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自己紹介④(仕事経歴2)

前回より少し間が空いてしまいました。

でも、前回をタイムリーに読んでいない人は特に空いてないので、ま、いっか、、、(笑)

今回は、前回のキャリアアップの時代(前半)からの続きです。


キャリアアップの時代(後半)

前半の時代と少し違い、もっと結果が求められたりポジションや収入が付いて来る時代でした。

「キャリアアップの時代」の次は「フリーランスとして独立の時代」となるのですが、この「キャリアアップの時代後半」の期間で、事業の立ち上げと言うものを4回(4社で)経験しました。

いまにして思えば、かなり貴重な経験です。


立ち上げって何の立ち上げ?

東京都心部周辺における住宅(主に中古マンション)のリノベ再販事業です。当時は買取再販とも呼んでいました。

学びの時代を経て、目標だった東京都心部で大きな不動産売買の取引に係る仕事をすると言う活動の中で、キャリアを培う事が出来、そして事業の立ち上げを、しかも責任者として行うと言う機会に恵まれる事になります。

むしろ私自身も立ち上げにかかわる事やそれ自体が楽しく、独立開業に向けての予行演習といったところで、ノリにノッテいたのかもしれません。

そんな中(立ち上げ経験1度目から2度目の間)、人生の転機が訪れます。

結婚、マンション、転職

結婚です。
まぁ、世の人々ほど深刻に結婚と言うものを考えていなかったのですが、そんなタイミングが訪れました。

そして、仕事柄、自分でもマンションが欲しくなり、リノベーションしたくなり、物件を探していた時期でもあり、、、

キャリアと共に周囲から注目を浴びる様になり、、、

結婚・マンション購入(新築)・転職(ヘッドハンティング)を同時進行する事になります。

一言で言えば、いっぺんにやっちまった、、、
全て勢いが必要なものばかり(笑)

若気の至りと言うか、勢いと言うか、暴走と言うか、、、、🤭

そして、その後見返りとして、2週間程のお休みを頂くはめになります、、、詳細は察してください😭

リーマンショック

そして、2度目の大きな出来事。
答えは、上の見出しにありますが、3回目の事業立ち上げを行っている最中に起こります。

この頃は、既に不動産市場において、買取再販業はリノベーションと名を変えてポジションを得た一つの市場(事業)となっており、参入業者も様々で、競業業者が雨後の筍の如く出入りが激しくなっていました。

そんな中、少しでも他社と差別化を図るべく、特徴的な物件を扱ったり、スタイリッシュな、個性的なリノベーションを行ったりと試行錯誤する中で、私が選択したポジションは「億ション・高級住宅地・都心」でした。

そして、1億円台も実績を積み、2億円台の領域にチャレンジをしている頃でした。

(いまでは、都心で10億円などといったタワマンや高級マンションも珍しくなく数億円も普通と言う感覚でしょうが、当時は違いました。)

約2,000万円かけたデザイナーを起用したリノベーションで都心の高級住宅地にあるヴィンテージ高級マンションを2億円台で販売をしていたその時、やつがやって来ました。

2008年の夏でした。
その名もリーマンショック

一気に市場が冷え込んだ感じがしました。
その後しばらくは、停滞感があった事を覚えています。
この時にいくつもあったディベロッパー、分譲業者、再販業者などが市場から消えていきました。

結果的には、当時の販売物件は全て売り切る事が出来ましたが、当時の在籍していた会社はリノベーション事業、再販事業を終了・撤退する事になりました。

3度目のショック

リーマンショック含め、それまでもいろいろありましたが、それでも、私の東京都心部における不動産売買活動の熱が冷める事はありませんでした。

かなり、中古マンションやリノベーションと言った分野での経験を積み重ねてくる事が出来ましたので、次は違う業態や職種も面白いなと模索しておりました。

そして、次なるポジションは、、、

中古マンションのリノベーション再販事業の立ち上げでした。

もう真っ先にそれを求められる程のキャリアになったのかと改めて自覚する事となりました。

とにかく、リーマンショックで途中退場になった感もありましたので、一刻も早く市場復帰しながら新たな展開を見つけても良いなと思い、次のフィールドに進みました。

そして、リノベ再販事業の立ち上げと言う部分は変わらないものの、久々に仕入れ企画だけでなく、一般顧客向け営業にも携わる事となり、社内における不動産売買全体を見るナンバー2のポジションにつく事になりました。

久々の一般顧客向け営業活動を行う中で手ごたえを感じながら活動していたその最中に、あいつがやってきました、

3・11 東日本大震災です。

そう、3度目のショックとはこの大震災の事です。

当時の光景はいまでも頭に焼き付いています。

青山にいました。
地震と同時に周囲のビルからも人々があふれ出てきて、周囲のタワマンや高層ビルが免震構造の為か、ガタガタと音を立てながら揺れている光景は、かなりの恐怖だった事を覚えています。

