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【Management Talk】「モノの前にコトを売り、コトを売る前に人を売る」日本最大級の総合楽器店が現在も大切にする創業者から受け継いだ言葉

島村楽器株式会社 代表取締役社長 廣瀬利明

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年の創立20周年に合わせて、対談企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺っていきます。
第47回のゲストは、島村楽器株式会社 代表取締役社長 廣瀬利明さんです。銀行からMBA留学を経て日本最大級の総合楽器店のトップに就任した廣瀬さん。島村楽器の歴史や理念、ブランド、そして目指す未来についてじっくりお話しいただきました。


島村楽器株式会社
島村楽器は「音楽の楽しさを提供し、音楽を楽しむ人を一人でも多く創る」という経営理念のもと、全国39都道府県に180以上の楽器販売店舗・音楽教室を展開する、国内最大の総合楽器店(※)です。
※引用元:The Music Trades誌「Top Global Dealers Report」
事業領域として「楽器プレイヤーのトータルサポート」を掲げ、楽器販売と音楽教室の2事業を主軸としながら、長く演奏していると必要になる楽器修理、体験や演奏発表の場としてのイベント・コンサートの企画・実施、気兼ねなく練習できるスタジオ運営も行っています。

じゃあ、島村楽器で経営者をやればいいじゃないか

別所:廣瀬社長とは今日が初対面ですが、実は色々なご縁があります。年齢は僕のほうがだいぶ上ですが(笑)、同じ慶應の法学部で、しかも、E.S.S.(English Speaking Society)にいらっしゃったんですよね。

廣瀬:はい。私は別所さんのように演劇ではなくディスカッションセクションの所属でしたが、一年生の時だけ演劇セクションで大道具の担当もしていました。高校生のときに一年間アメリカに留学していまして、将来は商社マンや海外で仕事をするビジネスマンになりたいと思っていたんです。あとは、高校までずっと運動部だったので、私にとっての夏休みは練習漬けの日々というイメージで……大学生になってまで夏に練習したくない、と(笑)。それでE.S.S.に入ったわけです。

別所:経緯がまったく同じですね。僕も中高の6年間バレーボール部だったので、さすがに大学では部活はやめておこうと(笑)。腹筋やランニングといったトレーニングもあって、英語も学べる英語劇を選びました。

廣瀬:でも、入ってみたら毎日練習で、あれ、こんなはずじゃなかったのに、となって(笑)。

別所:文化系サークルの中の体育会と言われるほどですから、勉強よりもサークル活動に忙しい大学生活でした(笑)。卒業後は銀行に就職されたんですよね?

廣瀬:新卒で日本輸出入銀行(現・国際協力銀行)に入行しました。学生時代、サークルの合間を縫ってバックパックで海外旅行したときに、日本の政府開発援助(ODA)で造られた橋を見たりして、なにか形に残る仕事がしたいと思っていたんです。それに、金融にも興味があったのでぴったりでした。

別所:実はそこでもご縁があって、慶應のE.S.S.のOBがいたんですよね。しかも僕の同期(笑)。銀行には何年間いらっしゃったんですか?

廣瀬:5年間勤めました。

別所:その後、島村楽器に入社された経緯も教えていただければと思います。

廣瀬:島村楽器は、私の妻の父親である島村元紹が1962年に創業した会社です。私自身は元々楽器を演奏する趣味は無かったですし、妻と結婚するときも会社を継ぐ話は一切出ませんでした。ところが、結婚後、入行4年目のときにMBAをとる準備をしていたら、義父から「MBAをとるということは経営者になりたいんだよね」と言われて、「じゃあ、島村楽器で経営者をやればいいじゃないか」と誘われたんです。それまでは想像すらしていませんでした。MBAをとったら、NYやロンドンの国際金融市場で働こうと考えていましたから。でも、言われてみればたしかに、最終的には経営者になりたいと思っていたことに気がつきました。島村楽器は当時すでに日本で一番大きな楽器店でした。音楽は社会的に意義のある仕事です。しかも、海外との取引もある。私は、「そういう人生もありかな」と思って継ぐことを決めました。

別所:MBAに行く前ですか?

