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【Management Talk】「ブランドとは、<願い>である」テクノロジーで人材業界に変革をもたらす最先端企業の哲学

株式会社ビズリーチ 南壮一郎

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年の創立20周年に合わせて、対談企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺っていきます。
第20回のゲストは、株式会社ビズリーチの創業者で代表取締役社長の南壮一郎氏です。ITの力で人材業界を席巻し、来年10周年を迎えるビズリーチ。その成長の背景にある哲学、そして、南氏が見つめる過去、現在、未来とは?

株式会社ビズリーチ
「インターネットの力で、世の中の選択肢と可能性を広げていく」をミッションとし、2009年4月より、人材領域を中心としたインターネットサービスを運営するHRテック・ベンチャー。東京本社のほか、大阪、名古屋、福岡、シンガポールに拠点を持ち、従業員数は1,306名(2018年11月現在)。即戦力人材と企業をつなぐ転職サイト「ビズリーチ」や、挑戦する20代の転職サイト「キャリトレ」、AI技術を活用した戦略人事クラウド「HRMOS(ハーモス)」、求人検索エンジン「スタンバイ」、事業承継M&Aプラットフォーム「ビズリーチ・サクシード」などを展開。
参照URL:https://www.bizreach.co.jp/


最初は常にマイノリティだった学生時代


別所:南社長と僕は、出身が同じで、静岡県なんですよね。僕は高校を卒業するまで静岡でしたけど、南さんの場合は幼い頃から海外経験が豊富だったと伺っています。最初に、ビズリーチ創業前までのご自身の人生を、学生時代を中心に振り返ってお話しいただけますか?

南:まず、自分自身の大きな特徴として挙げられるのは、帰国子女でもわりと珍しく、日本と海外を行き来していたことだと思います。幼稚園児だった6歳の頃、父親の仕事の都合で、磐田市からカナダに引っ越して、中学1年生の終わりに帰国。中高は、静岡県の公立に通いました。そして、大学は、アメリカの東海岸の全寮制の学校でした。そのような学生時代において、私にとって一番大きかったのは、常にマイノリティだったということです。

別所:マイノリティだった。

南:小学校は、父親の方針もあって、日本人学校ではなくトロントの現地校に通ったため、同じ学年にアジア人は一人もいませんでした。その後、日本に戻って、中学校に入学したときには、外見は日本人ですけど、内面は完全に外国人で……どうして体操服に名前とシリアルナンバーがついているの? と母親に訊ねたほどでした(笑)。周囲の反対を押し切って進学したアメリカの大学でも同様で、はじめの頃は英語も通用しなかったですし、学食でも端っこの方にしか居場所がなかったんです。

別所:何度もチャレンジングな環境に……。

南:そうしたなかで、私は毎回、どうしたら自分が、新しい環境でも自分らしくいることができるのかを考えてきました。そして、実績を積み上げながら、自分を「ブランディング」していったわけです。私は、「行動が優先順位を表す」という言葉が好きなんですけど、行動が伴えば、自分らしい姿になれるということをその頃に学んだ。だから、大学を卒業するまでの二十二年間には本当に感謝しています。

別所:アイデンティティ・クライシスを学生時代に幾度もくぐり抜けるなかで成功体験を積み重ねていかれたんですね。僕自身も大学を卒業後、俳優としてアメリカに渡ったときに、南さんと同じような経験をしました。なんでも自分から行動しなければならない、という文化に大きなショックを受けたことをいまでも覚えています。それで、南さんは、大学を卒業してからはどのようなキャリアを?


日本人の志がもっと解放されるようなサービスを


南:日本に戻って外資系金融機関に就職し、四年間金融業界を経験しました。そして、その後、プロ野球チームの立ち上げという歴史を描写するような仕事に携われることになったわけです。「事業を通じて世の中を変えていける」と心から実感できる仕事でした。だって、仙台の街の色が、球団のカラーにどんどん染まっていくんですよ……それが、ビズリーチ創業前の原体験だったように思います。

別所:その話だけでも何時間もお伺いできそうですが(笑)、今日はその先をお伺いできればと思います。ビズリーチを立ち上げたのは、どのようなきっかけだったんでしょうか?

