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教養と専門性を両立させるという結論

現代世界は学問分野や職業分野の専門分化が著しい。
ロルフ・ドベリ著『think clearly』では、44章「専門分野を持とう」で一万年前から多才であることよりも、スペシャリストであることの方が重要になっており、自分の専門分野で第一人者であることを目指そう、というアドバイスが語られる。また、軍拡競争が激しい他人のレースで勝とうとする必要はなく、ブルーオーシャン(作中では、自分のレースと表現されている)で生きよう、というアドバイスも語られる。
つまり、「自分の専門分野を持ち、その分野の第一人者になること」
    「軍拡競争を避け、ブルーオーシャンで活躍すること」
この二点がこの章で賛同した論点である。
しかし、疑問点もあった。
著者は専門知識が増える一方で、知らない知識は爆発的に増大する一方であり、脳のキャパシティーは限られているので、たくさんの知識を詰め込むのはやめよう、一般教養はもはや趣味としてしか役に立たない、という。

ここで?が付いた。確かに自分の専門分野を持つことは重要だと思う。けれど、教養を役に立つかどうかという尺度で捉えるのは違うと感じたからだ。ただ、教養ではなく、「一般教養」という味気ない言葉を使って書かれており、著者自身は、知性と才気溢れる人だから、教養には意義がないと考えているとは到底思えない。おそらく、教養を仕事の役に立つかどうかという基準で判断することに、注意を促しているのだろう。私はそう解釈した。(本来なら、本書の原書や著者の海外の記事を読んで理解をさらに万全にしたいところ)

つまり、専門性と教養は両立できるのか?

私の答えはイエスである。

「専門分野を持つことと、教養を深めることは矛盾しない」
「ジェネラリスト的な姿勢、教養を大切にしながらも、精通する専門分野を持つこと」

このニ点の結論は、ワイアード創刊編集長、K・ケリーの著作や知人のアドバイス、茂木健一郎博士の発信に今までに注目していたことなど、ベースになったアイデアに借りがある。

ここで、私自身が感銘を受けた、とある動画を紹介したい。


総合知をアティチュード(態度)として目指すという知的探求に対する揺るぎない覚悟。揺るぎない姿勢。壮絶だが、深遠な試みに挑戦する姿勢。
私は、感銘を受けた。確かにその態度を想像して美しさを感じた。ファアウスト博士のような知への狂気とも言えるほどの探究心を持った知的巨匠。(実はゲーテの『ファウスト』を読んだことはまだない。イメージである。)
ある知人は、ヴォルテールやゲーテ、デヴィッド・ヒュームのような歴史上の知的巨匠が総合知を極めたということを教えてくれた。しかし、「総合知を極めようとしたのではなく、探求した結果そうなったのだ」とも教えてくれた。
博士に賛同して、私も総合知を目指そう、とここで宣言する気は全くない。ただ、こうした考え方があること自体にとても刺激を受けたと言える。飽くなき好奇心が根本にある。

今回の記事のベースになっている書籍を以下に付す。


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