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【長編小説】万華のイシ 無我炸裂_7

前話はコチラ!!

2章_残映-encounter-


2-1 別谷わけたにさかえの陥穽


◆二〇〇五年 六月十三日 姫毘乃女学園正門前

「くゎ…………ぁ」
 何度目になるか分からない欠伸を嚙み殺す。
 まだ手に馴染んでいない、掌大の液晶画面で時刻を確認すると、午前八時を過ぎたばかり。
 こんなに早い時間から活動しているなんて、冗談抜きで高校の時以来だ。
 その上、今身に付けている女子制服というものは着た経験が一切無い。スカーフひとつ結ぶのにも四苦八苦したし、スカートのお陰で太股の辺りがいやにスースーするというか、下半身を下着だけで闊歩しているような違和感が常につきまとっている。
 数年ぶりの早起きと慣れない衣服との格闘で心身共に疲れていれば、欠伸が止まらないのも致し方ないと言えるだろう。
「はぁ……どーしてオレは……」
 やり場の無い呪詛を空に向けて吐き出す。
 雨が降り続いた昨日と打って変わって訪れた貴重な晴れ模様も、今のオレには嫌味に思えた。

    ◇◇◇◇

 二日前。
 余計な干渉を完璧に牽制したつもりだったオレに神流が寄越してきたのは、女子高制服とその高校への潜入命令、そして現金二〇万円と携帯電話だった。
「潜入捜査って……生徒になりすませって言うのかよ」
「それ以外この制服にどんな使い道がある」
「いや、だって……オレもう高校生って歳じゃないし」
「だーいじょうぶ大丈夫、たった一年多い程度じゃ見た目に出てこないわよ。男子だったら、まぁ、髭が生え始めたりで意外とバレる可能性も無くはないが。その点お前には関係のない話だろう?」
「…………」
 制服一式と一緒に置かれた札束に視線を移す。
 これはつまり、潜入捜査を命令するための対価だ。「二〇万やるから言うことを聞け」という無言の圧力をひしひしと感じる。
「こっちは?」
「ああ、携帯か。いい加減、外での連絡手段が公衆電話だけってのも不便だと思ってね。これを機にお前にも与えることにしたのさ」
「与える?貸与じゃなくてか」
「そうだぞ。しかも利用料その他諸々は特捜課持ちだ!素晴らしいだろう?」
 何故か誇らしげに胸を張る神流。
 言葉通りに受け取れば確かに素晴らしい厚生具合だけど。
 今このタイミングに出してきた時点で、一〇〇パーセント裏の意図があるに決まっている。
 具体的には、無言の圧力の増大という形で。
「そこでどうしてため息が出る」
「見て分かる通り、呆れてんだよ。外堀を埋めるどころか、本丸の天守閣隠すレベルの壁で囲みやがって……」
「ははは。だってこうでもしないと特捜課の仕事引き受けないだろ、境」
「ちぇ、考えはお見通しってか」
 無造作に置かれた札束が全て銀行で用意された新札なことからも、神流はこの流れを予め想定していたらしいことが伺える。
 掌の上を泳がされていたのは気に入らない。
 けれど自分から提案した手前、対価の用意された話を突っ撥ねるのは筋が通らない。
 その内容だって、ある一点を除けば、オレ一人で手掛かりを探し回るよりずっと効率の良い手段アプローチだ。断る理由はほとんど無い。
 ……ある一点を除けば。
「あのさ。どうしてもコレ着なきゃダメ?」
「敷地内へ入るだけなら守衛の服装でも良いがな。その恰好で生徒に質問して回って、校内の女子から自然な回答を得られると思うか?」
 それは……難しい気がした。
 第一、守衛が校内を歩き回って女子生徒に話しかける時点で異常だ。一人目の話を聞き終える前に正規の警備員につまみ出されるのがオチだろう。
「今回、こんな回りくどいやり方を取っているのは『警察の聴取では絶対に浮上してこない情報を得る』ためなの。アタシの言わんとしてること、分かる?」
「……感覚的には」
「例えるなら、白衣高血圧を避けるために自宅で血圧測ってもらう、という話が近いか。――あれ?ピンと来ない?」
 残念ながら、と肩を竦める。
 聞いたことの無い医療用語だし、だいいち血圧の測定自体縁遠い話だ。
「若いって良いわね。でもそろそろ定期健診で測定するのが必須になるだろうから、知っておいて損は無い話よ。まぁ別に難しい話でもないのだけど……物凄く簡単にまとめれば、白衣姿の医者を目の前にして『これから測られる…!』って緊張することで本来より血圧が高く出てしまう現象が白衣高血圧。ポイントは、本人が緊張していることを「自覚していなくても」生理的に反応が出る所ね」
「医者や警察、軍属みたいに服装が統一されてて権威がある人間の前では、ヒトは無意識レベルで普段と違う反応をしてしまうってことか」
「そういうこと」
 神流は満足げに首肯する。
 なるほど、確かに警察ないし警備員から行方不明の学友について質問されて、素直に、感じたままの答えを返すかどうかは怪しい。
 権威ある職業だから、質問内容に対しては嘘の無い正直な回答が来るかもしれないけれど、逆に言えば訊かれたことにしか答えてくれない印象がある。それこそ同級生と話しているときにうっかり零れるような、何気ないヒントを得るには、目標ターゲットと同じ目線の存在として接近するのが効果的な――――――。
「あ……」
 そこまで考えて。
 否、考えてしまって。
 オレは姫毘乃女学園の制服を着て潜入調査に赴くことを、自分から肯定的に解釈してしまっていることに気付いた。

    ◇◇◇◇

次回


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