【Management Talk】「ピンチをチャンスにして逆境を乗り越える」IT・金融ツールで社会の価値を創造する革命企業の辿ってきた道
株式会社 ティーケーピー 代表取締役社長 河野貴輝
一物一価ではない
別所:河野社長とは先日とあるメディアのパーティでお会いしました。すごい偶然で驚きましたね。
河野:ええ、この対談が決まったすぐ後だったので驚きました(笑)。
別所:本日はぜひ色々なお話をお伺いできればと思います。はじめに、TKPさんの事業について教えてください。
河野:TKPは貸会議室の事業からはじまっています。会社立ち上げのきっかけは、取り壊しの決まったビルを安く借りて、取り壊されるまでの間、会議室として時間貸ししようと考えたことでした。第1号店は六本木のビルでした。そして、そのあと目をつけたのが結婚式場です。土日しか需要の無かった結婚式場を平日に借りて、会議室として時間貸しするわけです。これは、無料で借りて売上があがったらTKPと式場で折半というビジネスモデルだったので元手がかかりませんでした。
別所:素晴らしいビジネスセンス。そうしたアイデアにはどのようにたどり着いたのでしょう? 起業前は商社にお勤めでしたよね。
河野:はい。別所さんと同じ慶應大学を卒業した後、新卒で伊藤忠商事に入社しました。為替証券部に配属され、ディーラーとして、為替や債券、株の先物やオプションの取引を担当していたんです。そこで身につけた、「一物一価ではない」という金融的な考え方がTKP誕生に大きな影響を与えています。
別所:どういうことでしょう?
河野:ご存知の通り、同じ商品であっても、現物価格と先物価格には差がありますよね。しかも、先物価格は、限月(取引できる期限の月)に向かってどんどん変動していく。ディーラーはそれを利用して利ざやを稼ぐわけですが、TKPの商売はその応用と言えるものです。もっとわかりやすい例を挙げると、たとえば、賞味期限が明日のペットボトル飲料があったとしたら、売る側は定価より安くても今日中に売ってしまいたいでしょう。明日になると商品価値が無くなるうえ、廃棄料までかかってしまうから。私たちのビジネスの考え方は、それを安く仕入れて、コップに分けて氷を入れるなどの工夫をして今日中に安く売ろう、というものなんです。
別所:わかりやすい。まさにディーラーとしての経験を種に、貸会議室のビジネルモデルにたどり着いたわけですね。
河野:ええ。そして、もう一つ活きた経験があります。私は、伊藤忠商事の社内ベンチャーで、日本オンライン証券(現・auカブコム証券)」の設立に関わりました。また、伊藤忠商事を退職後、イーバンク銀行(現・楽天銀行)というネットバンクの立ち上げにも参加しました。そこで得たのが、インターネットで個人のお客さんを集客するノウハウです。TKPのビジネスはそれをBtoB、つまり、企業の集客に応用したものです。かつて企業が貸会議室を探すときには、旅行代理店に依頼したり、ハローページで探したりといった手法が主流でした。私はインターネットでそれができる仕組みを構築したわけです。
別所:2005年の創業時点でネット社会を見据えていたんですね。そのあと世の中がどんどん追いついてきて、TKPさんのビジネスはぐんぐん発展していったんですよね。
河野:創業した2005年8月の売上は50万円でした。そこからぐっと伸びて、コロナ前の2019年には1ヶ月の売上が50億円を超えました。その差なんと1万倍です(笑)。
別所:すごい(笑)。振り返ってみるとターニングポイントはどんなところにあったでしょうか?
ピンチをチャンスに
河野:大きく三つあります。一つ目はリーマンショック、二つ目が東日本大震災、三つ目がコロナ禍です。2008年のリーマンショックの時は創業3年目でした。当時、資本金が数千万円しかないなか、一ヶ月あたり一億円の赤字が出るようになってしまったんです。リーマンショック直前は売上が一ヶ月4億円ほどあって、そのために家賃だけで2億円かかっていたので、売上が1億円に減ってしまったら、家賃だけで1億円の赤字なんです。人件費入れずに1億の赤字ですよ。しかも、そんなときになって、VCからの株の買い戻し請求が立て続けにきてしまって……。当時、上場の申請まで終わっていたんですけど、取り下げました。まさに踏んだり蹴ったりの時期でしたね。
別所:その逆境をどうやって乗り越えたんですか?
