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【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_41

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5章_炸裂-illness≠barbaric-


5-8 人間だから


 姫毘乃女学園に静寂が戻ってから何分後か、何十分後か。
 夜風に吹かれて身震いした伊南は、寒さで目を覚ました。
 咄嗟に体を起こそうとして、全身の筋肉と関節が痛みの悲鳴を上げていることに気付く。
 諦めて身を横たえると、何やらゴツゴツとした感触が背中から伝わってくる上、そこに天井は無く夜空がそのまま見える。お世辞にも寝転がって身体を休める環境とは思えなかった。
「……?わたし…………」
「ようやくお目覚めか、伊南江美君」
 視界の外から投げかけられた声に伊南は驚く。それは彼女が初めて聞く女性の声だった。
「ああ、まだ身体は動かさない方が良い。全身の打撲はまだマシだが、君の場合、異能を全開で使い続けた反動がひどい。気を失ってる間に鎮痛剤打っといたから、少しは軽減されていると思うが」
 これを聞いて伊南は二つの意味で青ざめた。一つはこの痛みでも軽減されたものであること、もう一つはこの女性が一切自分を案じていないことが声音から分かってしまったことだ。
「あ、貴女は……」
「少しばかり病魔に詳しいだけの、しがない警察官さ。今は、アタシの右腕が片付けた事件の後始末をしに来た所。……ついでにちょっと興味があったから、君が起きるのを待ってた」
「右腕……あ――――」
 ここに至ってようやく伊南は意識を失う直前の光景を思い出す。
 馬乗りにされ、身動きが取れなくなって、それから――――
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁ、う……!!」
 何かが「奪われた」感覚に吐き気がこみ上げる。
 まるで粗野な男に強姦レイプされた翌朝のような最低の気分。
 そんな伊南の心理を知ってか知らずか、
「ふむ……今回も被捕食者にはある種の喪失感が生じている、と」
 警察を名乗った女性は淡々と、傷口に塩を塗るようなことを口にする。
「安心したまえ。境に何か奪われた感覚があったとしても、それは君を侵していた病魔の源のことだ。君はむしろ、彼女かれに助けられたと言っても良い」
「なに……を!」
 瞬間的に頭が沸騰し、痛みに構わず手近な瓦礫に手を触れるも、伊南の手はただ瓦礫を掴むばかりで爆発も砕けもしなかった。
「…………ッ!?」
「だから言っているじゃないか。もう今の君は重度発症者でも、そもそも病魔発症者ですらなくなってるんだよ」
「そんなことが…………!」
「それが境の病魔の力であり、重度発症者でありながら特認証を与えられている意味でもある。……ま、その効果の代償か、短期間でいくつも病魔を捕食すると境もあんな風になっちまうんだが」
 伊南が首だけ動かして周りを見ると、少し離れた場所に寝転がされた別谷の姿があった。四肢は完全に弛緩して、まるで死人のようにすら思える。
 その姿に、自分をこんな目に遭わせた相手という怒りを一瞬、忘れた。
「……あんなになってまで、なんで」
 思わず口をついて出た言葉に、
「そりゃ、人間だからさ」
 傍らの女性が何故か得意げに答える。
「己の中に、どうしようもなく醜悪で嫌悪したくなるような欲求が存在したとして。それを認めた上で、それでも『こうありたい』と願い、行動できる力――アタシはそれを、人間固有の能力だと思っている」
 どうしてか伊南はそれを、別谷にも言われたような気がした。
「――――――――は。はは……そっか…………そりゃわたし、勝てないわけだ……」
 彼女かれの言葉が頭蓋の中に反響する。
 「根拠無く湧き上がる衝動に身を任せるのは、気持ち良くって、ラクなことだろうさ。けどな……」
「理性どうこうじゃない……『壊したい』って衝動に全部を丸投げしてたわたしは、そもそも人間でいるための前提を、自分から捨ててたんだ……」
 一度は跳ね除けた言葉の意味が、体験を伴ったことで腑に落ちる。
 それは同時に、自分には取り戻せないものだと理解できてしまって、伊南は視界が涙で歪むのを感じた。
 なぜなら彼女には「こうありたい」という願いが無かった。無かったからこそ他人の思いに縋り、誰かの望む姿を是とし続けたのだ。
 だが、
「何だ?まるで自分はもう人間じゃないみたいな言い草じゃないか」
「…………え?」
 思わぬ所から横やりが入る。
「境から、意識を失う前に伝言を預かってる。――『何かを嫌だと突っ撥ねるのも立派な意志だ。お前は自分が無いと言うけど、本当に己が無い奴には嫌がる気持ちすら生まれない。だから……伊南江美を、諦めるな』だそうだ」
「――――ぁ」
 それは、自身を打ち負かした勝者の言葉で。
 自分には無い、強い想いを芯に据えた強者の物言いで。
 他人の世界へ土足で踏み込んでくるような無遠慮な人間の口調で。
「どこまでいっても……無茶苦茶ですね……あの人は……っ」
 だからこそ伊南にとって最も奥に突き刺さる、彼女かれなりの応援エールだった。

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