南:楽天野球団で働いていた頃、親会社からの出向メンバーもいたので、「ITが世の中をどう変えているのか」という情報が必然的に入ってきていました。それで興味を持っていて、「IT×何」を次の自分の仕事にしたら面白いだろう? とずっと考えていたんです。そして、答えは、自分の足元にあった。つまり、私は、投資銀行、投資会社を経てプロ野球チームで働くという、比較的、珍しいキャリアを作りながら、最初の十年間を過ごし、働くことの素晴らしさを感じていたわけです。

別所:そうでしたね。

南:しかし、一方で、周囲を見渡したときに、日本社会の働き方を、すごく不思議に思っていました。私は、みんながもっと未来志向でキャリアを考えられたら、会社をうまく活用しながら時間や労力を自分自身に投資して、より豊かなキャリアを歩めるのに、と漠然と感じていたわけです。それで、日本人のクリエイティビティや感性、情熱、志がもっと解放されるような仕組みを作れないだろうか、と。そう考えていたときに、たまたま現在のビズリーチに近しいビジネスモデルが、当時のアメリカに存在していることを知り、今後、同様のサービスが日本でも求められるようになるだろうと思ったんです。そして、自分でやろう、と決意した。もともとは、起業するつもりはなかったのですけどね。

別所:無ければ、作ってしまおうと。

南:ええ。また、私自身が転職活動をしていたときに、「どうしたら、自分の行動が合理化されて、より選択肢と可能性が広がるのだろう?」と考えていたという個人的な経験も、ビズリーチの根っこになったのだと思います。まさに自分のような人間をターゲットユーザーとして想定していたので。


世代を代表する企業に


別所:立ち上げ期はどのような状況だったんですか?

南:入口が一番苦労しました。創業したのは2009年4月。つまり、リーマンショック直後です。その時期には、求人なんてわずかでしたし、そもそも、「雇用を流動化する」「仕事の選択肢を広げていく」といった軸のサービスはなかなか普及しにくい環境でした。しかも、景気が悪かったので、ベンチャー投資に積極的な企業も少なかった。さらに、自分自身が、働き方やHRはもちろん、ITビジネスの経験も無い人間だったという……。

別所:そうした厳しい状況にどのように立ち向かっていったのでしょう?

南:最初の一年間はとにかく仲間集めに注力しました。ただ、正社員としてリスクをとって働いてもらうのは、僕自身も危険だと思っていたので、ほとんどの創業メンバーには、はじめ、副業や兼業という形で参加してもらっていました。つまり、ビズリーチは、最初からチームで経営していた会社なんですね。表向きは「株式会社ビズリーチ=南壮一郎」と見られがちなんですが、実は、スタート時点からそんなことは全くなかった。むしろ、私以外の創業メンバーが、この事業をつくるうえでのスキルや知識を備えていたわけです。

別所:創業当初からチームで。そして、会社はどんどん成長していくわけですが、その後、転機となったような出来事はありましたか?

南:もっとも大きな転機の一つとして挙げられるは、いまから3,4年前に、ビズリーチという一つの会社のなかに、二つのカンパニーを作ったことです。それで、ビズリーチ事業をはじめとした既存事業については、当時三十代前半だった若い経営陣にすべてを任せた。そして、私を含めた創業メンバーは、新しくインキュベーションカンパニーを立ち上げ、再びゼロから新規事業を作っていくという挑戦をはじめたんです。

別所:どうしてそんな大胆な挑戦を?

南:ちょうどその時期、「この会社が今後どうありたいのか」を考えていたんです。それでまず、私たちより一回り程上の世代、つまり2000年前後創業の会社でいう、ヤフーさんや楽天さん、サイバーエージェントさん、DeNAさんのように、私たちも、2010年前後生まれで世代を代表する企業になることを目指そうと決めたわけです。それで、「自分たちのなりたい姿」を突き詰めていった結果、それは、社長ができる能力のある人間を何十人も育て、かつ、そういう人間がどんどん入社してくるような会社になることだ、と。そうなることで、時代をより克明に描写できるような事業が実現できるだろうと考えた。だから、その目標から逆算して、ビズリーチ事業の一本足打法からの脱却をはかり、多事業化に舵を切ったわけです。


技術が産業や社会を再定義する


別所:そして、既存事業と新規事業を拡大していったと。そうした御社の強みはどこにあるのでしょうか?

