められているような息苦しさ――が、今の叶市には蔓延まんえんしている。
 その一つの例が、先刻の店員だ。
 オレが病魔発症者だと気付いた瞬間、感情のシャッターが降ろされた。それでも、彼女は「店員と客」という立場分けがあったぶん、その役割ロールに基づく事務的な受け答えを返すだけで済んだと言える。
 立場も役割も無い、ただの通りすがりが相手であれば、酔っ払いの吐いた汚物でも見るような顔を向けられたことだろう。


 ところで、なぜ周囲の人間がオレを見ただけで病魔発症者だと分かるかというと、それはオレの顔にとある刺青が刻まれているからだった。
 刻印と言っても良い。
 左目、涙袋の下にある、バーコード状のものがそれだ。
 指定疾患特別認可証――特認証と略称される――それは、病魔を発症した者のうち、政府が「通常の社会生活を送っても良い」と判断した人間にのみ付与される、つまり許可証にあたる。
 特認証が与えられない者は、存在するかも定かじゃない治療法が確立されるまで、専用の隔離施設で一生過ごすことになる。もっとも、そういった処置が下される発症者というのは大抵、その境遇を嘆くほどのまともな精神性を保てていないものなのだけど。
 ともかく、政府公認の許可を得ているオレは本来、無害な通行人Aとして街中に溶け込めるはずなのだ。
 しかし悲しいかな、安全性を保証するための特認証は、一般人にとって「その人物が病魔発症者である」ことの証左になってしまっている。
 ここにメディアによって流布された、病魔は危険で、不明で、恐ろしいという負の感情を掛け合わせるとあら不思議。
 顔を見られるだけで勝手に相手から敬遠される構図の完成である。
 ただし、相手が病魔発症者だと分かっても関係なく距離を縮めてくる人間というのは一定数いるもので。
 それは例えば、オレにパシリを命じた上司の神流だったり、高校以来の付き合いである等々力ひなただったり――――
「……ンだよ嬢ちゃん、こいつの知り合いか?」
 今オレの目の前でメンチを切る、明らかに好意的じゃない視線のアウトローなお兄さんだったりする。
 まだ日の高い時間帯のはずなのに、薄暮のように見通しが悪い裏通り。
 そんな場所で柄の悪い青年と高校生らしき少女が二人きりで何やら話しているのを見かけ、魔が差したオレはつい、話に首を突っ込んでしまって今に至る。
「えーと、まあ、そんなところ。話、聞かせてもらう約束だったんだ。この後」
 我ながら見事に方便だと分かる返答だなと思った。少なくとも、買い物帰りだと一目で分かるレジ袋を提げた人間が言う台詞ではない。
「へぇ……俺以外にこんな奴にも依頼してたんだ。思ったより真剣マジなんじゃん、あんたの人探し。『発症者』の手まで借りるとか普通じゃないっしょー」
「いえ……えっと……」
 剣呑な雰囲気はそのままに、ケタケタと笑いながら要領得ないことを口走る青年。その笑顔は作り物みたいに精巧で、彼の素顔を隠すようにべったりと張り付いていた。
 水を向けられた少女もすっかり萎縮しているのか、特徴的な黒縁眼鏡のレンズの奥で気まずそうに視線を泳がせるばかりだ。
「俺もこいつと大事な話の最中なの。分かる?順番。こっちの話が終わるまで口挟まないでくれるかなぁ」
 そう言って仲良しカップルのように少女を片手で抱き寄せるが、その肩が強張って見えたのはオレの気のせいだろうか。
「……わかった、口は挟まねぇよ」
 ――ああ、くそ。
 分かり切っていた展開に大きく息をつく。やっぱり面倒なことになるじゃないか。
 こんな面倒に首を突っ込む羽目になったのも神流アイツのせいだ。後で文句の一つでも言ってやらねば。
「口出しはしねぇけど、手は出させてもらう――!!」
 言うが早いか、オレは提げていたビニール袋を中身ごと正面に投げつけた。
「っ……!?」
 所詮中身はコーヒー粉と紙製フィルター、大した勢いも出ないそれは例え不意打ちであっても青年が避けるのに苦労は無い。彼は余裕をもって飛来した物体から身を躱した。
 それで良い。
「――ッ、ラァ!」
 投擲と同時にふところまで飛び込み、間髪入れずに青年の腹へ蹴りをお見舞いする。
 少女の短い悲鳴と共に、青年の苦しそうなうめきが上がる。
「お……ごっ…………」
 人間の反射的な動作というのは、外界からの刺激に対して通常の動作よりも短い経路で筋肉への命令が飛ぶ。熱い物に触れた瞬間腕が跳ね上がったり、目の前で手を叩かれた瞬間まぶたを閉じるのも反射だ。
 致命的なダメージから身体を守るためのこの機能は、しかし本人の意識と無関係に「起こってしまう」という側面も併せ持つ。
 この瞬間、青年の目は飛んでくる袋に釘付けとなり、避けるために少女から手を放してしまったのだ。
 鈍痛に悶える青年に構わず、オレは傍らの少女の手を取る。
「走るぞ!」

    ◇◇◇◇



次回


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