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文殊三人の知恵寄れば

凄まじいアイディアが生まれるでしょうね。
それとも、各々の意見の長所短所について延々と議論が続き、いつまでたっても答えがまとまらないのでしょうか。

気づけばアラフォーと呼ばれる年代になり、今もって正解が分からないのですが。
どうも、人間という生き物は一人で生きていくことができないようです。複数が集まり、協力して生活していくことが必要不可欠のようです。
また、人間ひとりひとり個性というものがあり、性格というものもある。得意不得意もありますね。自分が得意としていることを、苦手として困っている人に差し出す。反対に、自分が不得意なことは、それを得意とする人に助けを求める。
そうして自分も相手も、お互いを認め合い、手を取り合い。気持ちの良い、理想とする生活を実現させることのできるよう、努力していく。
「社会」というやつでしょうか。

そんな訳で本日のタイトルなのですが。人それぞれ得意不得意があり、それをお互いに補い合っていくことを原則として考えてます。ですが、ある分野で得意とする人が集まった集団って、どうなるのでしょうか。しかも、「文殊」ってくらいですから、一流のエキスパートです。
私の頭では想像することさえ難しいのですが、大成功するか大失敗するかのいずれかのような気がします。そしてその分かれ道となるのは「知恵のベクトル」がどこを向いているか、なのかなと。

同じ方向に向かっていれば、推進力はより力強くなります。さらに言えば、それぞれの文殊様のスタンスが違うと、尚良いですね。おなじ問題でも、着眼点が違うことで見えてくるものも違ってくると思います。そして、それぞれの意見を評価し、より良いものとしてブラッシュアップできれば。このパターンならば、「絵に描いた餅」を実際に作り上げることも容易な気がします。
では、バラバラの場合は?なまじ文殊様なだけあって、知識は深く正確でしょう。お互いの意見の素晴らしさを称えあうだけで、前進が遅々として進まないような気がします。「船頭多くして船山に上る」状態。見方として、ひねくれすぎでしょうか。

つまるところ、なにかをしようとする時、どれだけ優秀な人材が集まろうとも、明確なビジョンがない限りうまくいかないのだと思います。やることが決まっていないと、文殊様が三人いようが百人いようが物事は進まないでしょう。
逆に、明確なビジョンが描けているのならば、そしてそのビジョンを本気で達成したいと考えているならば、才能に劣る人の集まりでも大きな成果を上げることができると思います。元の言葉は的を射ているわけですね。

文殊様を納得させることのできる「餅の絵」を描くことができる絵描きさんがまず必要ということですね。

こういう考察は、なんだかんだ言って、結論は結局つまらないものばかりです。
「絵の文殊様、作る文殊様、広める文殊様が集まれば、どんなことでも大成功間違いなしである」

私自身は「絵の文殊様」になりたいと、日記を書いているのですが。たどり着くまでに2~3回は生まれ変わらなければならなそうです(笑)

『三人寄れば文殊の知恵』

凡人でも三人集まって相談すれば、いい知恵が出るというたとえ。

今日から役に立つ!教養の『ことわざ』 西東社 p.252


#言葉遊び #ことわざ #並べ替え #随筆 #散文 #だらだら

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