#未来のためにできること

マラソンは巡礼だった

#未来のためにできること
 友達に煽られてフルマラソンを完走したのは37歳のとき。
 趣味らしい趣味もなく仕事も熱心ではなく沢山転職したのにマラソンだけは3日坊主にならず続けてきた。体が求める刺激。確かなもとは大量に流れ落ちる汗。我慢、辛抱が大嫌いなはず。マラソンは楽ではないのにいつの間にか生活の一部になっていた。
「そーれ」
とマラソンレースにエントリーしエネルギーをぶつけてきた。
 ところが75歳を目前にしてどんどん記録が低下。「ああ、加齢の現実がこれなんのか」と愕然とした。ライバルと競い記録を目指し年代別の入賞を目標にしてきたがレース後の疲労感は半端じゃなかった。すべてのレースは自分のためだった。
 「そうだ、静走だ」
 ゆっくり走ればいいじゃないか。楽して完走すればなおさら良いと気がついた。コペルニクス的な大転換だった。淡々とマイペースで決して突っ込まず・・・。そういう走りが出来たのは6月の函館マラソン。わが古里だ。132回目のフルマラソン完走。学友にも出場を連絡したがほとんどが病気や介護に追われていることを知った。そうか、それじゃ巡礼マラソンにすればいい。同期の健康と長寿を祈りながらは走ろう!と決意してレースに臨んだ。天下の公道を使うのだから気持ちのもちようによって聖地であり、祈りの対象となる。外見では分からないが私の気持ちは穏やかで淡々とマイペースを刻むことができた。古里のマラソンは最初で最後かもしれないと思いながら、古里の発展と繁栄を祈りながら・・・。
 巡礼はマラソンだ、マラソンは巡礼だ、と気がついた。古里回帰マラソンをきっけにしてその後のレースは長短距離はいろいろあるが、私は内なる宇宙の根源に祈りを捧げる。
「どうかこの地に繁栄と豊作がありますように」
と祈りながら走るようになった。参加でその地域を盛り上げたいと思うようなった。枯れ木の一本だっていいじゃないかと。
 するとどうだろう、ラン後の疲労度も少ない。競争のためにエネルギーを余分に使わないで済むから。自分のことより人のため地域のために祈りながらレースに参加する。温暖化で高温レースも少ないがそういうときも一定ぺースで変化をつけず最後まで淡々と走り切ることが目標だ。我執が減って辿り着いた【巡礼マラソン】に価値と意義を見出し生涯ランナーとして今後十数年は走れそうな予感と希望が泉のように湧いている。

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