河野:ピンチをチャンスと捉えるしかないですよね。まずは、家賃を下げるチャンスだと考えて、私が不動産仕入部長を兼任して、自らオーナーと直接交渉しました。リーマンショックで不動産価格が半分まで下がっているから家賃を半分とまではいかなくても4割下げてください、と。結果的に、2億円あった家賃のうちの4割分、8000万円安くすることができました。
別所:すごい交渉力……。
河野:さらに、私は営業部長も兼任しました。そして、客層を広げるため値段を下げて、試験会場や研修会場として使ってもらえるようにしたんです。すると、お客さんの数が二倍になった。単価は3割程下がったものの、売上は1.5倍になりました。
別所:まさにピンチをチャンスにして新規の顧客開拓ができたと。
河野:ええ。そして、株をVCから買い戻すこともできたので、自分の持株比率も上げられたわけです。今から考えると、リーマンショック前にギリギリ上場できていたら今頃大変なことになっていたと思います。人生わからないものですね。
別所:深いですね。
河野:二つ目は2011年の東日本大震災のときです。当時は、リーマンショックの教訓を活かして事業を見直したことで、乗り切ることができました。また、他社さんが運営していた各地のホテルの宴会場やバンケットホールが壊滅的な状況に陥ったことで、私たちが参入する余地が生まれました。それまで単なる貸会議室だったTKPが、ホテルの宴会場や厨房を手がけることになったわけです。さらに、会議室に料理をケータリングできるようにもなったことで、客単価が上がって業績も急拡大しました。単なるスペース貸しから「こと貸し」に進化できた大きな転機でした。さらに、企業が保養所や研修センターを売却するという世の中の流れになりましたので、私たちが買い取って企業用のホテルやリゾートホテルにして運営をはじめました。
別所:まさに再生事業ですね。社会を活性化するために本当に大切なことだと思います。上場されたのはその後ですが、ここはどういうタイミングだったのですか?
河野:2017年3月に上場しました。業績は順調でしたが、色々な買収工作に遭いまして(笑)。だから、出すぎる杭になるしかないなと(笑)。どこかの傘下になりたくなかったんです。
別所:なるほど。
河野:その後、2018年、2019年も順調でした。むしろ順調過ぎて、燃え尽き症候群のようになってしまって、私は人生がつまらなくなってしまったんですね。
別所:そんなときにコロナ禍になって……。
河野:ええ。ですからコロナ禍は、もう一度頑張って一から会社を作るんだと気合いが入るきっかけになりました。三つ目のターニングポイントです。そして、コロナ禍を乗り越えられたことで、さらに一皮剥けたと自負しています。
既存の慣習を壊したい
別所:非常に勉強になります。そして続いて本日は、マーケティング、ブランディングについてのお話もお伺いできればと思っています。TKPさんと言えば赤いロゴが印象的ですが、そこにはどのような思いを込められているんでしょうか?
河野:実は、私は『レ・ミゼラブル』の大ファンでして、映画も舞台も大好きなんです。別所さんは舞台でジャン・バルジャンを演じておられましたよね。
別所:お! 『レ・ミゼラブル』ですか!
河野:ロンドンでも何度も観ていますし、日本でも毎年のように帝国劇場に足を運んでいます。私は、やっぱりフランス革命が好きなんですね。実はこの赤いロゴも、ドラクロワが描いた「民衆を導く自由の女神」をイメージしています。フランス革命って既存の慣習を全部壊していったわけじゃないですか。私はそこに憧れていて、伊藤忠商事時代にネット証券の立ち上げに関わったのも、インターネットで株の個人売買ができるようにしたいと考えたからですし、ネット銀行の立ち上げに至っては、銀行ATMや支店に行かなくても、貯蓄や決済ができる良い世界を作ろうというものでした。
別所:いいですね。赤いロゴは、街のあちこちで見かけますよね。視認性もいい。そこに込めた河野社長の思いは社内外に向けてどのように発信していますか?
河野:まず、社員証にTKPの目標として「IT・金融ツールを活用して社会の価値を創造する革命企業」と記載し、常に意識づけを行なっています。ITはインターネットを活用した集客力を指し、金融ツールは、先ほどお話ししたアービトラージや、最近では、M&Aや事業投資を総称しています。
別所:なるほど。では、社外に向けてはいかがでしょう? 実は僕たちの映画祭では、企業のブランディング動画をフィーチャーするBranded Shortsという部門を設けていたり、僕たち自身がブランデッドムービーの製作をしていたりもします。TKPさんのインナーコミュニケーションや外部への発信において今後映画祭と接点があればぜひご一緒できたら嬉しいなと思っていました。
河野:接点は色々ありそうですよね。まずは映画祭の会場という面でサポートできることがあるかもしれません。TKPは、たとえば、幕張に2,000名規模の宴会場を保有していますし、福岡では天神駅直結のビルにエルガーラホールという劇場も持っています。そこをうまく活用いただくのはよい気がします。
別所:いいですね。今後、御社としては、場を活かしたパーティやイベント開発といった人と人をつなぐビジネスも考えていらっしゃるんですか?