廣瀬:返事をしたのは行く前です。銀行を辞めて、半年弱ほど島村楽器で働いた後、2年間留学しました。

別所:そして、アメリカで2年間みっちり鍛えられて戻ってこられたと。では、島村楽器の企業としての歴史も教えてもらえますでしょうか。

御茶の水よりも5%高く売れ

廣瀬:もともと島村楽器は音楽教室からはじまっています。創業は1962年。当時、ヤマハさんが全国にフランチャイズで音楽教室を広めようとしていまして、各地で地域密着で商売をしている会社に声を掛けていたそうです。義父は親から継いだ文房具店を経営していました。昭和の文房具店といえば、学校指定の制服や体操服を販売する地元に根ざした存在です。ただ、義父は文房具店の経営にはそこまで熱意は持てなかったそうです。父親がはじめたお店であったし、先祖代々平井に住んでいるから、と半ば義務感で仕事をしていたみたいでして……。

別所:なんとなくその気持ちはわかるような気がします。それで、音楽教室の声が掛かって?

廣瀬:義父はクラシック音楽を聴くのが大好きだったんです。だから、音楽を仕事にできるなら、とすぐに手を挙げました。

別所:それも運命かもしれませんね。

廣瀬:そうかもしれません。音楽教室の生徒さんは着実に増えていきました。すると今度は、生徒さんが自宅で練習するための楽器を販売してほしいという声が上がりはじめます。それで楽器の販売をはじめたのが7年後の1969年。文房具店から切り離して、正式に島村楽器株式会社を設立しました。

別所:なるほど。

廣瀬:当時は、ピアノとエレクトーンが全盛の時代でしたから、島村楽器の取り扱い楽器もほとんどがピアノとエレクトーンでした。その後、フォークソングブームが起こって、ヤマハさんが特約店にギターやドラムの販売を持ちかけたときにも義父は手を挙げます。そして1976年、総武線の平井駅前に、ギター、ベース、ドラムといった軽音楽楽器の専門店をオープンしたんです。

別所:フォークソングブームありましたね。

廣瀬:ただ、1970年代にギターを買うといえば、東京ではみなさん御茶の水に行かれていたんですよね。いまよりもっと楽器の街というイメージが強い時代でした。そして、平井駅は御茶の水駅から総武線で15分程度の距離です。業界の方からは、そんな場所でギターは売れないだろうと言われたこともあったそうですが、義父はお店のスタッフに、「御茶の水よりも5%高く売れ」と指示を出します。

別所:どういうことでしょう?

廣瀬:その心は、「あなたの接客やサービスにお客さんが本当に満足してくれたら、御茶の水よりも5%高くてもチップ代として払ってくれるはずだ」と。普通逆ですよね(笑)。

別所:安売りに傾いてしまいそうですよね。

廣瀬:当然、理解できずに去っていったスタッフもいたそうです。ただ、その思いを理解して残ってくれた方たちがその後、幹部社員として頑張ってくれたことで、島村楽器の企業文化が形づくられることになります。「モノの前にコトを売り、コトを売る前に人を売る」という創業者の言葉に象徴される哲学です。

別所:「モノの前にコトを売り、コトを売る前に人を売る」。

廣瀬:たとえば、お店に高校生の男の子がギターを買いに来たとします。彼は、ギターという「モノ」そのものが欲しいというよりも、学園祭で演奏して人気者になりたいとか、好きな女の子に注目されたいとか、そういう「コト」を目指しているんだと思うんです。だから、店員は、お客さんがなにを実現したいかを接客のなかで探り当てて、それに適した楽器やサービスを提案できなければなりません。そして、そこで、「○○さんがそう言うなら買います」と言ってもらえたとしたら、それは「人」を買ってもらったことになるでしょう。義父はそれこそが島村楽器の仕事だと考えたわけです。これは、地の利のない平井を創業の地にした島村楽器だからこその哲学だと思っています。

