AC時代のブランドについての覚書(1)~アフターコロナの自分の仕事について~
AC時代のブランドについての覚書(1)
~アフターコロナの自分の仕事について~
ブランドとは何か?
それは、トレードマーク(商標)とどう違うのか?
【20世紀のブランド】
ブランドとは、誤解を恐れず端的に言ってしまえば、「顧客をできるだけ考えさせないための仕掛け」だ。
考えないというのは、かなり幅広い概念だが、それは「他社の製品との比較を考えさせない」ことや「そもそも、その製品は本当に必要なのか」を考えさせないことだ。
少なくとも20世紀はそうだったし、21世紀の現在も多くのブランドがそうだ。
【考えさせないためには何が必要か?】
それは製品に向かう理性的な視線をそらす必要であり、つまりより「感情や感性」に訴えることである。更には「製品と個人を一体化させること(ライフスタイル)」によって、製品への他社批判を巧みに自己批判に変えることである。人は自らを進んで批判することはしない。むしろ何らかの合理化を行って自分を正当化する傾向がある。だから、「感情や感性」に訴えて、「ライフスタイル化」を図ることは、ブランドの目的にとって極めて有効な手段である。
【ブランドは製品よりキャラクターを必要としている】
なぜブランドは「製品」ではなく、「アイコン(アイドルやスポーツ選手、キャラクター)」で表されるようになったかといえば、ブランドの目的を満たす手段にもっとも適しているのは、製品では無く、アイコンだからである。
ブランドの価値とは、製品の価値ではなく、どちらかというと宗教の価値に近い側面があるのだ。
人は「マーケティング」を批判する(例えば「いわゆる電通案件」とか)が、「ブランド」を批判する声は大きくない。なぜなら「ブランド」は、「感情や感性」を通じて「自分のアイデンティティ」を提供するものである。製品の枠組みを外れていながら、製品そのものの価値という隠れ蓑があるので、なかなか批判の的を絞らせないのだ。
【ブランドは死にかけている】
さて、有り体に言えばブランドとは上記の様なものである。
そして、そういう意味で言えば、既に多くの「ブランドは死にかけて」いる。
ネット上には、今まで得られなかった「多くの製品使用情報」が溢れている。そこでは容赦ない比較が行われうるし、実際に行われている。
また多くのブランド模造品が登場して、それが「ブランドを冠した製品と大して変わらない」ことも経験されてきている。
また、多くの製品分野に新しいテクノロジーが導入されてきたため、「製品価値そのものの優位性」が、以前に比べてかなり回復していることも大きい。
また、日本では2011年の東日本大震災あたりから変化が見え始めているが、そして世界的に見れば新型コロナの登場で大きな曲がり角を迎えると思えるが、一部の人々の関心が「自分自身に向き始めている」こともあろう。
ブランドの最大の提供は「ブランドが体現するライフスタイルとアイデンティティの提供」である。つまり、私たちのような弱くて、バラバラな個人に、(国家や宗教のように見えやすい犠牲を要求せずに)確かな「生きている自信」を与えてくれる。
しかし、東日本大震災や新型コロナなど、自分の存在そのものが危険にさらされるとき、人は本当の文脈で生きる意味や自分の人生の価値を考えるのであり、できれば「人から借りたアイデンティティ」から脱却したいと考える。*
もちろん、その流れは全面的なものではない。世の中はおおむね「量が質をきめる」のであるが、しかし、このような質の変化も、時間が経てば一定の効果を発揮するのである。
【ブランドに明日はあるか】
もちろん、それでも「ブランド」は残る(様に見える)。
しかし、それは厳密に言えば「ブランド」ではなく「トレードマーク」である。製品は残り、製造者は残る。だからトレードマークは残る。しかし、製品を越え、感情や感性を刺激し、人のアイデンティティを左右するような「積極的な意味でのブランド」は消える。
つまり、ブランドを積極的に運用することを提案すると言う意味での「ブランドコンサルタント」は、(消えることはないとしても)その付加価値を失う。端的に言えば「仕事がコモディティ化して、作業となる」のだ。
【僕の仕事はお終いか?】
それでは、僕の仕事は消えるのか?
実はこの問いは2010年頃、「地域ブランドブーム」が起きたとき(この時の、そして今でも、この地域ブランドの多くはトレードマークに過ぎない)から考え続け、2011年の「みんな大学」や2016年の「ブランド構築論(新潟薬科大学)」で考えを深めてきたものである。
私は「ブランド」の後をどう考えているのか?
それは次回に。
*現在のブランドが「社会貢献に前向き」なのは、それが「人格的に望ましいアイデンティティ」だからだ。もちろん、ブランドの中には純粋な善意でそれに取り組んでいるものもあるが、それが「全体の傾向」になるのは、ブランドの目的が「アイデンティティの提供」にあるからなのだ。
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