河野:そうですね。TKPとしては現在、会場という川上と、そこを使っていただくお客さんという川下の両方を押さえられている状態なので、川上的な中身、オリジナルのコンテンツには大きな興味を持っています。
別所:ぜひよい形でご一緒できるといいなと思います。また、きっとTKPさんのサービスを使っているお客さんのなかにも色々な物語がありますよね。そういう物語をブランドコミュニケーションの手段としてショートフィルム化するお手伝いもできたら嬉しいです。
河野:動画もいいですね。きっと別所さんと映画祭のチームなら、単なる企業紹介や社員教育のビデオではなくて、もっと活きた内容のものをわかりやすく作ることができるでしょう。そういう動画制作の仕組みを作ったらきっと面白いですよ。費用もクオリティも松竹梅で分けたり、サブスクモデルにしたりして。
観光資産を発掘して再生
別所:面白いですね。ぜひまたご相談させてください。それでは、TKPがこれから向かう先について教えていただけますでしょうか。
河野:これまでのようにひたすら成長を目指すというよりは、いったん成熟したところからもう一度ブルーオーシャンを探していくというフェーズになってくると思います。ですので、これまでの集大成としてここから先のビジネスに取り組んでいきたい。具体的には、都市部だけではなくて、日本各地に埋もれている貴重な固有財産を再生していくビジネスに打って出る予定です。やはり「観光立国」というのは日本の次なるキーワードですから。観光立国になるためには、各地域がオリジナルコンテンツを持って勝負しなければならない。そのためには、観光資産を発掘して再生する必要があります。いまTKPでは、大分県別府市で、上人ヶ浜公園の整備運営事業を行っています。2024年2月に着工して2025年に完成する予定ですが、たとえば、砂風呂を大きくしたり、営業時間を伸ばしたり、宿泊施設を作るなど、みんなが集いやすい場所にすることを強く意識しています。
別所:そういったソフトの再生事業、地方創生事業も手掛けていらっしゃるんですね。素晴らしい。そして、大分といえば、河野社長のご出身地ですが、サッカーの大分トリニータと河野社長、TKPさんの関係についてもお伺いさせてください。スポンサーという立場にとどまらず、資本提携もされているんですよね?
河野:ええ。もともとのきっかけは、私の従姉妹の息子が大分トリニータの選手だったことなんです(笑)。
別所:すごい(笑)。そういうつながりだったんですか。
河野:だから試合をよく観に行っていたんです。その縁もあって、最初は看板等のスポンサーをしていたんですが、色々あって2009年にトリニータが経営破綻してしまったんですね。それで、企業再生ファンドから出資を受けたものの、その株を地元企業だけで買い戻すのが難しくなってしまって……そのときに、大分県出身ということで私に話がきたわけです。それで、2019年に出資したという経緯です。
別所:よくご英断されましたね。地元のヒーローでしょう。その後、大分トリニータはどうですか?
河野:経営的には盛り返して2023年は黒字になりました。ただ、2021年は、コロナ禍で無観客試合だったので大変で、しかも、J2に降格してしまって……悲惨な状況でした。さらに、2022年は資金不足で増資が必要でしたが、コロナ禍の影響でTKPが銀行管理下に置かれていたので、TKPが出資することはできませんでした。だから、その時は私が個人資産から出しました。
別所:すごい。
河野:それでようやく2023年は黒字になったのでまずは一安心しています。あとは、チームの成績ですね。来季は、かつてチームをJ3からJ1にまで導いた名将・片野坂監督が復帰します。なんとか頑張って再びJ1に昇格してほしいと願っていますし、引き続き最大限応援していきたいと思っています。
(2023.12.22)
【河野貴輝】
1996年慶應義塾大学商学部卒業後、伊藤忠商事株式会社為替証券部を経て、日本オンライン証券株式会社(現auカブコム証券株式会社)設立に参画、 イーバンク銀行株式会社(現楽天銀行株式会社)執行役員営業本部長等を歴任。
2005年8月当社設立、代表取締役社長就任、現在に至る。