別所:まさに、今日の主題となるブランディングやマーケティングにつながるお話です。

廣瀬:島村楽器には、経営理念のはじめに、「音楽の楽しさを提供し、音楽を楽しむ人を一人でも多く創る」という言葉があります。これは弊社のなかで広く共感されています。楽器店の場合、楽器に興味のない人はまず働きに来ません。時給が特別よいわけでもないですし、土日もお店で働くことになります。だけど、ほとんどのスタッフが楽器の演奏が好きで、それをお客さんにも伝えたいと願って働いているわけです。そんな販売スタッフ一人一人の魅力が、私たちにとってもっとも大切なブランディングだと考えています。いま、オンライン通販で私たちのお店より安く同じ商品を買えるところも出てきています。楽器を通販で買うことに抵抗のない人も増えています。だからこそ、スタッフの魅力無しに島村楽器のブランドは成り立ちません。

別所:素晴らしいですね。

廣瀬:そして、経営者としてももちろん、現場任せにならないよう、さまざまな企業活動を組み立てています。たとえば、私は、社長になる前の年に社内の専門資格制度を立ち上げました。それまでは会社のなかで体系的に商品知識を学ぶ仕組みがほとんどなかったんです。独学で覚えるとか先輩の背中を見て学ぶとか、そういう意識が強かった。私はそれではちょっとまずいなと思って、高級スーパーなどにあるワインアドバイザーやチーズアドバイザーといった社内資格を参考にして、制度を作りました。はじめは、ギターやドラム、ピアノといった6つほどの楽器からスタートしました。ただ、現場ではものすごく評判が悪かったそうです(笑)。

別所:そういうものですよね(笑)。

廣瀬:(笑)。定着するまでには何年もかかりましたね。名刺や名札、店舗のWebサイト等に記載していたところ、店頭にいらっしゃったお客様から、「○○さんってギターの上級アドバイザーなんですよね。質問があるんですけど……」と指名が入ることも増え、ようやく意味を理解してもらえるようになりました(笑)。それがコロナ禍になる1,2年前くらいですかね。

別所:やっぱり理念はアクションプランとして具現化することが大切ですよね。コロナ禍の話で言うと、楽器を始める人が増えたという話がニュースにもなっていました。実際にはどうでしたか?

楽器をアクティブに演奏している日本人は人口の約10%

廣瀬:まず、楽器業界が巣篭もり需要の恩恵を受けたのは間違いないです。2020年春の最初の緊急事態宣言後にショッピングセンターが営業を再開したところ、電子ピアノとアコースティックギターとウクレレが飛ぶように売れました。共通するのは、自宅で一人で楽しめるということですね。さらに、ご自身の演奏をネット配信したい方向けの機材も相当人気が出ました。一方、壊滅的だったのが管楽器です。学校の吹奏楽部の活動がほぼ例外なくストップさせられてしまいましたから。

別所:そこは本当に悔しい思いをされた学生さんが多かったでしょうね。音楽に限らずですが……。

廣瀬:そうですね。あとは、私たちの事業で言うと、音楽教室も大きな影響を受けました。密室で感染が怖いということで、最終的には約一割の生徒さんがお辞めになることを選択されました。オンラインレッスンの仕組みも急遽整えましたが、やはりなかなか難しいことも多かったです。

別所:会社としても大きなダメージが出ますよね。

廣瀬:ただ、この3年間トータルの売上で言うと、楽器業界は巣篭もり需要の恩恵のほうが大きかったです。そして現在では、吹奏楽部の活動も正常化したので管楽器の売上も戻ってきています。さらに、2022年秋からはテレビアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の影響で、バンドの楽器、特にエレキギターが人気です。

別所:音楽と物語の関係は興味深いですね。コンテンツの影響で特定の楽器に人気が出る現象ってよくあるんですか?

廣瀬:ありますが、業界全体に影響力を及ぼすほどのコンテンツは10年に一作品くらいという感覚です。「ぼっち・ざ・ろっく!」の前だと、2009年〜2010年に放送されていた「けいおん!」というテレビアニメがきっかけで、そのときもエレキギターがものすごく売れたんですね。その前は2004年。映画「スウィングガールズ」が公開されたときに管楽器が非常に売れました。私が業界に入った後だと、その3つのコンテンツが業界に明確なインパクトがある形で売上が伸びた事例です。もちろん、ほかにもところどころあるんですけど、楽器が演奏しやすいものかどうかや手に取りやすいものかどうかも関係しているような気はします。

別所:たしかに、いきなり何十万円もする楽器やスタジオを借りないと演奏できない楽器をはじめるのはハードルが高いですもんね。それでは、日本の楽器マーケット全体を見渡してみるといかがでしょうか?

