【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_終
一気読みはマガジンをどうぞ!
前話はコチラ!!
エピローグ
「――――つっ……」
消毒液臭い建物を出た瞬間、視界に突き刺さる光の眩しさと空気の熱がオレを出迎えた。
あれから二、三日しか経っていないはずなのに、いつのまにか梅雨が終わって季節は夏本番を迎えつつあるらしい。
「はぁ……どぉりで暑いわけだ」
誰を恨むでもないけれど、出てきた建物を睨みつける。
この、厚生省直轄の病魔発症者用医療施設には窓がほとんど無い。
内部は全域で空調が適温を維持しているとはいえ、お陰で外界の情報は全く入ってこなかった。
もはや無用の長物と化した上着を脱ぎながら施設正門に向かって歩いていると、
「ちょーーーーっちょちょちょサカエ!!嘘でしょ、なんで気付かないのよ!?」
聞き慣れた、けれど久しぶりのような気がする少女の声が背後から飛んできた。
「私、目の前の柱に寄り掛かって立ってたよね?出てきた瞬間目に入る位置にいたよね!?」
「え……アレ?等々力?」
振り返ると、フグのように頬を膨らませたひなたが立っていた。
外の明るさに目が眩んだせいで、見落としてしまったらしい。
「うわ傷つくなーその反応。ようやく神流さんの課題提出しに探偵事務所行ってみればサカエはいないし、施設に入院してるって神流さんから教えてもらって、気が気じゃないままここまで来てサカエのこと待ってたっていうのにさー!」
「……前にも似たようなこと言ってなかったか?」
「同じようなことを言わせてるのはどこの別谷さんなんですかねー!?」
「そりゃあ……目の前にいる別谷さん以外無いだろ」
「知ってますぅー、皮肉で言ってるんですぅー!分かってるなら傷ついた彼女の心を埋め合わせる甲斐性のひとつでも見せてくださいー!!」
まずい。
売り言葉に買い言葉を並べてひなたの御機嫌をいたく損ねた。
どのくらい不機嫌かというと、いま手を顔の前に差し出したら物理的に噛み付いてきそうなくらい。やっぱり彼女の本性は犬っコロなんじゃないだろうかと思ってしまう。
――――そうじゃなくて。
甲斐性、甲斐性かぁ……。
自称、オレのカノジョを宣言しているひなたが求める甲斐性ということは、つまり世のカップルがやりそうなコトなのだろう。
………………。
…………………………。
ここまで高速で思考を巡らせること、およそ六秒。
「――っ、わ、分かった。オレが悪かった。…………何でも一つ、等々力の願い事聞いてやるから機嫌直してくれないか?」
情けないことに白旗宣言だった。
女と付き合ったことなんざ人生で一度も無かったオレに、良いアイディアなんて浮かぶはずもなかった。
「ホントに何でも良い?」
「……オレに可能なことなら。とんでもなくヤバい重度発症者を始末する、でも大丈夫だ」
「そんな物騒な事頼まないわよ――んん~……」
オレとしてはそっちの方がやりやすくて助かるんだけどな……。
ひとしきり唸ってからひなたは、
「あ。じゃあさ、今度デートに誘ってよ。サカエから」
思いもよらない提案に、顔を上げる。
彼女は悪戯っ子のようにニシシと笑って、
「だって、いつも私がサカエのこと連れ回してるでしょ?私が行きたい場所に行って、私の食べたい物を食べて――もちろんその時間は楽しい!……けど、そうじゃなくて、さ。ちゃんとサカエの意思で私を誘って欲しい。それで、私に黙ってアブナイ橋を渡ろうとしたことは許してあげなくも、ないかな」
ひなたの口調はまだ拗ねてる風だったけれど、その表情はすっかりいつもの、陽光のような眩しさを放っていた。
「……ん。それなら、オレにもなんとかできそうだ」
「よろしい!私と肩を並べて歩く権利を与えます」
「なんだ、こりゃ有難く頂戴すれば良いのか?」
二言目にはふざけ合いながら施設を出て、オレたちは並んで街道を歩く。
日差しの強さに比例して濃くハッキリと投影された、街路樹の影を辿る。
「それで」
「ん?」
「今度はどんな無茶をやってきたの」
無茶したのは前提なところが手厳しい。
「その解れだらけのズボンを見たら、嫌でも分かるわ」
「ダメージジーンズの可能性も……」
「無いわね。ファッションなんて無関心なサカエに限ってあり得ないわ。だいたい、サカエが関わって穏便に片付いた事件なんて無かったじゃない」
呆れ気味にひなたからジト目を向けられてしまった。
指摘が真実なだけに言い返せないのが悲しい。
オレは抗議を諦め、今回の騒動とその顛末を説明する。
――――。
――――――――。
