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【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_2

前話はコチラ!!

1章_無我-crazy in trouble-


1-4 六日前の記憶


◆二〇〇五年 六月五日 神流探偵事務所


 朝、と言うには遅い午前中。
 近くで聞こえる何者かの生活音に起こされて、ぼやけた視界で壁の時計を眺めたオレは、それだけを認識して再び眠りに就こうとした。
 が、音の主はそれを許さない。
 瞼を閉じた直後、スパン!という爽快な音と共に額に軽い衝撃が走る。
「アタシの目の前で二度寝とはいい度胸だなサカエ。お前が目を開けたのはキッチリ確認済みだぞ」
「――――ん……」
 今の一撃で流石に意識は覚醒した。
 どうやら新聞紙ではたかれたらしい。寝転がったまま、逆さまの視界で確認すると、丸めた新聞片手に呆れ顔の上司――神流玖美子の姿があった。
「よぉ……神流」
「よぉ、じゃあないよ。もう一〇時だぞ?まったく……居候の身分で主人にメシまで作らせるなんて、世界中探してもお前だけだろうさ」
 上半身をベッド代わりのソファから起こして辺りを見回すと、すぐ脇の応接卓に食パンと目玉焼きだけのシンプルな朝食が用意されていた。
 せっかく作ってくれたものを食べないわけにはいかない。昨夜脱いだままソファ脇に置いておいた靴を履き、シンクでバシャバシャと顔を洗う。
「もう少し、雇い主への労りってものを示してもらいたいわね」
 あまり期待のこもっていない願望をぼやきながら、自分の仕事机に戻る神流。そのデスクにはオレのものと同じ朝食セットに加え、一杯のコーヒーが添えられている。
 この仕事場に着いたらまずコーヒーを飲みながら新聞に目を通す――世のサラリーマンたちもやっていそうなこの一連の流れが、彼女の日課だった。
「……オレにできるのは、危険な異能を発現させた病魔発症者を黙らせることだけだろ」
「雇い主って単語を使ったアタシが悪かった、そういうシゴト上の役割とかじゃなくて。生活空間を共にする人間としてさ。例えば同じ時間に起きたとしても、ここで寝泊まりしてる境にはアタシがここに到着するまで時間的余裕があるわけで……ほら、朝メシ用意してみるとか……ね?」
「前向きに検討させていただきまーす」
 パンを頬張りながら応えるオレを見て、ハイハイそれ検討しないやつね……と神流は寂しげな笑みを浮かべていた。申し訳ないけれど、そんな時間があったらオレは少しでも惰眠を貪らせてもらう。
 基本的にオレは面倒くさいことが嫌いだ。
 同じ成果を得るにも労力が少ない方が良いし、得る価値が得るためにかかるコストと見合わないなら諦めた方が良い。
 とはいえ、何事にも例外はある。
 面倒だからとアレコレ全てを突っぱね続ければ、今の生活さえも破綻してしまうということは最低限分かっているつもりだ。
 そこで自分なりの妥協点として、メシを作るのは無理でも外出ついでの買い物くらいならまぁ、手伝ってやっても良いか……などと適当に考えておく。
「テレビ点けるぞ」
 神流からの確認に無言で頷く。
 事務所壁際、神流のデスクと反対側に鎮座するブラウン管テレビが起動し、ブランチタイム特有のニュースとバラエティが混ざった情報番組が流れ出す。
『――というのが現在の発生状況なわけですけれども、こうして見てもかない市の件数だけ突出しているのが分かりますね』
 情報コーナー担当の女性アナウンサーが、白地図の印刷された巨大フリップの前でわざとらしく驚いている。フリップには「手口不明!?止まらない行方不明者」と派手な色で見出しが付けられていた。
『ここ半年間で10人以上ですからねぇ……しかも全員が都内の若い女性ってところから、病魔との関連だって、どうしても疑ってしまいますよ。……いやいや!被害に遭われているかたが病魔を罹患しているとは一言も言ってなくてですね――』
 知識人っぽいタレントが、失言スレスレなコメントを指摘されて慌てている様が垂れ流されていた。
 見ず知らずの人間の失言なんて極めてどうでも良い。
 だというのにオレの耳は、テレビの音を注意深く拾おうとしてしまう。
 それはきっと、
「心配で気が気じゃない、って顔してるぞ境」
「…………」
 神流に言われるまでもなく。
 オレにとって最も大切なものが脅かされるかもしれない――そんな危険性を今のニュースから感じ取ったからだ。
 番組では「若い女性」と表現を丸めているけれど、恐らくほとんどは一〇代の少女なのだろう。
『――いっこうに解決の兆しが見えない現状を受け、都は特別対策本部を設置し専門家や有識者との連携を強化して事態にあたると発表しており――』
「これ、神流は関わることになるのか?」
 テレビを顎で指すと、神流はため息交じりに笑った。
「フン。まぁそのうち専門家枠でお呼びがかかるだろうな、責任の押し付け合いばかりで何も決まらない対策会議に」
「そいつはいかにも面倒臭そうだ」
「ああ面倒だよ。面倒だが、ここでキッチリ話をつけておくことで、いざアタシたちが動こうとする時はスムーズに申請が通るようになるからね。自分たちのためにも、ボイコットするわけにもいかんのさ」
 もしこの事件が本当に病魔の異能によって引き起こされているのなら、既存の組織と知識だけでは対応しきれない。
 と同時に、それらを放置することは、取返しのつかない喪失をもたらす芽の存在に気付いておきながら、それをみすみす見逃すことと同義だった。
 ああ。何事にも例外はある。
 動かないことで失うと分かっているのなら、例え明らかな面倒事が待ち構えているとしてもオレは――――

次回


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