南:私たちのコアバリューはやはり、テクノロジーを活用しているところでしょう。ビズリーチが提供する仕組みというのは、求職者と求人企業の間のすべての情報を可視化するデジタルな取引場を作ったということなんですね。それは、流通小売業界で、アマゾンや楽天が起こしたイノベーションと同じことです。

別所:売り手と買い手を直接つなげるという。

南:そうなんです。そしてさらに、私たちが、ここから先見据えているのが、採用した後の世界です。テクノロジーを使って、どのように生産性を高めていけるか。結局、イギリスの産業革命しかり、国や時代のどこをスライスしても、必ずと言っていいほど、技術が産業や社会を再定義しているんです。映画の世界だって例外では無いと思います。いま、撮影機材は昔と全然違うでしょう。それに、ビッグデータやAIの力だって無視できない。たとえば、近年様々な賞で話題をさらっているアマゾンは、どういう映画に人気が集まるのかという傾向を、自社が保有する膨大なデータから解析しているんだと思うんですよね。

別所:おっしゃる通りです。映画の世界でも、VRやAIといった技術がイノベーションを起こす。そのうちAIが脚本を書いて、監督もAI、という時代がくるかもしれません。ひょっとしたら俳優だっていらなくなるかもしれない(笑)。

南:そこはきっとなくならないとは思うんですけどね(笑)。
結局、技術が進歩しても、映画であれば、「面白い作品を観たい」という本質、つまり、求められるバリュー自体は変わっていません。であれば、変わるのは、バリューチェーンだけで、そのバリューチェーンを変えるのが、技術なんですよね。それはどの業界でも同じ。だからこそ、私たちは、テクノロジーに徹底的に投資しているわけなんですね。

別所:よくわかります。そして、「ブランディング」へのアプローチもまた、技術によって変わってくるのだと思います。僕たちは、ショートフィルムを活用した動画マーケティング、ブランディングを手がけているわけですが、南社長は、そのあたりについて、どのようにお考えですか?

南:そもそも「ブランディング」自体が難しい言葉ですよね。私は、「ブランドという概念をどう定義しますか?」と尋ねられたら、「願い」と答えるのかもしれません。つまり、企業や個人の、「どうありたい」「どうなりたい」「どう見られたい」といった願いが、ブランドそのものだと思っていて。

別所:素晴らしいお考えですね。

南:ただ、どの企業も悩んでいると思うんですけど、「願い」って定量化しづらいし、要素分解するのも難しいわけです。一方で、ブランディングをマーケティングのなかの一つのキーワードだと捉えるならば、インターネットの世界においては、マーケティングはどんどん定量化されていっています。ビズリーチ自身が得意中の得意の分野でもあるんですけど、その費用対効果は、ピンポイントで特定できてしまう。そのなかで、インターネット上の動画は、新しい領域と言えるものですから、作り手がきちんと育成され、クライアント企業に高いROIを提供できるようになるのであれば、きっとここから先、面白いでしょうね。


さまざまな働き方のピラミッドの頂点を可視化


別所:実際に高い効果を発揮している動画も既に多数ありますし、我々としてもその部分は、大いに知恵を絞っているところです。それでは最後に、御社が見つめるHRや働き方の未来についてお伺いできますでしょうか?

南:まず、日本人の勤勉な国民性は、今後ますます大切になってくるでしょう。そのうえで、今後、主体性や能動性を持って行動したプロフェッショナルによる多様な働き方が、ロールモデルとして社会に明確に提示されていけば、日本の若者たちもそこを目指すようになると思います。従来の、大きな会社に新卒で入社し、定年まで勤め上げるというわかりやすいロールモデルが悪いとは思いません。ただ、それも含めて、さまざまな働き方のピラミッドの頂点が可視化されていけば、もっと多様な社会が実現されるのではないでしょうか。

別所:そして、御社はいよいよ来年10周年を迎えます。

南:私は、この会社の本当の創業期は次の10年だと思っていて。これまでみんなと一緒に作ってきた10年間の礎を活かして、次の10年で、仲間たちとともに、何百年も続くような事業やサービス、もしくは、考え方や価値観、文化をつくっていきたい。そして、その大きな願いや夢を次の世代にバトンタッチしていくことが、創業者としての私の一番大きな役割かなと思っています。

別所:ありがとうございました。



(2018.9.26)



南壮一郎(みなみそういちろう)

1999年、米・タフツ大学を卒業後、モルガン・スタンレー証券株式会社入社。東京支店の投資銀行部においてM&Aアドバイザリー業務に従事。2004年、楽天イーグルスの創業メンバーとなる。2009年に株式会社ビズリーチを創業。「HRテック(HR×Technology)」の領域で、未来の働き方や経営を支える事業を次々と展開し、日本経済の生産性向上に取り組む。
2014年、世界経済フォーラム(ダボス会議)の「ヤング・グローバル・リーダーズ2014」に選出。2015年、日経ビジネスが選ぶ「次世代を創る100人」に選出。