――――――――――――。
「……って感じだな」
「じゃあ、その重度発症者の人は――」
「もう異能は使えない。オレの『捕食』が作用した以上、異能どころか病魔発症者ですらなくなって、今はただの健康な女子高校生に戻ってるさ」
「そっか」
ガラスケースに囲われた宝石を見つめる子供のような面持ちで俯くひなた。
言葉を聞かなくたって分かる。
その「捕食」でサカエ自身の病魔も消せたら良かったのにね――そんなことを思っているときの顔だ。
「おいおい、ここは一応喜ぶ所だぜ?」
「……それでも、その子が殺人をしてしまった過去は無くならないのよね」
「それは……その通りだ。アイツを突き動かした元凶は病魔でも、その誘いに乗ることを選んだのはアイツ自身だからな。病魔の魅せる快楽がどれだけ抗い難いとしても、その責任が病魔に転嫁されることは無い」
オレ自身への自戒も込めて、きっぱりと断言する。
それは重度発症者という人間爆弾が「普通」の暮らしを享受する上で、決して忘れてはいけないことだから。
「アイツは自分の選択した結果について、この先の人生を賭けて背負っていくしかないんだ」
「……重たいね」
「けど、その重みは……人間でないと感じることすらできない」
もしかすると神流が上手いこと手を回して、姫毘乃女学園の校舎を損壊させたことについてはお咎め無しになるかもしれないけれど、できたとしてもそこまで。
少なく見積もっても、伊南江美は三人を殺害した罪と向き合わなくちゃいけない。
爆散の病魔に狂った異常者としてではなく、ただの女子高校生「伊南江美」として。
「それ……もしかして重度発症者だと裁判所じゃなくて、隔離施設に収容されるってことを言ってる?」
「――、神流から聞いたのか」
頷くひなたに、やれやれとため息をつく。
なるべくこっち側に関わって欲しくないのがオレの思いなのだが、上司サマとその方向性は一致していないらしい。
「まぁ、間違っちゃいないよ。重度発症者は絶対数が少ないぶん、調査対象として貴重なサンプルだからな」
「……じゃあサカエはそれを避けようと――」
「オレを買い被り過ぎだ。だいいち、病魔を失くして裁判で重い刑罰を受けるのとイカレた精神のまま収容されるの、どっちがマシかなんて本人にしか分かんないことだろ」
「なら、どうして?」
「もう知ってる癖に」
「うん。知ってるよ。サカエはいつだって、やりたいと思ったことしかやらない。私が訊いてるのは、更にその根っこの理由」
「そんなの…………秘密だ」
「えぇ〜〜またぁ?いっつもそうやって隠す〜〜」
そう言って呆れ半分、拗ね半分でオレの頬を指でつついてくる。
その物欲しそうな表情に思わず口が滑りそうになるけれど、こればかりは譲れなかった。
だって、ひなたの日常を守りたくてやったんだ――なんて言えないじゃないか。
「そんなに恥ずかしいことなの~?」
断じて照れ隠しなんかではない。
これはただ、まだ果たせていないことを口にしたくないだけで。
「そうじゃないけど、多分ひなたにはずっと教えられない気がする」
「なんでよ!?」
「なんでも、だ」
伊南の爆散という危険因子は確かに取り除くことができた。
だが、叶市にはまだ病魔の脅威がそこかしこに潜んでいる。
それは例えば、未だ解決に至っていない失踪事件だったり、今回その存在を初めて知った神託園も含まれる。
オレが施設で目を覚ましてすぐ、病室まで来た神流から聞かされた話では、廃工場で無力化したはずの中条の姿は回収部隊が向かった時には既に無かったという。
奴も捕食によってただの人間に戻っているはずだが、特捜課メンバーが到着する前に逃げおおせたとなると、奴の行先は当然、所属している神託園になるだろう。
目的も規模も主謀者も不明な集団だが、連中は仲間……つまり人材を欲していた。もしかしたら、他の行方不明者との接点があるのかもしれない。
そんな風に考え出すと、不安材料はいくらでも湧いてくる。
「けどまぁ、そうだな……」
オレが病魔絡みの事件に関わる理由、それをひなたに語ることができるのは、きっと。
「病魔なんて異常が綺麗さっぱり無くなった時には、教えてやるよ」
「ほんと!?後からやっぱ無しー、とか許さないからね?」
目を輝かせたひなたがオレの手を取りステップを刻む。
それに引っ張られる形で並木道の木陰を抜けて、日向へ足を踏み入れる。
降り注ぐ日差しは肌を焼くほどに熱かったけれど。
ここ数日を日陰の中で過ごしてきたオレには、それが何よりの報酬に思えた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?