廣瀬:世の中にはこれだけ音楽が溢れていますけど、いま、楽器をアクティブに演奏されている日本人の方は、人口の約10%しかいないそうです。つまり、マーケット拡大の可能性はまだまだあります。最近だと50代、60代の方で楽器をはじめられる方が増えていて、私たちの音楽教室の生徒さんの数もこの年代は非常に増えています。また、少子化にもかかわらず、子どもの生徒さんも増加傾向にあります。面白いのは、昔だと圧倒的にピアノを習う子が多くて、次いでバイオリンだったんですけど、いまはドラムとギターを選ぶ子が増えているんです。お子さん自身の趣向もそうですし、おそらくその親御さん世代がバンドをやっていたりして、固定概念から解き放たれていることもあるような気がします。さらに、私の親の世代、70代の楽器の演奏人口も増えているので、今後の可能性は大きいです。

別所:楽器を習ってみたいと思っている人はたくさんいるでしょうね。だから、そこをいかにうまく刺激するか。

廣瀬:おっしゃるとおり、黙っていてもなかなか楽器を始めていただけないので、島村楽器では、各店で、まずは毎月最低一回、初心者でも気軽に参加してもらえるイベントを開催するようにしています。楽器の需要をどう喚起していくかは、これから楽器店が本気で取り組まないといけないことだと社内でもことあるごとに話しています。

別所:あと、もう一つ大事だと思うのは発表の場ですよね。人と分かち合う場がすごく必要だなって。

人前で演奏したいという欲求

廣瀬:発表会というと、子ども時代の経験であまりよい印象を持っていない方もいらっしゃるかもしれません。だけど、とても大切です。私は40歳になるときにサックスをはじめたんですけど、すぐに社員から「いつライブに出るんですか?」と聞かれたんです。ライブもなにも、やっとドレミファソラシドが出せるようになったレベルの頃です。だから、うまくなったら出ますよ、と答えたら、「いや、廣瀬さん、そういうのは先に日にちを決めたほうが必死に練習するからうまくなるんです」と言われてしまって(笑)。

別所:デッドラインを決めて(笑)。

廣瀬:実はそれって、店頭でスタッフがお客さんに対して伝えている話なんですよね。それを社長がNOというわけにはいきません(笑)。結局、その4ヶ月後に私の初ライブの日が設定されました。社員だけの内輪のライブでしたけれども、その日に向けて必死で練習して、本番ではなんとか一曲演奏し切ることができました。

別所:素晴らしい。

廣瀬:やっぱり、人って発表する場がないとなかなかモチベーションが上がらないんですよね。コロナ禍のときに自分の演奏を動画配信する方が増えたのも、いま、レンタルスタジオの稼働率が上がっているのも、人前で演奏したいという欲求の表れなのかもしれません。

別所:僕もそう思います。それでは最後に、今後のビジョンについて教えていただけますでしょうか。

廣瀬:島村楽器ではいま、事業領域として「楽器生活のトータルサポート」を打ち出しています。これまで手がけてきた楽器の販売と音楽教室の運営という両軸だけではカバーしきれない分野に進出しているんです。たとえば、家電量販店だと家電の保険の延長保証がありますけど、楽器店はこれまで扱ってきませんでした。そこで、保険会社さんと一緒に楽器の延長保証を共同開発した結果、たくさんのお客様に喜んでいただけています。また、この二年くらいで私たちが特に推しているのが、「ギターセンパイ」という有料動画配信サービスです。これは、ギター初心者がひとりでも楽しく上達できるようするためのもので、動画は社内で作っています。そんな風に、音楽や楽器、演奏の周辺領域で新たなサービスを続々と投入しているところで、今後もそれを広げていく方針です。それも、トップダウンでやって下さいということではなくて、ボトムアップで社員から上がってきた良い提案にどんどん挑戦していきたいです。

(2023.10.30)


【廣瀬利明】
1975年東京生まれ。1999年、日本輸出入銀行(現在の国際協力銀行)入行。2004年、島村楽器に入社。経営企画、音教事業部、ネット関連業務、商品開発などの担当役員を経て、2013年5月から現職。慶応義塾大学法学部卒、米国・ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院修了(MBA)