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使う時に完成を迎える。余白・空白を残したモノづくりを行う「堀口切子」

 使い手の手元で完成を迎える器を見たことはありますか。ガラスにカットを施した伝統工芸を「江戸切子」と呼びます。江戸切子と聞くと、色とりどりで凝ったカットを施したぐい呑みやロックグラスなどをイメージする人が多いのではないでしょうか。

 しかしその中に一風変わった作風をもつブランドがあります。線が少なく透明や黒を基調としたモダンでシンプルなデザインを持つ「堀口切子」。こだわっているのはその見た目だけではありません。商品を使った時にあっと驚く仕掛け・遊び心が施されています。

 他の江戸切子とは何が違うのか、どんなモノづくりを行っているのか。「堀口切子は自分の存在意義・存在価値の再確認ができる場」と語る、堀口切子の創設者 堀口徹さんに話を伺ってみました。

三代秀石 堀口 徹  
1976年、東京都に生まれる。二代目秀石(須田富雄 江東区無形文化財)に江戸切子を師事した後、三代秀石を継承、堀口切子を創業する。日本の伝統工芸士(江戸切子)認定。「三代秀石 堀口徹 ガラス作品展(日本橋髙島屋)」等の日本における展覧会はもとより、ニューヨークやパリ、ロンドン・在英国日本国大使館など海外においても作品を発表し、高い評価を受ける。オルビスグループCSR賞社長賞、江戸切子新作展最優秀賞、グッドデザイン賞等受賞歴多数。


■「使う時に完成を迎える」堀口切子のモノづくり

堀口切子の商品の一番の特徴は何ですか?
 ブランドコンセプトとして「Emptiness」というキーワードを掲げていて、余白・空白を大切にしています。その余白をとっておくことによって、自分たちが作り上げているときはまだ未完成にしておく。自分の手から離れて、使い手の手元にいったとき、なんらかの要素が加わる余地を残しておくんです。照明や持つという行為、時には飲み物や食べ物、覗き込む視線とか、そういう様々な要素が加わるとき、要するに「使う」とき、まさに完成を迎える。そんなモノづくりをしたいと考えるようになりました。

▲黒被万華様切立盃(くろぎせ まんげよう きったてはい)
「映り込み」のしかけによって、使い手に驚きと感動を与えてくれる、余白・空白を大切にする堀口切子の代表作とも言える商品。細かいカットを施された黒被万華様切立盃は、お酒を注いでぐい呑を口元に運んだその瞬間に、まるで万華鏡のような美しい景色を見せてくれます。

■堀口切子の商品はモダンでシンプルなものが多いですね。
 モダンなものだけを作ろうとしているわけではないんです。実際に堀口切子で作っているものでもトラディショナルな商品もありますし。単純に自分が「作りたい」と思った商品の中で、まだ製品化されていないものがモダンだっただけで。トラディショナルな商品ももちろん「かっこいい」「作りたい」と思いますが、それは他社で作られているので自分が作る必要がない。だから何か新しいものを作ろうとした時に、結果的にこういったモダンでシンプルなものが多くなったんだと思います。

左から
①薄瑠璃被籠目文切立盃(うするりきせかごめもんきったてはい) 
②ぐい呑“束” (ぐいのみ“たばね”) 
③ぐい呑“輪” (ぐいのみ“わ”)
堀口切子のラインナップには、伝統的な江戸切子のデザインを持つ①のような商品だけではなく、 ②③のようなモダンでシンプルな商品も多く存在する。


■工房にはあちこちに文字が書かれたシールが貼ってありますね。どのような意味が表されているのでしょうか。
 自分がよく使う言葉で「残す・加える・省く」っていう意味の「Observe・Add・Omit」。それと、堀口切子のコーポレートメッセージにしている「伝統的で・本質的で・それを再定義していく」という意味の「Traditional・Authentic・Redefined」ですね。この6つと先ほどの「Emptiness」を合わせた7つの言葉を大切にしています。どれも堀口切子を続けていく上で、本質的な部分と密接に関わってくる言葉です。

 こういう言葉は、ある考え方やイズムみたいなものを第三者に伝えていくときに、重要な役割を果たしていると思います。今いる弟子には自分が直接接することができますが、自分がいなくなったあとも会社が代々続くとします。そこで「なんらかの決断を下さなきゃいけない、左に行くの?右に行くの?」ってなったときでも、脈々と続いているコンセプト・理念・言葉などがあったら、案外迷うことがなくなるのではと。このチームのベクトルを揃えるうえでも、こういうキーワードみたいなものを大切にしたいと考えています。

■「堀口切子」に入りたい。そんな弟子へ伝える想い

現在2人のお弟子さんがいらっしゃいますね。
 2人とも「江戸切子がやりたいです」ではなく、「堀口切子に入りたいです」って言ってくれたっていうことが非常に大きくて。普通は「江戸切子がやりたい」ってなると思うんです。でも自分にとって「堀口切子はこうなんだ」っていうのがある。そうなると、そこで働く人にはその違いがちゃんとわかっていてほしい。わかったうえで堀口切子がいいんだって言ってほしいなあって。そもそも違いがわからないような人は、もしかすると感覚がだいぶ違うかもって思っちゃうかもしれないですね。

その感覚や世界観が合う人と一緒に働くことが大切なんですね。今後お二人はさらに堀口切子を支える存在になると思いますが、どのようなことを伝えているのですか? 
 普段のいろんな出来事を2人とは共有してるから、「ああ、こういうものとかもやったりするんだなあ」「逆に親方こういうのは全然やらないなあ」とかなんかそういうのは自然と伝わっていくような気はします。俺は駆け引きなどをしないので「嫌な時は嫌だ」とか「やる時はやる」と率直に伝えますし。そのへんはすごくわかりやすい人間なはず。

 だから最近は、江戸切子の本質ってこういうことじゃないのかなって思うことを伝えていますね。「ガラスを加工して、使い手を驚かせて魅了する」。この180数年間何にも変わっていないことだから、これはブレるべきじゃないなって思っています。

堀口さんにとって「江戸切子」とは、そして「堀口切子」とは何ですか 
 江戸切子自体は「おじいちゃんからもらった宝物」みたいな感覚はありますね。堀口家で生まれることができて、江戸切子と出会って、これを職業としたいと思って。この江戸切子によって、いろんなことができるようになったり、人と会えたり、どこかに行けたり、なにかを経験できたり、ということがあるので、そのきっかけをくれた貴重な宝物って感じがします。

 堀口切子は「自分でもあり堀口切子でもある」という感じはありますね。なので「自己表現の場」もしくは「自分の存在意義・存在価値の再確認ができる場所」という表現がいいかもしれません。この工場に来て「かっこいいですね」って言われたら、やっぱり自分がかっこいいですねって言われているような気がする。一言では言いづらいけど、そんなところですかね(笑)

■おわり

 モダンでシンプルなデザイン、使い手のもとで完成する商品。自分の「かっこいい」「作りたい」を追求したモノづくりを行う堀口さんだからこそ、従来の江戸切子にはない伝統と革新を調和させたモノづくりを行うことができているのかもしれません。

 次の記事ではそんな堀口さんのもとで働く2人の職人さんから伺ったお話を記事にしました。3人のぴったり合った波長や感覚を感じていただけたら嬉しいです。


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