会社のスタッフみんなで、交通麻痺した都心の道を歩きながら自宅まで帰宅しました。
あの時は、都心住まいで良かったと思いました。

しかし、そう思えたのは、その時だけでした。

当時は、今度は東京に直下型地震が近いうちにやって来るなどと言う話もあり、真剣にマンションの買い換えや売却も検討し始めました。

結果的には、この翌年、自宅マンションを売却しました。

そして、それよりも何よりも、この出来事が、仕事においても、人生観においても、私の価値観を大きく変える事になるのです。

それは、「実家がなくなってしまう!」

その当時の感情はなんとも表現しにくいのです。
ただ、テレビなどの映像で災害などで被害を受けた人達を見て、大変だねなんて思ったり、言っている事がいかにチープな事か思えました。

あの不安感や緊迫感や恐怖などと言った感情は、当事者にしかわからないものだと思います。
もう軽々しく、「大変だね・分かるよ」みたいな事は言わない様にしようとすら思いました。

説明が後になりました。
そう、私の実家のある故郷は福島県。
震災で避難した人たちが押し寄せた、隣接する県内主要都市のいわき市です。しかも、弟の誕生日が3月11日だったりします。

結果的には、家族や身内親戚で大きな被害を被った人は幸いにもいなかったので良かったのですが。

この切実な出来事が、私の仕事観、人生観にどんな影響を与え、どの様に変わったのか。

まずは、仕事観の変化から。

ヴィンテージマンション、タワマン

何を言いたいか、この見出しで理解して頂ける方は同士です!
きっと、同じ価値観のもとで仕事をご一緒出来るのではと期待してしまいます。

当時、リノベ再販などの事業活動を行なっていたと言う事は既出の通りですが、活動していたのは、千代田区、港区、渋谷区などを中心とした都心部。

そんな都心部で扱うリノベ向きの物件のほとんどは、旧耐震などの築古マンション。
そして、その旧耐震のマンションがいつしか、ヴィンテージマンションと名を変えていった。

ヴィンテージマンションと命名した当事者の1人とも話した事がありますが、いつしか何でかんでもヴィンテージと言い出し、言葉だけが一人歩きを始めた。

そんな事を感じる中での大震災。

震災後半年ほどは自粛ムードもあってか、息を潜める様に何の問い合わせもなく、動きも感じる事が出来ずにいましたが、、、

いつしか、また競う様に不動産市場が盛り返しました。しかし、盛り返すのは良いのですが、そこで、価値観がまるで変わった私は置いてけぼりをくらう様な感覚に陥ります。

ヴィンテージマンションにお住まいの方が、それを売って湾岸のタワマンに住み替えたいと言うのです。しかも、そのヴィンテージマンションは益々の値上がりの様相です。

「不動産、特に住宅に求められるのは、まず第一に安心安全でなければならない。」

そのポリシーを掲げはじめた私にとっては、とても衝撃的な事でした。

受け入れられないとか言うよりも、「この人は一体何を言っているんだ!?」と言う感覚に近かったと思います。

「何も教訓として学んでいないのか?」と、、、

正直本音を言うと、
「お前はバカか!?」とすら、心の中で、そんな感情が芽生えた事を覚えています。

見下すとまではいきませんが、あんなに大きな衝撃的な出来事があり、住宅に関する意識や方向性が変わりつつある世の中で、もう忘れてしまったのかと少し悲しいと言うか、距離感を感じ始めました。

そして、このまま今までと同じ様なアドバイス・提案の営業を続けていて良いのかと、、、

会社としては、お客様がそれで良いと言うのなら、わざわざ売上の機会を逃す事はないと言うスタンスです。

まぁ、当たり前と言うかそう言う会社がほとんどなのかも知れませんが、私は違いました。

この頃より、独立と言うものがさらにリアル感を増して来ました。

風水、スピリチュアル、世界経済、政治、陰謀論

次に、人生観の変化について書いていきたいと思うのですが、少し雰囲気がガラッと変わりそうな感じの見出しにどうか引かないでください(笑)

少し、多岐にわたるので、各項目別に書きたいと思います。

#風水 、#スピリチュアル、#地学、歴史
#別荘 、#多拠点生活、#自活力
#不動産相場 、#世界経済、#ビジネス書
#政治経済 、#陰謀論

そして、ここから個別にそれぞれ書いていきたいと言うところですが、またもや長くなってしまった様なので、、、

申し訳ありませんが、今回はここまで。

今回で、キャリアアップ時代後半を書き終えるつもりでしたが、次回まで持ち越しと言う事で、、、

ここまでお読み頂きありがとうございました。
それでは。

次回へつづく




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