3日間考え抜いた『白夜行』・『幻夜』の自己解釈

先日、東野圭吾さんの超長編ミステリー小説『白夜行』と、その続編『幻夜』を読みました。正確に言うと、二作品の間には約半年ほど時間が空いてしまったわけですが、それでもこの超大作の余韻はものすごく、大変楽しく読ませていただきました。

余韻に浸る中で、この二つの作品を1つの作品と考えたときに(実際、幻夜は白夜行の続編という位置付けになっている)、どういう解釈ができるか考えてみました。これはあくまで私の一意見であり正解などないので、「こういう解釈をした人もいるんだ〜」くらいの気持ちで見ていただきたいです。作者もあえて含みを持たせた書き方をしているため、このようにいろんな考えが膨らんでいくことを想定していると思います。

私の解釈

※以下の解釈は、雪穂=美冬の前提で進んでいきます。

白夜行では、離れていながらも固い絆で繋がれている雪穂と亮司が描かれていました。その根拠として、2人の以下のセリフが挙げられます。

「あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。」


雪穂のこのセリフから、彼女は亮司のことを太陽のような存在として認識していたことが分かります。つまり、絶対的な欠かせない存在。
一方、亮司のセリフ

「俺の人生は白夜の中をあるいているようなものやから」

からは、雪穂と対極の位置にあることが読み取れます。極夜がなければ白夜もない。つまり、雪穂と亮司は一心同体の存在であると考えられます。

また、雪穂と亮司は互いに愛情を感じていたとも考えています。作中には性交渉の場面が何度も出てきますが、亮司は妊娠の可能性がないように行為をしていました。雪穂に関しても妊娠の記述がありますが、渦中の男に見せた陽性の妊娠検査キットは偽物でした。
私は、雪穂と亮司は二人の間でのみ、愛の証明として性行為を行っていたのだと考えています。それは幻夜の解釈にも繋がっていきます。

だが、亮司は雪穂を守る形で目の前で自殺しました。愛していた亮司を目の前で失くした雪穂は、太陽を失くしたも同然の大きなショックを受けたと推測します。

雪穂はそこから一人で生きるようになり、過去を断ち切るように顔を変えました。

経営していたブティックは、R&Yからホワイトナイト(白夜)と名称変更しました。上記のセリフから、白夜は亮司の人生のことであり、この名称変更には

「亡くなった亮司の分まで生きる、亮司のような生き方をしたい」

という願いが込められているように感じます。

そしてホワイトナイトで美冬と出会い、帰国後震災で美冬を亡くします。それをきっかけとして美冬を名乗り始め、第二の人生を始めました。そしてその日、雅也の殺人現場を目撃し弱みを握ったため第二の人生のサポーターとして雅也を選びます。

雅也には二人の幸せのためを言って丸め込んでいましたが、第二の人生は本当の愛は求めず、亮司の分まで生きるという意味からも富と名声を求めるようになります。そのため、どの男に対しても上手く利用するだけで愛しはしませんでした。実際、雅也とも妊娠のリスクを避けており、子供はいませんでした。
(このことからも、雪穂は愛=中に出すという考えがあるのではないか?逆説的に、雪穂は亮司とは中に出す行為をしていたと考えられます。)

騙されたことに気づいた雅也は、幻の夜を現実とすべく雪穂と心中するため爆発する拳銃を作り出します。しかし、加藤に止められると共に雪穂には届かず、仕方なく加藤と共に死ぬことになります。

雪穂にとって、利用するためとはいえ愛した演技をした雅也が目の前で死んだ光景は、亮司が目の前で自殺した光景と重なります。

亮司を思い出しノスタルジックな気持ちになった瞬間、そして雅也と加藤が死んだことで自分の過去は完全に闇に消えたことで第二の人生で望む全てを手に入れた瞬間。

二つの感情を抱えた雪穂は、船の上で「こんな素晴らしい夜は初めて。幻みたい。」と表現したのではないでしょうか。

以上になります。10年以上前の小説ですので私のように今更暑くなっている人間はほとんどいないでしょうが、反対意見や質問などございましたらコメントください。駄文失礼いたしました。

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